親愛なるJへ
◆僕らは西欧の神という言葉の概念を思い浮かべるときにイエスのこと(聖書)という西欧の言葉宗教といわれるそのまま読めば無機質な、あるいは今も行われている中東での女性軽視の部族長の争いの停止を促す、西欧のメディアによる啓蒙?、ひいては哲学や科学、その他もろもの学問に影響を与えてきた「言葉の神」をすぐに思い描いてしまうのではないだろうか。僕が思うにそれは、神が人の世界に神そのものを考える言葉を与えられて、人自らの世界を自らで開拓して前進するようにともとれる神の摂理であったといえば言えなくもないのではないかと思ってしまう。
◆自分で世界を切り開き、責任は自らの頭の上に被るのだぞ!という役割を人に与えられたのだということ。そして、時代は下り、今では瞬時に地球の裏側の事柄が知ろうと思えばわかるようになって来たということである。だから、人に係わるすべての学問が、神学から始まったということは、人が言葉というものはまず第一に神のことを考えるということに置かれたわけだ。フランスのパリ大学、イギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、アメリカのハーバード大学などはみんなそうだった。「神を畏れるは知識の初めなり」とう聖書の言葉が定礎に刻まれている。
◆人という生き物は弱いもので、言葉で表示されるとそれが文字に固定され、今度はそれが人を拘束していくものだという段階を踏んでステップbyステップという具合に向上していく。世界がここまであらゆる人に周知されてきているということは、新しい時代にとうに突入しているということだ。さて、先の手紙の追伸といえばいいいか・・・文字に残されていないことはすべてないことになってしまうのだろうか。しかし、信仰というものはそれが本物であれば永遠を求める者にその顔を表すものなのだろう。
◆「沈黙」についての時代背景を思う時、神がおられたのだろうと思われるのですよ。フランシスコ・ザビエルどころかもっと古い時代この国が形成されるかどうかの時期にこの国にはキリスト教が持ち込まれていたのですよ。江戸時代多くの殉教者を出しながらも、あの時代、スペイン、ポルトガルのキリスト教をこの国が鎖国として受け入れなかったのは、神の摂理であったと思われませんか。国家の植民地化が背後にあってそれらの国は来たのですから、しかし宣教師たちは純粋だったにもかかわらず、無論、ふとどき者の宣教師もいたのですが、大陸での受け入れてからの困難をこの国の為政者は知っていたのです。フィリピンという国名がどこから来たかを調べるまでもなく、この国は日乃本として守られたのですね。
◆当時の世界情勢を知っていた太平洋を渡り、遭難して日本国に流れ着いた徳川家康のブレーンとなった、ウイリアム・アダムス(日本名で三浦按針となった)イギリス人のことをよく思い出すのですよ。遭難して多くの犠牲者をだしながらも、当然、彼は船乗りだから当時の自国やヨーロッパの情勢を十分知っていたのです。宣教師を送った国がどんな国かも・・・。彼はプロテスタントなのですね。彼は多くの家康に多くのアドバイスを求められ大型船まで作ったという。外国船の出入りが三浦半島をとおるのでその水先案内を仰せつかる旗本になったから三浦按針と日本名を名乗ったそうです。 ブレーンといえば、東京八重洲に土地が与えられた名前となったヤン・ヨーステンもいましたね。いずれ神は、人の目にではなく神ご自身に誠実であるかを見ておられるのでしょう。
◆三浦按針は、帰国もしたかったのでしょうが、その後イギリスが来ても結局、日本に骨をうずめたのです。彼の日記には「神は試練をお与えになったが、それ以上の多くの恵みを与えてくださった」と残されているそうです。これが真のプロテスタントです。人知に及ばない神の摂理ということを僕はいつも思うのです。・・・
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