記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

肥前名護屋城の浪漫、そして地震の記憶

2007年03月26日 19時33分03秒 | Weblog
 昨日の日曜日、佐賀県唐津市「県立名護屋城博物館」の企画展
「近代のまなざし~絵葉書の中の朝鮮半島」を観に行った。絵葉
書文化や朝鮮半島絵葉書の研究をしている浦川氏の担当した企画
展で、絵葉書会にもよく顔を出す古館氏のコレクションも含まれ
ていた。昨日が最終日だったので、すぐ近くにある呼子朝市と合
わせて出かけたのだ。呼子の朝市は日本三大朝市に数えられる、
魚介類中心の市である。

 展示された絵葉書は写真絵葉書で、残念ながら初三郎など絵師
が描いた鳥瞰図作品や絵画作品は展示されていなかったが、京城
大地図(現ソウル)など昭和初期の地図や都市図も展示されてい
て楽しんだ。ここの企画展は小スペースながら無料なのが良い。

また、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に陣を置いた肥前名護屋城跡にあ
るので、展示のあとに史蹟も見学できる。毎年、企画展の折にた
ずねて来ているが、城垣などを往時の姿へ復元する工事も年々進
み、壮大な城跡と、壱岐・対馬まで見渡せるという眺めも最高で
ある。ここに徳川家康や伊達政宗など当時の戦国大名のほとんど
が集結したと思うと、浪漫は尽きない。

 この日、能登半島で大きな地震があった。ちょうど虹の松原を
車で移動中でニュースを聴いた。2年前、福岡県西方沖地震の1
週間前に絵葉書サミットを博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)
の旅館・潮騒で開催した。東京や海外からも絵葉書収集家が集い
泊まりがけで絵葉書談義や交換会を行う。

 宿泊の翌日は、唐津の古館氏のお宅へコレクションを拝見しに
皆で出掛けた。当初はその翌週に絵葉書サミット開催の案もあっ
たので、翌週に延ばしていれば、震源地にほど近い能古島で我々
は被災していた。

 そんなことを考えながら、ニュースを聴いた。地元福岡では、
2年前に被災し仮設住宅暮らしを続けていた玄界島の島民の大半
が、ようやく島へ戻る日ということで、前日から報道されていた
ので、尚更地震発生のニュースは2年前の恐怖を思い起こさせた。

 鳥瞰図絵師・吉田初三郎は関東大震災をはじめ、幾度もの従軍、
空襲体験、火災など波乱の人生を送っている。当時の新聞や出版
物にコメントも多く寄せているし、戦争で子どもを相次いで失い
多くの優秀な弟子達をも失った初三郎が、戦後広島原爆八連図を
描くことを決めた時の心情の一旦は日記に書き残されている。

 涅槃図のような広島の図に共通する鳥瞰図原画を、ご遺族の家
で拝見したのは2年前の2月末であった。描かれているのは川崎
市。描かれたのはわずか10年ほど前。そして描いたのは初三郎
のもとで広島の図の製作にも携わり、晩年の初三郎を支え続けた
吉田朝太郎(2000年2月没)だ。東京湾から遠く富士までを
高度から望み、アクアラインまで描き込まれたその図は、鳥瞰図
絵師の終焉を告げる、まさに涅槃図そのものかもしれないと思う。
この図も、できれば多くの人々に観てもらいたい。

(写真は、初三郎「北九州鉄道沿線図絵」部分。虹の松原から七
つ釜、名護屋城跡などまでを描く。中央には近年「宝くじの当た
る島」として著名になった宝当神社のある鷹島も見える)
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