もし、旧約聖書(ユダヤ教の人たちにはこれが「聖書」そのものですが)の第三章が、この地上の人において、女性が男性に於いて少し劣っていると見なされる原因となったとすれば、世の女性たちは、過去にではなく今このときに於いて、そのときの原因の解析と対策を考えなければいけないのではないだろうか。その要因、つまりどうして、聖書には、エバは伴侶者であるアダムとの会話より、サタンの化身であろう狡猾な蛇との会話が対等な会話の相手同士として記載されているのだろうか。
◆エバは、神がそういって禁じたという会話そのものが掲載されているが(創世記3:2)、直接、エバに語りかけたという記事はない。エバがアダムから取り出されて創造される以前、アダムが一人でいる時に直接、神がアダムに禁じた事なのであった。否、そうではなく書かれていないけれども、記事の通りエバにも神は直接、善悪の木の実を食べてはいけないと言われたのだ、とすれば、エバは神の直接の命令よりも、魅惑的な蛇の言葉を信じたということになる。まさに、「何ということをしたのか」(3:13)である。
◆女に向かって「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」(3:16)と言われたが、この記事からすれば、今の地上の人類の様々な問題、すべてのありとあらゆる地上の肉の欲を満たしたいという種は、このとき、つまり創造主の神に替わって支配したいという狡猾な蛇の思惑の欲求と、そうでなければ、人が産まれ創造主を求める心の指向性を自分の支配下に取って替わらせたいというサタンの思惑の欲求の種(起因となる根本原因)がこの事件で入り込んでしまったということなのである。
◆この神の霊を授け、命を与え、繁殖し続けるというこのシステムは一度、創造され働き続けると収束させるということが出来ないシステムなのであった。というより最高傑作のシステムだったから皆無にする、リセットするということは出来ないのであった。(とすれば、今の原発と似ていなくもないな・・・システムは完成、その入れ物の完成度をめざすこととその維持というところは、神と人類のありようと似ていなくもないなと思う。極めてもろく、いずれ遠い将来には解決がくる・・・いずれもこの地上に於いては死を迎える。)
◆この時から、蛇は天上界に帰れなくなって地上をうろつきまわる霊となった。創造主に対する嫉妬は、地上における神の最高傑作を破壊することである。イエスは、言われる「悪魔は、人殺しである」と。無論、その霊は、宿るところを求めて今もうろつきまわっているのである。この創造された世界に於いて、その最高傑作である神のかたちをした人の霊を自分の支配下に置き、人を殺すために猛烈に働いているのだと考えられる。
◆人は、その霊の器を持つから、その支配下になってしまわないように、神の霊とのつながりの障害となるべくすべての肉の思いを殺せと語る。これは、新約になり、イエスが人類の救済に来られた意味でもある。肉の思いをイエスの十字架につけよとパウロは語るのである。
聖書の言わんとすところは、一つである。個々人の永遠の命への帰還である。それは、キリスト教でいうところの「救われる」である。実際にこの不条理なこの肉体は、イエスの十字架を信ずることにより人間には為し得ないそのシステムのバージョンアップが全く新しいものに置き換わり過去のその汚染のシステムが消滅し、全く完全になるということ、そして救われるということなのである。
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肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従い得ないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなた方の内に宿っている限り、あなた方は肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなた方の内におられるならば、体は罪によって死んでいても”霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
(ローマの信徒への手紙第8章6~11節)
************************************************************ ・・・・ 続く
◆エバは、神がそういって禁じたという会話そのものが掲載されているが(創世記3:2)、直接、エバに語りかけたという記事はない。エバがアダムから取り出されて創造される以前、アダムが一人でいる時に直接、神がアダムに禁じた事なのであった。否、そうではなく書かれていないけれども、記事の通りエバにも神は直接、善悪の木の実を食べてはいけないと言われたのだ、とすれば、エバは神の直接の命令よりも、魅惑的な蛇の言葉を信じたということになる。まさに、「何ということをしたのか」(3:13)である。
◆女に向かって「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」(3:16)と言われたが、この記事からすれば、今の地上の人類の様々な問題、すべてのありとあらゆる地上の肉の欲を満たしたいという種は、このとき、つまり創造主の神に替わって支配したいという狡猾な蛇の思惑の欲求と、そうでなければ、人が産まれ創造主を求める心の指向性を自分の支配下に取って替わらせたいというサタンの思惑の欲求の種(起因となる根本原因)がこの事件で入り込んでしまったということなのである。
◆この神の霊を授け、命を与え、繁殖し続けるというこのシステムは一度、創造され働き続けると収束させるということが出来ないシステムなのであった。というより最高傑作のシステムだったから皆無にする、リセットするということは出来ないのであった。(とすれば、今の原発と似ていなくもないな・・・システムは完成、その入れ物の完成度をめざすこととその維持というところは、神と人類のありようと似ていなくもないなと思う。極めてもろく、いずれ遠い将来には解決がくる・・・いずれもこの地上に於いては死を迎える。)
◆この時から、蛇は天上界に帰れなくなって地上をうろつきまわる霊となった。創造主に対する嫉妬は、地上における神の最高傑作を破壊することである。イエスは、言われる「悪魔は、人殺しである」と。無論、その霊は、宿るところを求めて今もうろつきまわっているのである。この創造された世界に於いて、その最高傑作である神のかたちをした人の霊を自分の支配下に置き、人を殺すために猛烈に働いているのだと考えられる。
◆人は、その霊の器を持つから、その支配下になってしまわないように、神の霊とのつながりの障害となるべくすべての肉の思いを殺せと語る。これは、新約になり、イエスが人類の救済に来られた意味でもある。肉の思いをイエスの十字架につけよとパウロは語るのである。
聖書の言わんとすところは、一つである。個々人の永遠の命への帰還である。それは、キリスト教でいうところの「救われる」である。実際にこの不条理なこの肉体は、イエスの十字架を信ずることにより人間には為し得ないそのシステムのバージョンアップが全く新しいものに置き換わり過去のその汚染のシステムが消滅し、全く完全になるということ、そして救われるということなのである。
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肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従い得ないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなた方の内に宿っている限り、あなた方は肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなた方の内におられるならば、体は罪によって死んでいても”霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
(ローマの信徒への手紙第8章6~11節)
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