記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多湾周遊絵巻の製作で気づいた、大正広重・吉田初三郎の功績

2007年03月25日 00時00分09秒 | 博多湾
 昨日23日の西日本新聞夕刊の博多湾特集に、絵地図作家・村松
昭作「博多湾周遊絵巻」も取り上げていただいた。一昨年、東京
の村松さんを招聘して描いていただいた作品である。3月20日は
福岡県西方沖地震から2年の震災記念日であったが、2年前の3
月といえば22日に玄界島への上陸取材で絵地図製作のための踏査
取材を完了する計画であったため、最大の被災地となった玄界島
へは渡ることができず、唯一現地踏査せずに絵地図は仕上がった
ことを思い出す。

 この絵地図は取材に約半年をかけ、博多湾沿岸の名勝史跡、山、
海岸、古墳、神社、巨樹巨木など500カ所以上を踏査スケッチし
て仕上げた、手作りの作品である。数多い現代絵地図作家の中で
も現地踏査に主を置く村松さんにぜひ描いてもらいたかった。

 そのほとんどの取材に同行(案内役兼)することで、隠れた景
勝スポットに気づくことも多々あり、またスケッチや作画過程を
ずっと観させていただいたおかげで、吉田初三郎の踏査取材方法
や作画方法との共通点を数多く確認できた。このことが、初三郎
の描画遍歴や印刷技法を考慮しての構成方法の変化などに気づく
きっかけとなった。

 もとより私は、地図会社グループの印刷会社でアートディレク
ターをしていたため、地図製作や調査、そして印刷知識も持ち合
わせている。現在のデジタルなデザインや製版以前の、アナログ
的な手法を、実際に体験してきた最後の世代でもある。

 このことが、昭和初期から昭和30年に至るまでの、初三郎とそ
の一門の作画画法や個性差別化、そして独立と鳥瞰図による観光
案内時代の終焉にかかる悲哀の部分への理解をより深いものにし
てくれる。初三郎に関する研究本や伝記的出版もいくつか発表さ
れ、当時の環境変化や作品自体の全体像、そして初三郎を取り巻
く人間模様については研究が進んでいたが、こと作画自体の構図
構成の変化や、弟子達が離脱独立するに至る技術的背景を理解で
きる資料・研究は進んでいない。

 この部分を私はずっと探し続けた。創造者、先駆者としての視
点で、印刷美術の向上や日本の文化に与えた影の功績、そして何
より没後50年を超え、その作品の中にしか残っていない、古き良
き日本の風景、都市の景観があること…。忘れ去られようとして
いるこれら資料をもう一度見直す機会を創造する。このことこそ
初三郎が望んでいたことであり、残された資料を大切に保存して
こられたご遺族への恩返しであると考えている。

 村松さんの絵地図「博多湾周遊絵巻」「遠の朝廷 大宰府・天
満宮散策絵図」を製作して一番良かったのは、地域を見直すきっ
かけになったこと。地域をさらに好きになったことだ。様々な景
勝地を観て描いてこられた村松さんの視点は、地元人や郷土史家
も見逃すような些細なことも見落とさない。最初からそこにある
良い部分、そして時代の変化とともに輝きを失いかけた部分にも
新たな息吹を吹き込みつづけることで前進するのだ。
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