marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(336回目)憲法記念日にあたり そのモヤモヤⅡ

2017-05-03 22:01:02 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 憲法記念日にあたり そのモヤモヤⅠからの続きです。・・・
◆僕の部屋には、模造紙大の映画のポスターが掲げられています。「東京裁判」
ご存じ左からイギリスのチャーチル、中央アメリカのルーズベルト、右旧ソビエトのスターリンです。映画の中で記憶にあること、大川周明が前に座っていた東条英機の頭をぽんぽんとたたくところ、彼は東京帝国大学をでた思想家ですが、植民政策などを研究していたこともありとても理路整然とした考えを持っていて、作家佐藤優さんの「日米開戦の真実」大川周明「米英東亜侵略史」を読み解く(小学館文庫)で読む事ができます。それで、ぽんぽんなのですが、A級戦犯容疑者として逮捕されましたが「精神障害」で免除となりました。このような秀才が旧約聖書を受領してその実現をその知見にもたれたらダントツにすごい日本の国ができていたかもしれないと思ったりする。
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◆話がずれてきたが、人が今まで生きてきてその上で何を学び、それを普遍的に次の世界にどう生かそうとしてきたかは、キリスト教国では当たり前のようになっていたようにも思われます(すべての国ではないにしても)。日本の国においては、それが例え自国自らのもので無かったとしても人として、国として、今後の国に必要と思われるのであれば採用をし、守るようにしていくべきであろうと思います。ところがこれができない・・・。それで議論する前に感情論が先に出てきてしまうように思います。何故か、やはり人間界以外の所からの言葉の介入というものが歴史的には無論、思想的にもないからだと思われます。旧約、新約の聖書の神という意識がないかぎり、実際に旧約ではこの地上の人間がその言葉によって、生きもし死にもした歴史を持っている訳ですから、そういう基盤があっての「これに聞け」とはならない訳です。この理解は、僕らキリスト者にとっては、非常に重要です。まさに人間をも創造せし全知全能の神がいるかどうかに関わりますから・・・。
◆そういう歴史を踏まえたアメリカの人々の草案が日本国のあたらしい憲法に盛り込まれているのですね。17世紀以来の立憲主義に至るまでの人類の格闘の歴史を踏まえた土台をもとに、日本が敗戦国となった時、東京裁判時点ですでにどのような国にするかの草案はできていたのです。東京裁判になぜ天皇が出廷しないのか、映画の中ではそれの指摘をした者も確かにいました。しかし、事前に天皇の責任回避は証人としての喚問も回避させることはアメリカの事実上の単独占領としてのポリシーとなっていたことです。インドのパール判事のようなアメリカの原爆と戦争そのものを非難し日本を庇護するような見解も述べられた人もいました。特にスターリンなどは、現在も北方領土の課題があるように策士でしたからマッカーサーはアメリカの世界政策に邪魔が入らないうちに基本線を草案によって事前に緊急に引いたと言われます。それは、次の二点
◆ひとつ:天皇が統治権の総攬者(一手に握ってすべて治めること)ではなく国民主権を前提にした象徴にすぎないことという地位とはっきりさせる。ひとつ:天皇の権威を掲げた軍隊がアジアに出て行かない、つまり皇軍の廃止です。つけ加えれば天皇と皇軍を結びつけていた国家神道を政治から分離することでした。
◆イエス・キリストは弟子たちにすべての国へ行って自分のことを宣べ伝えよと言われたのです。この日本の国に福音は届いているのです。僕は日本の国の神学が是非とも必要だと思っているのです ・・・続きます  

