marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

高橋一生主演:NHKBS 川端康成の『雪国』を見る

2024-01-23 18:57:33 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

  2024年1月20日夜、NHKBSで川端康成の『雪国』を見た。ここも雪国ではあるが信越地方程雪深くはない。年を明けたとは言え、雪がまだ降らない。寒くなり今晩あたりから大層な雪が降るというニュースである。

ノーベル賞をもらった方とは言え、川端康成はどうもすかんけれど、表現がとてもいいといいうかきれいな書き方をする作家と思う。心理学や精神医学やら脳味噌に関する本などを読むのが僕はすきなのだが、というのも自分の阿保さ加減を点検できるようで。そんなのをかじっていると、書いた作者や物語の中の人々の心理状態や心情を思ってしまって、こういう表現は何故かなぁ・・・などと思ってしまう。うまい書き方だなどと偉そうに思ったりするが、この作家はすごく危ないところがあるなぁ。

すかんけれども、と書いたのは、はっきり言えば、これは一線を超えない主人公が爽やかに思い込んでいるだけのエロ小説である。それに時代とは言え、女性蔑視なのではないかと思ったりする。けれども時代が許せば、それは一時の切ない物語なのであると。『はじめからただこの女がほしいだけだ。』なんて言葉が出てくるし、第一、のっけから駒子に『この指が君を覚えていたよ』なんて言うのは、おいおい、その指で何したんだよ、などど思ったりしたものだった。

島村は自分(川端自身)ではない、と末の注解に書かれているけれど、女性の見た目や声をこれほどまでに美化して書いて表現するには、やはり川端自身が危ない、と思ったりする。なぜ、これほど女性を美化して、それが彼のイメージの原点なのだが、表現するんだろう。そのイメージが川端の作品のイメージの基なのだ。それにしても。。。

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殊に娘(葉子)の顔のただなかにの山のともし火がともった時には、島村はなんとも言えぬ美しさに胸がふるえたほとだった。・・・娘の眼と火が重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ、妖しく美しい夜光虫であった。・・・ 女(駒子)の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。・・・細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮が滑らかで、黙っているときも動いているような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。・・・葉子の悲しいほど美しい声・・・。

以上のような表現が点在。とにかく、女性に対する目線は、今から言えばちょっと異常!!特に、清潔とか不潔とか、の言葉はどうなのだろう。

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幼少の頃に何かあったんだろうな、と思ってみると、やはり2~3歳で父母を、7歳で祖母を、15歳でたった一人の姉と祖父が亡くなっていた。そういう悲しみの人だったのだ。島村が駒子に『早死にするわよ』と言われる場面があるけれど、そのように川端は自ら早逝してしまった。

これは小説の中で描かれてはいないのではなかったかなぁと思われた箇所。駒子が『貧乏がいやだ』となんども内心叫ぶところ。それから、いい名づけではなかったかと言われた芸後の師匠の息子の行男の名前をなんどもノートに書きつける場面。小説では、師匠も夫婦になるのを願っていたのであろうけれど、駒子はそれを否定したし決して表立って公言せず、むしろ村に病気で帰ってきても会おうとしなかった。

不思議な物語でもある。結局、病気になった行男を看病しつつ東京から付き添って来た島村が列車の中から瞳や声が美しいと形容する葉子と、駒子の関係はやっぱりはっきりしなかった。それをはっきりさせないところが不思議なところで、駒子は葉子さんと呼び、葉子は駒ちゃんと呼ぶ関係。同じ村で知り合いの若い娘が、いづれ東京に出ていくが、東京にいっていた行男との関係はどうだったのか、何故、駒子が村に戻り芸者を勤め、雪の晩に、国境のトンネルを抜けて島村が同乗していた列車に行男を看病しながら葉子は乗って帰ってきたのか・・・??

不思議な結論めいた回答をさがすと、どうも葉子は気がふれている(きちがい)という設定で、これを露わにしないために詳細を語らないために、彼ら(行男、葉子、駒子)の関係が最後までわからないという設定だったのではないか、と勝手に思っている。それにしても、島村の葉子に対する形状や声の美化は不思議なほどの描写である。

『国境のトンネルを超えると雪国だった』という場面。この場面から列車の中の筋向いにすわった女性葉子の描写からなど駅長との葉子の会話は、高校の教科書に載った。そのころ僕は当時、雪深い青森にいたので、非常にこの場面が印象に残ったのだった。1999年新聞にモデルとなった駒子さんが亡くなったという記事が掲載され、僕はそれを切り取って古本屋で100円で買った新潮文庫に挟めていたのだ。

  2022年の4月にも掲載した新聞の記事である。むしろ、こちらの実際の記事が僕はとても感動したものだった。

空想に夢を馳せ早死にした作家、対し小さき頃からの困窮に絶え、現実をたくましく生きた女性。あらためて当時の新聞の記事そのままを掲載して、この寒い夜の今晩から降るであろう雪国からのブログを終わることにします。

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 『川端康成の名作「雪国」のヒロインで「温泉芸者・駒子」のモデルと言われた小高キクさんが先月31日午前11時39分、胆管がんのため新潟県三条市の済生会三条病院で死亡していたことが3日、わかった。83歳だった。

小高さんは1915年(大正4年)11月23日、同市の生まれ。10歳の頃から新潟県長岡市や「雪国」の舞台となった同県湯沢町の置屋で「松栄」の名で芸者として働いていた。

川端が初めて湯沢を訪れたのは34年の冬。川端は高半旅館(現・雪国の宿高半)に宿泊し、当時19歳だったキクさんが呼ばれ、酒の相手をした。川端は36年まで、湯沢を訪れるたびに高半旅館の二階の「かすみの間」に泊まり、キクさんを電話で呼び出したという。

キクさんは40年、24歳の時に芸者をやめた。湯沢町の神社で川端にもらった原稿や本をすべて焼き捨てて三条市へ帰り、小高久雄さんと結婚。以降、和服仕立て屋の女将として暮らした。

その後、川端との交流はなかったが、川端がノーベル賞を受けたのを聞き「あの人も世界の先生になりよございましたの」と越後なまりで答えたという。亡くなる間際、「最後は静かに送ってくれ」との遺言があり、葬儀・告別式は〇日午前11時半から、三条市内で親族のみで営まれた。』



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