記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

画像アーカイブ続々公開!旅のスペシャリスト・初三郎の生まれ変わり?

2007年06月20日 20時23分07秒 | 吉田初三郎
 なかなか雨が降らない。福岡も毎日のように傘マークが出ていなが
らちゃんと降らない。水害と同時に渇水被害も幾度となく経験してい
る福岡の人なら、1994年、さらに遡る1978年の大渇水の記憶がある
方も多いはずだ。

 94年の渇水時、中洲からは客が遠のき、できたばかりの福岡ドーム
のホークス観戦も、断水が始まる夜10時を前に8時半を過ぎた頃から
観客がざわつき始めて、試合の内容に関わらず帰り出す客が多かった
ことを思い出す。もちろん町中の噴水やプールは軒並み中止となって
いた。

 今週は事務所での作業が多い。そのため作業の合間に、いくつかの
ストック写真をサイトへ公開した。といっても断片的に公開している
もの。吉田初三郎が昭和28年に「田川市鳥瞰図」を描いた際に撮影
された町並み等の記録写真も一部公開した。お孫さんが捨てようとし
ていた雑多な紙袋を貰い受け、その中に入っていたネガ・プリント類
約6千枚の一部である。

 炭坑節に唄われる「二本煙突」、上部が削られ往時の姿を留めてい
ない香春岳の在りし日の姿、そして今はもう無い炭坑住宅や官舎など、
鳥瞰図を描くための記録らしく、高台から見た写真が多いのも特長だ。

■遠き日の田川市~吉田初三郎踏査取材時の記録写真
 http://www.asocie.jp/hatsusaburo/p-tagawa/

また、郷里に近い大分県中津市の「中津祇園祭」「中津の町並み」の
絵葉書も公開した。福沢諭吉の里としての中津は今も昭和初期もあまり
変わらないようである。

■遠き日の中津祇園大祭
 http://www.asocie.jp/hatsusaburo/p-tagawa/

■遠き日の中津町
 http://www.asocie.jp/memory/nakatsu/index2.html

 本当は「筑後川大水害」など水害もの絵葉書を公開しょうと準備を
していたが、タイミングを図るなら7月まで延期せねばなるまい(笑)。
しかし7月は「海水浴場」「潮干狩り」「地引き網」など夏に関する
絵葉書のページも用意しているので、一人で困っている。

 明日21日と22日は近場の出張が続く。ちょっと趣味ページを作
っていたら、仕事がまた溜まってしまった。こりゃ今夜も好きな洋楽
を聴きながらの半徹夜となりそうな勢いである(笑)。

 栢野氏から早々と7月のベンチャー大学の案内メールが届いた。
ほぼ同じタイミングで7月のゲストとなった高萩氏からもメールが届く。
高萩氏は先日、テレビ東京系「ガイアの夜明け」に小さな旅行代理店と
して登場した彼である。氏は私と同じ大分県出身、栢野氏を通じて4年
半ほど前に「がんばれ!社長」の武沢氏の博多非凡会の折に初めてお会
いし、武沢氏の講演ビデオをお借りして北九州の福祉機器展などで上映
したこともある。

●栢野氏のブログ
 http://blog.livedoor.jp/kaya0169/

●高萩氏の紹介
 http://www.beltempo.jp/page28/takahagi.html

 高萩氏の「夢をかなえる旅行術」は必見!旅人のニーズを的確に把握
し、満足の旅を演出する。彼はひょっとすると吉田初三郎の生まれ変わ
りかも?と思うことも度々ある。初三郎が遺した「佐敷日記」等を詠む
と、とにかく旅館や交通のサービスを的確に採点していて、彼が及第点
を付けなかった旅館はその後早々に廃業している。

 栢野氏、高萩氏に負けじと私も自分しかやらないこと、自分にしかで
きないことをようやく最近見つけた。これはとても幸せなことかもしれ
ないと、ふと思う。

今日の写真は、吉田初三郎「田川市鳥瞰図(昭和28年)」部分。
三井田川坑の二本煙突や立坑櫓もちゃんと描かれている。

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