marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(601回) 不思議の国ニッポン。親鸞さんも伊勢神宮をお参りしていたのですね。

2019-11-04 17:16:28 | 手紙

親愛なるMへ

◆(599回に少し重なりますが)キリスト教に法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗の教えが似ていると言われる、霊的なと言えばいいいかそのルーツが知りたかったのですよ。(新約聖書のパウロの手紙、エフェソ書の第1章)。そこで分かったことは法然さんの両親は、古代の日本の国家の形成にかかわったであろう、聖徳太子のブレーンであった秦一族の分類に属していた渡来人だったというのです。秦氏はキリスト教徒ではなかたかと言われてますから、やはりそうかなと納得がいきました。法然さんの父の名前は漆間国時といって漆を扱う技能を持っていたようです。母は錦織ですから、織物か。機織りということばがあるように秦氏は織物の技術も伝えた集団で、いずれ大変な技能集団で実に多くの数の一団だった。(僕はここで「津波のように押し寄せる」というその漢字の「津」という文字が気になって仕方がなかったが日本の各地のもあるこの漢字のいわれも調べたいな)。で、東北の秋田にはハタハタといって冬にたくさん採れる漁法も伝えたのだろうと僕は思っているのです。ハタハタは漢字で魚偏に神と書くから(「鰰」)。だからあのテニスプレーヤーの錦織圭選手にユニクロがスポンサーになったのかななどと思ったりしましたけど。ところで漢字というのもそもそも秦氏が原案を作っていたものだったろうと思っているのです。(神が申し、示す。これが「神」という感じになったなど・・・そうかも、という漢字がたくさんありますねぇ。)

◆前に書きましたけれど、昔、道なきこんな山の中の東北の小さな村にも「八幡」という地名があるんのはなぜなのか。

秦氏は、イスラエルの失われた10部族の一団ではなかったかと言われていました。いまも盛んにyoutubeで見られますね。時代を経ながらも紀元前の捕囚によりイスラエルの失われた部族で東へ向かった一団だったとあります。途中で国も作っていきますが、中国で初めて国を統一した「秦(しん)」という国はありますでしょう。英語のチャイナになる謂れとなった国ですね。この歴史も調べると面白ですよ。そもそも彼らが背後で支えてできた国ではないのか? 日本で天皇を支える八幡神社の本山なる「宇佐八幡」という神社、日本各地にある「八幡神社」も神道辞典を見ると渡来人、秦氏、鹿島氏などの渡来人が伝えたものであると書かれている。こんな東北の山の中の田舎にもその地名があるのは、それが旧約聖書の民につながっていたと考えれば勇気が湧いてきませんか?八幡平という山、都会には近江八幡、代々木八幡などがあるでしょ。もっとたくさん。まさにその数、八万以上の神社があるそうです。

この日本にきて彼らが学んだのは、宗教によって民が分裂、争うのは決して良いことではないということを長い体験をとおして学んできたことではないでしょうか。(ピーター・フランクルさんもこれは日本の良いところですというのでした。前述ブログ)それで聖徳太子のブレーンだった秦河勝もあって「和をもって尊しとなす」と語ったのだろうと思います。蘇我、物部の争いもありましたからね。しかし、東北に地には竜が刻まれた神社や天井に絵が描かれていまけれどこれは物部のシンボルとなったものです。そのルーツも面白そうなのですが、この日本のいずこの神社の作り(その配置)などが争いがあったにもかかわらず旧約聖書のモーセが多くの民を引き連れ旅した幕屋に似ているのはどうしてなのだろう。僕はこんなところからも古代失われたイスラエルの10部族の民が順次、日本に来ていたのだと思わざるを得ないのです。記紀などの物語は、そういうベースがあって書かれたものだとするとより理解できるように思われるのですね。・・・



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