marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(517回目) 会話の言葉の表層表現と深層意識(少しむずかしい表題に)

2018-06-10 05:45:29 | 日記
 「命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。
  
  わたしがあなた方に話した言葉は”霊”であり、命である。」 (ヨハネによる福音書第6章63節)

 ◆霊的な次元に於いて、話が会えば理解されるであろう方は多く居るのであろう。僕はそのことを信じたい。ただ、これまで
  述べてきたような、それでも長い歴史のある”しがらみ”からの解放しつつあることを理解しないと、その人はその人、と
  いう段階に留まるだけなのかもしれない。

 ◆「理解」と「納得」することは、異なるものなのである。「あのとき分かったと言ったではないか」という反論に「納得は
  していない」という返答は、だからあり得るのだろう。 善し悪しは別に判断の基準の発想点がずれているので意見がかみ
  合わない。感情的になり、それ以降の会話がなりたたないことも起こりえるのである。

 ◆誰もが、自分は正しい、正直だと主張することは、人という者、自分という者は、と客観的に見つめられない肉の段階の思考
  といえるだろう。そもそも、誰でもが、そう思い自己主張しているから宗教戦争が無くならないのではないだろうか。
  人のつたない言葉でしか語ることができない、人の言葉によって自分の肉なる神を肯定することは、低層の霊的次元の言葉を
  到底、理解しえないのかも知れない。

 ◆B/S放送で山田洋次監督の「家族はつらいよ2」を見た。家族会議の一場面。その当日、深酔いした親父が前夜に連れ込んだ
  高校時代の親友が寝せた不在の妻のベットの上で朝方死んでいた、というそのドタバタ劇。肉の思いに湧いたことを素直に
  感情的に言い放つ。これは、まさに、自分の肉に正直なことではある・・・。

  パウロの手紙の言葉内容を用いれば、肉的、表層的な言葉でのやりとりに、感情的放言、そして受け取りに劇場型の収集の
  付かないドラマが展開していく内容である。面白おかしく見えるドラマに、人の遺体にも接する仕事をしている家族会議に
  集まった看護師の冷静な対応が印象的であった。              ・・・ Ω                               
  

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