marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(516回目) 神よ、どうしてなのか!

2018-06-09 08:00:00 | 日記
 「命に溢れてこの地に住む者はことごとく
    主にひれ伏し
  塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。

  わたしの魂は必ず命を得
  子孫は神に仕え
  主のことを来たるべき代に語り伝え
  成し遂げてくださった恵みの御業を
    民の末に告げ知らせるでしょう。」  (旧約聖書 詩篇第22編30~32節)

 ◆今でも歴史あるユダヤの人々の詩篇の読みは、詩篇の冒頭の節を大きな声をで読むことで、その詩篇の終わりの全てまでを
  理解し読みとると言うことです。 それではこの詩篇の冒頭は、どういう言葉なのでしょう。
  それは、イエスがあの十字架上で叫んだ言葉なのです。

 「わたしの神よ、わたしの神よ
  なぜ、わたしをお見捨てになるのか。」  (同 詩篇第22編2節a)
 
 ◆イエスが、十字架上に自らの命を犠牲とされたことが、塵にくだった者(これはすでにこの地上には肉体として存在しない
  亡くなった人が霊として陰府の世界に居る人々)もひれ伏し、そのイエスの行為(成し遂げてくださった恵みの御業)を
  世界に(なぜなら、イエスの父は地上の全ての人々に命の霊を与えられているから)告げ知らせるでしょう、と謳っている
  のです。 
  
 ◆わたしたちが、普段に「神様」と呼ばれる方は光の下の目に見える世界だけではなく、生きているものも亡くなった方をも
  時間も空間も全てを支配され理解されている方です。まことの「神」という方がどういう方かをよく考えてみたいものです。

 ◆イエスの生涯が最初に書かれたマルコ伝、次にマタイ伝と言われていますが、この冒頭の詩篇の叫びは、その読みの伝統の読みの
  理解を知らないであろう時間経過の後、人々向けに書かれた、その後のルカ伝、ヨハネ伝には書かれていません。 
  
  この辺の学びをすることにおいても、何故かとても深い感動を覚えるものです。     ・・・ Ω 
 
  

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