世界のベストセラーを読む(335回目)憲法記念日にあたり そのモヤモヤⅠ

2017-05-03 11:29:12 | 日記
 今日は憲法記念日、今年は憲法施行70年に当たります。大いに学んで議論を深めたいところです。「あたらしい憲法のはなし」という本は、かつて学校でも教えられていたそうですが(とてもよい理想が書かれているので一度は目にすべき)戦争に負けてその後、施行されたということもあってまた、いろいろその他の追いつけ追い越せの詰め込み教育もあってその学びの時間は裂かれなくなったということを今朝のニュースでやってました。選挙権年齢が下がったのですから、その辺の学びをしっかり行えば政府に都合のいい考えの人間ではなく、逆にこの日本の国に必要なもっとしっかりした考えを持たなければいけないなという考えを持つ若者が育つと僕は思います。
◆平和憲法を守る会県民集会の案内をいただき午後から参加してきました。個々の課題についての見解はありますが、政治的な党派見解は僕は持っていません。つまり先に○○党だから賛成という考えはしないということ、ここの具体的な内容で見解を持つという立場です。集会で第二次世界大戦下でのドイツの牧師マルティン・ニーメラーという方の言葉が政治学者丸山真男さんの訳で紹介されました。ヒットラーの弾圧が日増しにひどくなるにつれて「私は共産主義者でなかったから共産主義者が弾圧されたとき私は何もしなかった。私は社会主義者でなかったから社会主義者が弾圧された時、私は何もしなかった。しかし、教会が弾圧の影響が及んで来た時、私はそれに反対した。けれど時は既に遅かった。」これは、実社会において今のキリスト教会がよく心しておくべき事だと思います。
◆だいぶ以前に紹介した今世紀最大のキリスト教神学者カール・バルトも大戦下社会運動に加わり赤い牧師と呼ばれたこともあります。この日本において、周囲から信仰の見本として(キリストの証人として)見られる立場におけるものにとって、社会の事柄に極端に白黒を表明すると一般受けしないということもあり、つまり、信仰の勧め、宣教、牧会だけで実際の社会運動には白黒表明しないのが賢明、いつも中立を保っていることがこの国では賢明な事のようですが、実際、白黒表明しなければ何もしない人というイメージもあり、これは自分の生き方に賭して行動如何に関わらずきちんとした見解を持つべきと思われます。
◆憲法の話がどうして「世界のベストセラー”聖書”」と関係があるのか。これは大いにありと言わなくてはなりません(政治学者や憲法学者は無論承知のことなのです。そして闇雲に改憲の方で意見の多いのは戦後アメリカに押しつけられた憲法だからという理由です。これはいくらなんでも間違いではないかしらね。いずれにしろいろいろ見解があるでしょうし、ブログでは政治ブログになるのでこれまでですが、やはり歴史をよく学ぶべきかと思います。都合の悪い歴史は、学校では教えてくれませんから。(そもそもこれも問題なのですが、人間は生きるべく不動の基点がないとうろうろ動揺するばかりとなります。聖書を学ぶことはそもそも歴史を学ぶことを抜きにしてはありえませんので・・・)。
◆さて、そのキリスト教は結局、昔は大西洋、インド洋を越えてのスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス(ブログの”259-261回”を読まれてください)、明治期以降は太平洋を越えてのアメリカからの宣教師が日本に来た訳です。大いに日本のために尽くされたのです。東京青山墓地の外人墓地エリアに前の東京都知事石原慎太郎さんの感謝の辞の石碑がありますね。
◆しかし敗戦前の明治期後半が日清、日露戦争あたりで鼻高々になって世界情勢に無知となったのです。日本人には何が欠けていたのかよく考えるべし。そして今も!(資金がどこからとか、背後でユダヤ情報機関が動いていたことは公にはなりませんけど)だからというか今でもそうですが、キリスト教でカルチャベートされたきたところの国との戦いには背後に神が控えているからと言えばそれまでだが情報においても、世界戦略においては負けてしまうのですね。(僕は右でも左でもないのですが日本民族は集団としてもとても優秀だと思います。これが独自のキリスト教神学を持つと怖いものなしという思いがしているのだけれどなぁ。「日本の神学」を望む。)・・・ 続く 

世界のベストセラーを読む(334回目)雑感:あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ

2017-05-03 09:44:41 | 聖書・聖句
 全国的に晴れて今朝もよい天気で5月の連休を迎えています。気持ちのよい天気で・・・と書きたいところですが、体調も優れず気分が沈んだままで朝をようやく迎えられる方もおられるかもしれません。いずれ、若いときの意欲も減退し、自分の考えていた現実的な夢なども果たせなくなる時が来るかもしれません。実際、年を重ねると基礎代謝は落ちるし、筋力も落ちるし、記憶も衰えてくるし・・・といいところがない。しかし、それだからというか神が自分の似姿に創造されし人間が諸々の欠陥がありながらもここにこうしているわけであるから、この自己を観察することはその欠陥を補う方(ここで世界のベストセラーは聖書のことを書いてきているので)キリストに繋がるということに結びつきます。
 昨日は、高齢の両親とドライブ(往復100キロ以上ドライブ)お花見。で・・何も確定無く昔のことは記憶だけで以下書いております。
◆「夢」について
作家の(今はもの書いているのな)庄司薫さん(「赤ずきんちゃん気をつけて」を書いた方:サイン本を持ってます)が僕の学生時代、大学祭に来て話をしたのですね。「バクの飼い主めざして」とかいう講演幕のまえで話をされて、「これからは想像力を持たないと夢は持てない」とか「大人になるということは若いころの夢が現実にはならないことを知ることだ」とかいうような事を話されたことを覚えている。亡くなられた奥さんのピアニスト中村紘子さんの書かれた「チャイコフスキーピアノコンクール」でしたか、何かの賞をもらわれましたがとてもよく書かれていましたので旦那の支援がかなりあったのかなと不謹慎なことを思ってしまったことがありました。
◆「文学」の多様性(つまり読者の受け取り方は変化に富むのが本来の面白さ)
それから大学祭といえば「されどわれらが日々」を書いた柴田翔さん(作家であり大学の先生)、自分の書いたものが大学の試験に採用されたらしいが、その設問が本来、読者により多様性のある解釈があるべきなのに、質問自体がある特定の解答を求めるような質問はよくないなというような話でした・・・。学生運動の末期のころだからしかるべき内容の書かれた作家を招待したのだと思われます。覆面パトが構内に入ったというので、その手の学生が門を閉めて大勢座り込みをして、騒動を起こした記憶があります。ヘルメットかぶって授業を休講させられたこともあったなぁと、みんなあのころのエネルギーはどこへ行ったのか・・・。
・・・今の方には、分からない作家(ネットでは検索できます)だろうから僕の歳がわかられますねぇ。入学して当時は、井上ひさしさんが来ていたような・・・入学当時は僕はまだ文学(文字を頻繁に読むこと)つまりキリスト教にも全く目覚めておらず暗い青春でした。
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 もし、あなたのみおしえが私の喜びでなかったら私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。(詩篇119篇92節:新改訳 いのちのことば社)
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