marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(458回目)しがらみの解消 実は人気の無い『日本基督教団信仰告白』

2017-11-18 17:06:46 | 日記
 前回のブログに紹介しました内容は、日本のキリスト教団に属していますキリスト教会は、大切にしていますが、実は人気がありません。ですから教会によっては、礼拝にこれを式文に入れていないところもありますね。これまでまとめた先人達の苦労を心から敬服します。組織ができあがるとそれを統括する信条ごとき共有事項の信条がやはり必要となる訳だから。
◆人気が無いのは僕が思うに、まさにデリケートに考えれば、しがらみを作ってしまう元凶のようにも察する人がいるからと思います。人間は弱い者ですから、一通りの解釈をすると今度は、その知識を総括し始めるのですね。人の言葉に置き換えてしまうということ、分かったように満足してしまう。他の人の心を組織という機構が束縛していく傾向と思われてくるのを感ずる。人間の学習はこの繰り返し。しかし、こと宗教になると今度はそれに縛られていくのですね。そこに宗教は、教祖様が出てきたり、アヘンだとか、ニーチェがアンチクリストを書くようになる訳です。考えて見てください、一番前の「日本」という国はそもそも何かということが気にはなりませんか。これが、中国基督教団信仰告白とか北朝鮮基督教団とかであれば、どうです? ちょっと引いてしまいます。
◆弊害はカトリックの歴史を見れば察する。昔、わたしは神だといった法王も本当にいたのだから・・・。”使徒信条”を検索しても、そういう思いがする。つまり、人間の言葉で分かったように総括し始めた途端に腐敗していくのだ・・・。前に書いたけど、エマオの途上の二人の弟子が、キリストの磔刑に会い落胆して帰るところ道すがら復活したイエスに会うが気がつかない。心が燃えた二人に頼まれたイエスが、泊まる部屋でパン裂きをすると、弟子の二人はそれが復活したイエスだと分かる、と同時にイエスの姿が消える・・・。二人はすぐに復活のイエスに会ったことをエルサレムの弟子達に告げに引き返す、という場面。僕はこの場面がそんなところから好きなんですねぇ。
◆今年は、宗教改革500年 何度も書きますがM・ルターが新約聖書を読むならまず、”ヨハネによる福音書”を読みなさいと。自分の言葉で読んでいけば、どうして”三位一体”というようなことが言われたかがそれなりに分かります。

 僕はとてもひねくれているのか、イエスの復活は無論、ラザロの死んで四日も経った墓からよみがえりや、マリアの処女降誕などは、まったく疑わなくなった、今までのいろいろな学びや、体験から素直に通りだと感じられるようになった。高齢の域になったきて、痴呆が進んだのかも、子供に戻って来ているかもしれない。

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「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない。」(マルコによる福音書10:15) 
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