記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

吉田初三郎の遺した資料を改めて読み解く面白さ&愉しみ。

2007年06月17日 18時05分56秒 | 吉田初三郎
 昨日16日、里帰りの途中で田川市の石炭歴史博物館へ立ち寄った。
炭坑節の二本煙突と立坑が登録文化財への答申中となり、大勢の見
学客が訪れていた。17日はJCの大会が行われるとのことで、炭坑
節発祥の地記念碑の前には式典の準備が整っていた。

 間近で見上げる二本煙突は、確かに天高くそびえ香春岳とともに
筑豊田川のシンボルと言うに相応しい。炭坑全盛期の昭和33年に
二代目初三郎が描いた「田川市鳥瞰図」の直筆トレース図を持参し
担当職員に見てもらった。ここに原画類が無いのは承知しているが
絹本原画発見への手がかりになる情報がほしかったからである。

 対応いただいた職員は吉田初三郎自体をご存じなかったが、話を
するうちにいくつかのヒントをいただけた。三井の迎賓館で以前こ
れに似たような図を見たことがあるというもの。迎賓館自体が今は
取り壊されているが、何か手がかりになるかもしれない。

 里帰りの際にも一応、どこで手がかりが見つかるか判らないので
初三郎等の資料はある程度車に載せている。前田虹映の長男・稀さ
んに習ってそうし始めた。初三郎の読んだ和歌集「和のこころ」の
コピーを実家で見直していて、いくつか九州に残るであろう未確認
の絹本原画の情報を拾い出して、この日の夜はちょっとした興奮で
眠れなかった。

 ひとつは鯛生金山地底博物館に収蔵されている金山原画2点につ
いての記述。「星野金山(福岡県)」「高峯金山(鹿児島県)」の
2点がある訳だが、記述を読むとなんと昭和10年に全5作の金山
鳥瞰図を描いたとある。九州各地に点在した金山の図で、あと3作
がどこかにある可能性が出てきた。今まで見落としていたことを悔
やむ。

 余談だが、テレビ番組等で「砂金採り」等のロケだと大半が九州
になる。探偵ナイトスクープ!等でも砂金ネタの時は九州である事
が多いし、「鉄腕DASH!」でも同様だ。場所は判らないように
ロケされているが、土地勘のある人なら判るかもしれない。来週の
日曜日、鯛生金山では砂金採りのコンテストが行われる。
http://www.nakatsue.com/taiogold/

 TVといえば、昨夜のローカル放送で油屋熊八のことが取り上げ
られていた。亀の井ホテルの資料などが入った平野資料館、由布院
の亀の井別荘などが紹介され、九州横断道路(やまなみハイウェイ)
は元々、熊八が発案者であることも取り上げられた。

 熊八が横断道路構想を広めたのは事実であるが、残念ながら初三
郎が助言し彼の意見を熊八が採用したことまでは知られていない。
熊八が構想を話す以前にすでに初三郎は某新聞紙上で構想について
論文を書いているからである。

 さらに、九州産交から依頼されて描いたとされる「阿蘇大観図」
は、徳富蘇峰記念館(神奈川)所蔵のもの以外にもう1点あること
も今さらながら判った。「佐敷日記」中に1カ所簡単な記述がある
のだが、「和のこころ」の方には詳細が記されていた。

 昭和21年に依頼され描いた絵を翌22年春に同じホテルを訪れ、
レストランに絵が飾られているのに感激し、さらに進駐軍の兵士な
どがこの絵の前で記念撮影をする様子を見て、間接的でも自分の絵
が米国など海外に伝わるであろう様を喜んでいる。

 それとともに、前年に描いた廣島原爆八連図について、米コロム
ビア放送が「被爆地廣島の今」を取材に来ていて、一番話題に上げ
たのが自作の原爆図であったことを誇りに思い、それが米国でどの
ように放送されるのかが気になるという旨の感想を書き残している。
ひと足早く昭和14年にTV放送が始まっていた米国で映像も放送さ
れたのであろうか。

 「阿蘇大観図」があるというホテルは今も盛業中である。これま
での調査から、日記に書いてあった場所を探すとほぼ間違いなく原
画を確認できている。阿蘇にある某老舗ホテルを近いうちに確認に
訪れねばならない。

今日の写真は、昭和6年10月2日 別府亀の井ホテルで撮影された
1枚。熊八発案の「全国大掌大会(掌の大きさを競うコンテスト)」
に合わせて公会堂で開催された識者講演会の講師面々。初三郎を中
心に、与謝野晶子・鉄幹夫妻、江見水陰、長谷川伸、松崎天民、天
野雉彦等の諸子。同行した吉田朝太郎の姿も見える。この翌日には
久留島武彦も合流し、油屋熊八とともに一行は日田、由布院などを
巡っている。

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