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marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(346回目)少々難しく「人格と人権」覚え書きⅢ

2017-05-16 20:41:16 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 自分でもずいぶんと深入りした内容にはまり込んで来ているように思っています。とてもブログで語り尽くせるような内容ではありませんが、深い理解は読まれる方に委ねざるを得ません。これは僕らに今のこの国のあり方を決めた「人権」についての大切な事なので、キリスト者といわず、ブログの344回の末に書いたペインの方の見解の一部も後半掲載します。
◆ここで、ペインの文書を読み、理解するには注意が必要なのです! 神学者大木英夫さんは、先の著作でフランスのカトリック批判はほとんど書いていないのです。迷信なるカトリックとかの文書の中の言葉はありますが・・・。しかも、トーマス・ペインもプロテスタント側のキリスト者なのですね。当時の読める文献がそちら側(プロテスタント側)からの文献しか読めず、他のフランス側、カトリック側の文献の引用が用いられなかったのは、おそらくなかったのか、あってもそれから得るところがなかったのか。(いずれ、僕はキリスト者ではない学者さんの当時の様子を読み取れるものを書こうと思います。)
◆僕の言葉で結論からいいますとペインは、プロテスタントから分岐したクエーカー教徒でしたが、それがクエーカー本来の考えである政治には関与するなということから足を踏み出してしまい、当時の自分の聖書解釈を当時の啓蒙主義に融和させて、聖書の聖書たるエッセンス(深い理解からではなく)が漏れてしまって問題のある弱点をさらけ出してしまっているということなのです。アメリカ革命とフランス革命の相違がキリスト教への深い理解の相違として現れているということ。それは・・・
◆ペインの書いたものをキリスト教を知らない方が読むと(無論、この最後の文章だけではなく)人類の普遍的理念のようないいこと書いてあるではないかと思うだろうと思います。しかし、キリスト者から見るとあまりに啓蒙主義的思想主義に解消されてしまっていると。そもそも人というのは「罪」なんて言葉は聞きたくないのだから。ここが、いまの世俗化した時代においても、なぜ、未だと言えばいいいか、すべてのしがらみを拭い去ってキリストが宣教されなければならないかの重要な分岐点でもあると僕は思うのです。その道の方は特に注意せよです! 世界にキリスト教が宣教され、未信者でもキリスト教はそれなりに知識を持たれている方もいる。耳障りのいい話をかき集めて聴衆を感動させようとしても限界がありますよということだ。・・・だからこそなのです。
◆先の回にバーグの見解の解説に「自由の中に罪を見抜いた」とありました。ペインはアメリカ革命を賞賛すればフランス革命も賞賛する。しかし、その後のフランスの恐怖政治などの混乱はバーグの予想のとおりとなったのです。最後にペイン議論の核心を書きます。その文章から思想的弱点を察することができれば、イギリスからメイフラワー号で海を渡りアメリカ革命を果たしのがピューリタンで、フランス革命とは異なる思想的起源をもつものであることが分かるということになります。大木英夫さんはそのピューリタニズム背景は現代にもまだ影響を及ぼし続けている、それは聖書的起源を持ちミルトンの「宗教改革のさらなる改革」として歴史的な時間的な自覚、未来志向としてイデ・フォルス(動向のある理念の原動力といっていいか)を持っているといいます。日本国憲法の人権思想の触れるマッカサー草案に当たったのは、こういう背景を知っていた人たちだったのです。(フランスのそれではない。)ベアーテ・シロタさん、公募で選ばれた若い女性が男女平等条項憲法第24条に貢献しました。339回に映画「母」の映画を見たことを書きましたがあのような時代、日本人自らその条項を作成することができたと僕にはとても思われない。では、ペインの言葉・・・
◆「神のことばについてのわれわれの観念や概念は、創造についてのみ一致することができる。・・・それは、これまでずっと存在して来たものの起源というべきもので、人間はだれでもそれを理解できる。・・・神に創造されたもの〔自然〕は、すべての国民や全世界を教え導いている。そしてこの神の言葉は人間が神のことを知るに必要ないっさいのことを人間に啓示してくれているのである」。「われわれが眼にするものすべては、神の創造物であるという内的証拠を持っている」。・・・ 続く