◆北海道・北東北縄文遺跡群がユネスコの世界文化遺産に登録されれば、日本の古代史の見方が変わってくると期待する者です。それは、今までの学ぶ多くの古代の歴史の多くは近畿、関西以西のものが殆どでしたら。これでは、本当の僕らの心のルーツが解明できないと長い間、考えていたからです。様々な疑問が、僕なりに思考の底辺の中で繋がって来て答えが出てきたように思われるからです。
◆梅原猛という哲学者がおられたでしょう。彼が、だいぶ昔「縄文に帰れろう」と文芸界で言われた時、キリスト教神学者のO先生が梅原を批判されていたのですね。僕が、ご自宅にお邪魔したとき、ご高齢になられておりましたが、常に日常でも誰が何時、来られてもきちんと対応するためか、ワイシャツとブレザーを着ておられましたね。お部屋には、当時の名を馳せていたカール・バルトとエミール・ブルンナーの論争時の二人が向かい合った写真が飾られていました。カトリックのパウロ・ヨハネが日本に来られた時のO先生との対面の時の写真もありました。何分にもキリスト者は伝道も第一の使命ですか、過去の日本に帰るなどということはとんでもないことだと思われていたのだと思います。しかし、僕はそれは、心の中で違うのではないかと思っていました。
◆どこの国の学者も過去の文献にその思考の基を基盤にしなければ、それは正式の学問にはならないのだということが、すでに限界があるのだと思うのです。何故かというと、過去の学者さんのまとめられた学術書も、すでに当時の偉人達の思考の結果系の一端しか書き表すことしか出来ていないわけですから、特に歴史はどこまでいってもすべてを書き尽くすことなどできない訳です。理系は別ですよ。のちのち物的検証ができますからね、それを元にさらにステップアップして行くので。ですから、人の思惑ではなくて、それはあるときは情念と呼ばれるし、僕は動物として生き、思考にまとわりつく”しがらみ”とよんでいるもの、それを取り除いて思考しなければいけないと思っているのです。