marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(456回目)悪魔は人殺しである、その手下にならないように真理の霊に繋がっておれ!

2017-11-15 21:47:10 | 日記
 神奈川の座間市での怖い事件を考え、書いてきた。永遠の命などと文字面で書きつつ、現実世界では殺人だ。今回ばかりでない、何故か考えられないような恐ろしいことが起こるのは何故なんだろう。命を与える神に、敵対するのが悪魔である。人の心の隙間に悪霊として入り込み当人には意識せず、殺人を成し遂げる。
◆昔、田舎のお寺に行くと怖い閻魔大王(これが仏教でいうところの審判者)の置物などがあったのを記憶している。それから地獄での有り様を描いたこれも怖い絵だ。生前、しでかした悪い行いに報いていろいろな罰を受けるというやつ。鬼がいて繰り返しその苦しみが行われるのが怖かった。ちょんまげを結っていた頃から、こういう教えを昔の人は代々宗教から学んだのだろうが、今の時代も死後の世界のことをまともに学ばなければならないと思っている。今の時代は、鬼はどこかへ行ってしまって、もっと僕らにはどうしようも出来ない悪魔が入り込んでいるのである。悪魔は神同様の霊の使い堕天使であるのだから。僕は長いこと考えてきた。キリスト者の秘密。
◆〔ここからが僕の現時点までの到達した結論みたいなもの〕 
1.人はその肉体が亡くなっても霊は死なない。しかし、時間がかなり経過すれば消滅する。それで、生き続けたいと願えば、その霊はリンカーネーションする。つまり、生まれようとする命を選び移行する。だから、前世の記憶などがあって生まれ変わりのような事態も生ずる、これは不思議でも何でも無い、そのようになっているのだから。昔から、(聖書)の時代からもそれがあたり前のように考えられていたと思われる記事が見られる。
2.仏教の考えでは、死後も生前の肉体に伴う魂の浄化の為に巡業の旅にでるようだ。○○回忌というのがある。よって、その旅が毎日、順調であるようお仏壇に向かい生前の僕らはお勤め(お経を読むなりして)をするのが推奨されること。お坊さんは毎日お勤めをする。これは死者の為であるが同時に自分(衆生)の為ともなるという教えである。キリスト者は、死ぬことを”眠る”という。死後も新たなる巡業としての旅はない。生きている今がそれに当てはまると考える。生きているキリストが聖霊として伴い、共に日々、戦う。従って、僕らはそれを忘れぬように祈る。死後の裁判、審判での欠点暴露、それは、イエスを信じた人間は、彼がそれを十字架で担ってくださったと考えるのである。再び、彼が地上に僕らを迎えに来た時、よみがえり共に天上界にいく。福音は死後の世界にまで宣べ伝えられている。キリスト者はイエスが復活した日曜の朝、礼拝し、永遠の命の確認の感謝の礼拝を献げる。
◆人には、命を吹き込まれ肉体を持たせられることによってのその吹き込まれた霊のその肉体を通しての人生の宿題がある、選択肢の出来きない肉体を与えられ生きている人間の内なる霊は、代々からの宿題を抱えている。最終、永遠の命への帰還である。人生はそのため切磋琢磨の期間でありイエスの言葉に出会うかどうかである。それが”今”である。人には霊的自覚というものになるまで、つまり人生の課題を見出すまで、中間時がある。ここに踏ん張りが必要だ。悪魔はこのときを狙う。「一緒に死にませんか・・・」。聖書は語る、「若きうちに汝の造り主を覚えよ!」である。永遠の命への出発であり、彼を信ずる、そこには地上に転生することはないのである。転生し巡業し魂の浄化の為の人生の宿題を繰り返すことはない。彼の十字架がそれを帳消してしまったからなのである。従って、この方以外には、永遠の命への救いはない、と書かれているのはそういう理由からである。仏教はどうなのか、ということはいずれ書きたい。
◆イエスが言われていることは、僕らに目には見えないが不思議な事ではなく事実なのである。彼が言うのは、真理の霊(聖霊)に繋がっていなさい、ということである。キリスト教の死後の審判、生ける者と死ねる者を裁きせんため・・・とは、神の霊に繋がり、永遠に生きる者とそうではなく、時間経過と共に消滅していく霊を持つ者とが分けられるということである。
***「命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ伝6章63節)***
◆生前、無念の死を遂げた者は、彼、彼女の地上での宿題を消化すべくふさわしい肉体を求め転生する。殺人を犯した者は、死後もその相手の苦労、生前こなさねばならなかった宿題の労苦を一心に担う、よって殆ど、天上界には戻れず、地上を徘徊し時間経過と共にその霊は消滅する。完全な死を迎えることになる。次回は、ドン引きするかもしれないが、今、この国のキリスト者はどういう方を信じているのかを、日本キリスト教団の信仰告白を紹介します。・・・・