「命に溢れてこの地に住む者はことごとく
主にひれ伏し
塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来たるべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。」 (旧約聖書 詩篇第22編30~32節)
◆今でも歴史あるユダヤの人々の詩篇の読みは、詩篇の冒頭の節を大きな声をで読むことで、その詩篇の終わりの全てまでを
理解し読みとると言うことです。 それではこの詩篇の冒頭は、どういう言葉なのでしょう。
それは、イエスがあの十字架上で叫んだ言葉なのです。
「わたしの神よ、わたしの神よ
なぜ、わたしをお見捨てになるのか。」 (同 詩篇第22編2節a)
◆イエスが、十字架上に自らの命を犠牲とされたことが、塵にくだった者(これはすでにこの地上には肉体として存在しない
亡くなった人が霊として陰府の世界に居る人々)もひれ伏し、そのイエスの行為(成し遂げてくださった恵みの御業)を
世界に(なぜなら、イエスの父は地上の全ての人々に命の霊を与えられているから)告げ知らせるでしょう、と謳っている
のです。
◆わたしたちが、普段に「神様」と呼ばれる方は光の下の目に見える世界だけではなく、生きているものも亡くなった方をも
時間も空間も全てを支配され理解されている方です。まことの「神」という方がどういう方かをよく考えてみたいものです。
◆イエスの生涯が最初に書かれたマルコ伝、次にマタイ伝と言われていますが、この冒頭の詩篇の叫びは、その読みの伝統の読みの
理解を知らないであろう時間経過の後、人々向けに書かれた、その後のルカ伝、ヨハネ伝には書かれていません。
この辺の学びをすることにおいても、何故かとても深い感動を覚えるものです。 ・・・ Ω
主にひれ伏し
塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来たるべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。」 (旧約聖書 詩篇第22編30~32節)
◆今でも歴史あるユダヤの人々の詩篇の読みは、詩篇の冒頭の節を大きな声をで読むことで、その詩篇の終わりの全てまでを
理解し読みとると言うことです。 それではこの詩篇の冒頭は、どういう言葉なのでしょう。
それは、イエスがあの十字架上で叫んだ言葉なのです。
「わたしの神よ、わたしの神よ
なぜ、わたしをお見捨てになるのか。」 (同 詩篇第22編2節a)
◆イエスが、十字架上に自らの命を犠牲とされたことが、塵にくだった者(これはすでにこの地上には肉体として存在しない
亡くなった人が霊として陰府の世界に居る人々)もひれ伏し、そのイエスの行為(成し遂げてくださった恵みの御業)を
世界に(なぜなら、イエスの父は地上の全ての人々に命の霊を与えられているから)告げ知らせるでしょう、と謳っている
のです。
◆わたしたちが、普段に「神様」と呼ばれる方は光の下の目に見える世界だけではなく、生きているものも亡くなった方をも
時間も空間も全てを支配され理解されている方です。まことの「神」という方がどういう方かをよく考えてみたいものです。
◆イエスの生涯が最初に書かれたマルコ伝、次にマタイ伝と言われていますが、この冒頭の詩篇の叫びは、その読みの伝統の読みの
理解を知らないであろう時間経過の後、人々向けに書かれた、その後のルカ伝、ヨハネ伝には書かれていません。
この辺の学びをすることにおいても、何故かとても深い感動を覚えるものです。 ・・・ Ω
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