marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その3)ボケ防止に:勝手に解釈ハイデガーの『存在と時間』

2024-12-13 16:32:04 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

欧米において、紀元前の哲学から宗教を経て、言葉による思考を粘りつよく追及してきた哲学、その原動力となったものは一体何なんだろうと改めて考える。

思考対象として明確であり、むろん、到底考えも及ばないものでも、改めて考えれば我々の肉体に影響を与えている、例えば「光」。それは影を作り、生物の成長を促す力も持つ。

天地の創造で神は「光あれ」との給う(旧約聖書:創世記)。アインシュタインは野原に横たわり、青空にまぶしく輝く太陽を考えた。今までの科学者に敬意を払いつつ。光を数式で捉えられないか。理論物理学、あくまで頭の中だけでの数式あれこれ。

それは世界を大きく変えた。エネルギーは質量に光速の二乗をかけたものと等価であり、しかも光速は不変であると。

天地創造の神に名を尋ねられ、私は「ある」というものだ、と宣われた。ギリシャのプラトンやアリストテレス以来、当然のことと疑問をも持たなかった哲学世界に、その存在にとことん言葉で煎じ詰めようとしたのが、ハイデガーではなかったか。

いづれ、神が創造された人を含めたこの被創造物を、ある者は科学として数式で、ある者はとことん人の言葉で突き詰める哲学として、果敢に挑戦してきた。

何を言いたいのだろうか。被創造物である人は、神の世界を知り、神に近づきたいと今も励んでいる。僕らが勉強するということは、つまるところ全てはそこに行き着くのではないだろうか。

20世紀最大の哲学といわれ、欧米の多くの哲学者に多大な影響を与えたが、日本の哲学本家の先生方もわかりずらい、と言われる、この書物を書いたハイデガーの哲学の根源はどこから来たのだろうか。

学生時代から、いつかは制覇せんとなぁ、などと勝手に思い上がっていたけれど、直接、読んでもチンプンカンプンだったのだけれど、後期高齢者の入り口で、そうか!と勝手に府に落ちる糸がほつれた思いに至ったのであった。・・・つづく 


(その2)勝手に解釈:中毒になるハイデガーの『存在と時間』をよむ

2024-12-12 22:33:15 | 思想・哲学

実に、取り組むとちょっと中毒になりそうな代物。哲学ご本家の先生方が『存在と時間』はわかりずらい、と申しておるわけですから・・・。中毒の結果として、両先生ご自身がこのハイデガーのこの本との係わりを話さなくてはいけないようにさせている、まずはそういう代物であること。『存在と時間』を読む人は、その係わりを第一に模索していかないといけない羽目になる本である。

こんな感じで、自分が生きて関わる自分も含めた周辺についての認識のありかた自体に、そこまで突き詰めて言うのか、言葉を変じて(意味を伝えるために文字を変じて)まで著わそうとするんかい、と文句を付けたくなりそうになるが・・・しかし、哲学世界ではこの人の影響をあたえた哲学者は多数にのぼる。

ハンナ・アーレント、J・p・サルトル、エマニュエル・レビナス・・・20世紀最大の哲学者と言われ、今でも重要な問題作とされる。つらつらと書き続けたいのだけれど僕らの日常の世界から、こねこね思考する言葉遊びの類いと思われるよう言葉遊びと思うような言葉が並んでちんぷんかんぷんかと。いずれ簡単に読めるものではない。

第一、従来の人が考えてきた考えかたそのものから破壊して見直すというような本。だから、このように著者はそれをこのように言葉で置き換えたとか、こう考えた・・・という説明だけで終わるような本である。僕のようにいつかは読んでみようと半世紀も過ぎて、そろそろ後期高齢者入り口で、ボケ防止にとかじりついて読んでみている訳である。

ところが、宗教おたく(知識の方ではなく文字と言葉を超えたものを追求中なのだが・・・)の僕としては、キリスト教神学の方をすこしかじってきたので、ふと気づくことがあった。神学の宗教色を脱色して極力、それが語る内容を精緻に分解し、言葉による思考を突き詰めて行こうとする、そのことが、ハイデガーの従来の古代哲学からの再思考に取りかかりを見いだしたものであろうと。

人間のことを「現存在」「世界ー内ー存在」とか、「本来性、非本来性」とか、何故、そういうのかとか?・・・続く 


勝手に解釈:ハイデガーの『存在と時間』を読む(その1)

2024-12-11 12:59:36 | 思想・哲学
 
半年あたりまえからblogに掲げていた内容に ”これから書こうと思うこと” という表題について、①ガザ・パレスチナとイスラエル、②PFASのこと、それに掲題、③ハイデガーの『存在と時間』の勝手に解釈、をあげていた。
 
①については、突き詰めれば、彼らの話は紀元前の旧約聖書の時代まで遡るし、宗教に関する話。天地創造の神の選民族と周辺のしかも同じ根源の神を信じているという急進過激派との争い。天地創造の唯一の神は、全世界に影響をあらゆる歴史に関して著わしているので、人類が救済されるまで(天地が滅びるまで)支配されているとされる。無残というより、そことを通して、神は『わたしである』と全世界の人々に警告を与えているのだ、と解釈できる。
 
②PFASは、最近とみにニュースでも取り上げられ、我々の口に水道水への汚染が危惧されて、今回、国内の基準以下だったなどの放映がなされていた。先のブログにあげたのは、その押さえる処方に特許を取得の講師の話を聴講に行ったことを書いた。気づかぬ内に汚染の中で生きていて、便利さや儲けを求めて、僕らの将来はもう既にかなり危うくなっているぞ、と。人類が作り世界に蔓延した目に見えない汚染物質。ハックルベリー・フィンの冒険のミシシッピ川はすでに泳げたものではないという話。
 
③は今回から・・・実に命(いのち)に関することに歳をとり、日増しに関心が強くなるので、学生時代からいつかは制覇したいと願っていた本なのだが、難しい。これからちりぽりと書いて行きたいと思う。まともに付き合えば、死ぬまでボケ防止の為に脳みそが鍛えられそうな代物である。それで語れば本当にキリがなくなる、理解するために、理解してもらうためにかなりの語りを差し込めねばならない代物である。・・・ちょと中毒になり難癖を付けたくなる代物。・・・続く