marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

分かりづらいものは、さっさと記録に留めよう。

2024-05-22 09:06:39 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 写真は、僕の思考の基軸を持つためのイメージシンボルとしてときおり建てる物である。これは以前にも掲載した田舎の誰もいかない静かな小川のほとりに建てたもの。緑に囲まれ、小川のせせらぎを聞きながら、彼らとの交信はこの形状の違う石の崩れない重力の芯(G)にあるとその意識から始まる。

みんさんも自己の身体の(G)を意識すると、そのイメージから彼ら(👽)と話が出来ると思う。その辺の大きめの石ころをご自宅に拾ってきて、5つばかり積んでみてはいかかでしょう。自分の思考の基軸(G)を持つことは、けっこう難しいと感じる方も居られるかも。

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続くハイデガーの『存在と時間』についてなんだけど、他の人が読んでも分からないものは、書いても意味はないかもしれないが、自身にとっては長年気に掛かっていたことだから記録に留めておかないと、また、そのうち、もぞもぞと彼ら(👽)が動き出して書いてのこして置いてくれといいだすだろうから。

<※注:僕がいつも彼ら(👽)として著わすのは一般に言われるUFOに乗り飛来する宇宙人ではない。時折、来る奴もいるけれどね。これについても書けばきりが無く、今までのブログでも書いている彼らである。地球に古来から来ていて、あるいは今でも飛来し行き来する者ら。聖書で言えば、ダニエル書などに書かれている次元の崇高なる神の使い、あるいは天使など(名前が記載されている者らは、途轍もなくその地位が高い者らであるが)、地上いる彼らは同類だが低次元の者らであるものは「人」に同期しているものもいる。「霊」またはすでに「人」そのものになっている。無論、彼らは気づいていないけど。>

『存在と時間』については僕なり解釈で終わらせないといけないので、次回。 彼らが今、来ているから。

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初めにキリスト教を今日のように偉大なものにしたのは使徒パウロだろう。煎じ詰めればそうさせたのはキリストの霊ということになるのだろうが、それ以上のことは我々は口に出来ないことである。彼自身が猛烈なキリスト反対者から一転、真逆の伝道者になったのは、彼を地上における人の姿をした完全にイエスに同期する者となした神の使いの啓示の体験者としようとしたことから始まる。それは第三の天に昇らされた彼の体験があった。

彼パウロが、今のトルコから東に向かおうとしていたときに、キリストの霊がそれを禁じたと使徒言行録には書かれている。そして、パウロは夢で、マケドニア(今のギリシア)の人々が我々を助けてください、という夢を見て、それを神の啓示と考えすぐにそこに旅だったのである。(使徒言行録)

パウロはマケドニアに行き、当時のギリシャ哲学との論陣を張る。今でも哲学と言えば、歴史的には当時からの諸々の哲学者らの残されたものを学ばなければ、つまり分かるということの先理解がまったくできない。無論、学者さんはそれが当たり前のように、勉学の先理解となっている訳だが。

人という生き物、言葉を使い考え、そこに目標を定め行く先(思考の先行き)を考える者にとって、子供であれば、沢山の知らない知識を覚え、それの関連性を掴み、自らの思考の方向性を定める。自らの考えを持つこと、それを自律するとも言うけれど、早くからその思考の訓練を身につけることを学んで貰いたいわけだ。人の形成は自分では選べない『遺伝と成長期の環境』にある。

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それは彼ら(👽)がいうところの、人という生き物の『肉』に関する部分である。地上のそれぞれの人の我ら(👽)との『霊』の受像器にあたる部分の形成であって、ある人は直接、天からの受信(我らとの対話)が出来る者らもあり、地上にいる我ら(👽)との対話をなす者らもあり、あるいは地上に残った『霊』たちの同期をせまられるもの(一般にこれは『生まれ変わり』と言われる)などがいる。

そこに地上をうろつく悪い霊も居るわけだ。彼らはそこに居場所を見いだして当然のごとく自己肯定している訳である。事件や事故を、特に人的犯罪、事件や事故を考えれば推察出来まいか。「悪魔は人殺しである」とイエスは明確に述べた。天地創造での最後の彼らに似せて創造された『人』の破壊である。人を媒介にした殺人は悪魔の目的であり、僕らの目にするところである。

