marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(337回目)憲法記念日にあたり そのモヤモヤ覚え書きⅢ

2017-05-04 16:05:14 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 あまりよい表題ではありませんので今回で終わりとしたいと思いますが、改憲したいと今の総理が語られていますが、まず、憲法も学ばせ議論もできるような学びの土台を本来すべきと思います。戦後、「あたらしい憲法のはなし」は学校で学ばされたそうですが多くの人は断片的にしか知らないのではと思います。歴史認識もしっかり学ばないと気分に流されてしまいます。こういう土台を富国産業のためだけに知力を働かせていては、将来的な屋台骨が崩れるというものです。特に歴史の捉え方。昔、評論家の小林秀雄という人が、日本は歴史は思い出に過ぎないというようなことを話しました。歴史の教訓というもの、その体験から何を学ぶか、何が次の世代に普遍性を持って教訓としてでもいいですが伝えていくか・・・というようなことがそもそもこの国には、考え方の土台が学校教育でまともに教えられた記憶がありません。(知ってはいけない歴史もあるからですねぇ)
◆例えば、先に書いた映画、遠藤周作の”沈黙-サイレンス-。もし、真相を知りたければ世界に目を開かせ、当時の世界経済動向をよく考えれば、つまり世界の経済的繁栄の中心となった動向を読み取れば裏事情がよく分かるというものです。15世紀末の新大陸の発見と東インド新航路の発見、イタリヤが落ちぶれ、イベリア半島スペインなどが勃興、その後、それも落ちぶれオランダ、イギリスが起こりと、つまり、植民地政策の過渡期に東インド航路に乗って宣教師が来られた訳です。それに先立つこと現アメリカ中南米の国々の人は国がなくなったのですね。今は世界遺産になったりしているが、そういう情報を日本の武士が貿易で競合する相手からタレ込まれたり、武装戦艦で威嚇を受けたりしたら、まずは底辺からしかも心に張り付くと信念に変わる宗教を敷延されるとなれば、根こそぎから国はなくなるとは誰しもが思い禁止するのではありませんか。いつも犠牲者は、真面目な信仰者なのです。その、大衆の心理状態を現在も(この国も)どの国も危惧している訳です。その大衆心理が現在も働いていないかどうか、世界はどうか、イエスの言葉を獲得し広めんとする時、多くの人が足もとをすくわれるように感じ、信仰の秤に人という評価が入るのであれば、ご遠慮しますということになるのは当然と言えるのではないか。
僕らは、イエスが悪魔に心見られる話を(マタイ4:8-9)を今こそよく考えて見なくてはいけないと思われます。
◆さて「あたらしい憲法のはなし」はネットで検索すると全文が読めるようになりました。この中でも「戦力を保持しない」という第九条が問題になりそうです。戦争とは何か、戦力とは何か、自衛する場合はどうなのかとかのまずはこの文章の文言の精査が必要と思われます。黒い経験をしたから白になるための一切の手段を捨てるというのですが、ここにも日本の理想と現実、私(自国)と他(周囲)などの考える上での言葉そのもの、そしてそれまでの歴史認識についての甘さが(隙間が)いっぱいあるように思われてしまいます。そういう意味で、キリストがこの地上に誕生して以来、理解するという手段となる言葉は地上の人間にもたらされたが、そのために格闘してきた歴史を持たないこの国はまだ、まだ弱いところがあると思います。実際は、それ以上に現実は辛辣で弱みを思うならばさらに遠くを見据えて先手を打って勝者となっていかざるを得ないというのが世界の実のところのです。キリスト者にとっての解決は人間の罪の解消ということに行き当たらざるを得ない。そしてひとりひとりは何を土台として立つかに関わってくるのです。
◆もう一つ覚えて起きたいこと、それは政教分離とは、キリスト教国の欧米と日本のそれはその成立理由が異なることです。今年は宗教改革500年で、その政教分離はカトリックとプロテスタントの凄惨な多くの犠牲の上にその教訓から出てきたことで、圧倒的に宗教が強かったのですが、日本のそれは、政治権力が国家神道として宗教を利用したのです。これが日本の政教分離を言うところの問題点です。では、2017年の現在は、この国ではそれがきちんと行われていると思われますか。例えばウィキペデアで伊勢新宮を見てみなさい。
◆こういう考えの基本となる歴史認識から、旧約以来の物事を考えるそもそも人という生き物はなんぞやを深く言葉により考えてきた欧米には負けてしまうのですね。・・・モヤモヤは続くのですが この国のひとりひとりが永遠の命を与える神のことばをひとりひとりが持ち続ければ(欧米に習うことなく)負けなしの国になっていくと僕は思っているのです。・・・ Ω