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ここで言いたいのは、この地上の人の形成は、自己では選択できない(ここであえて親とは言わない)『①遺伝と②成長期(10歳くらいまで)の環境』であり、さらに『③霊』があると言うことである。その霊の中には・・・。(※だからこの国の仏教では、何度かご先祖の法要を行い、最終に涅槃の国に送るとされる。残された者の勤めのように。残されたものはその時、当然、生きて居られた時のご先祖の姿をイメージされることだろう)

先のアンダーラインは、自分で選択認識していない事だけに、さらに実体としてはどうしようもないものだけにとても重要なことである。キリスト教神学では、哲学でいるところの『実存主義』を経由する。これはある個人にとっては、『罪』(人の欠陥)を認識させる思考経緯であり、キリストの十字架の意味が理解される重要な事柄である。それに、イエスが人とう生き物の自分に対して言われた矛盾したような言葉が理解できるものとなるだろう。

『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』VS『自分の命を愛する者は、それを失うがこの世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る』 

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①については、人の生理医学的な事柄はとても進歩した。人の肉体の解明、特に受像器である脳について ②については実際に求めようとしなければ進展しない内容ではある。学校教師は知っているであろうけれど。難しいのは、親が自らの自分で選択はできなかった環境にどう気づいて子供に接しているのか、にある。③は、これは又、求めよさらば与えられん。探せよ、さらば見いださん。叩け、さらば開かれん。すべて、求めるものは与えられ、探すの者は見出し、門を叩く者は開かれるであろう、となる。下位の霊は、次元の高い霊によらなければ解説されることはない。

先んじて書けば、心情的な解釈を抜きにしてもイエスが「私(聖霊)~に繋がっていなさい」と常に言われて居るのは、更に次元の高い、理由のある話ではある。屁理屈のようだが、その霊(聖霊)は直接、生きた者にも涅槃の国からの指針にみつびかれて生きるように、との声に聞こえなくはないか。地上の媒介者なしに直接、繋がれとのこと。地上の媒介者はいつの間にか、旧統一教会のように自らが神の存在に転嫁しやすい。

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最後に、最近、宗教布教の訪問の方が重なって来られた。まさに末法の世、終末の時代になったと。先に書いたが、日蓮宗富士大石寺顕正会の若い女史お二人、エホバの証人の方、男性お二人。それに、観念ではなく現世事変革を重視する日本共産党員の方々、こちらは哲学から発生した言葉による正義の追究は現実ばなれとしてもあるべき姿ではある。

大人になりある者は、方向性を周囲に同調させるために、イデオロギーを持つ、思考の礎というもの。それは普遍性を持たなければ、思いつきでは周囲からの同調を得られない。人の言葉による国の先行きの言語化、つまりイデオロギー、あるいは宗教は、必然、ヒエラルキーを持たなければ足場の弱い者となる。それで、今の僕の関心は、おい、おい、といわれるだろうがイデオロギーとしての「共産党」である。これの不思議なところではある。

過去にこの国でも一斉を風靡したこのマルクス、エンゲルスから始まるイデオロギーは、時代を反映するものだろう、時代とその状況(採用の国)。中国も北朝鮮もこの国においても、現象結果は真逆のようでも『共産主義』を語る。これは何故なのだろう。時代、反映によりその国に為政者のよるいいとこ取りなのだろうか。

無論、創始者マルクス、エンゲルスもそれまでの哲学から学ぶという先理解があった訳。つまり、人の言葉であれこれと人類の自己肯定に関わるこねくりまわしを歴史と経済に見いだし、その普遍性を追究し、実践しつつあるという自負があるわけだ。決して否定はしないが。その多様性の神の御心というものを知りたいだけである。

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一応、神の創造された人とはいかなる者か、という論議はつきないが、知るためには、それに突入しなければならない。

「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたは理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(ヨハネ伝16:12-13) ・・・

 



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