今日の深夜業務終わりの寄り道散歩は勝どきです。
勝どきと月島の間にかかる月島橋。
そこから月島川を見ると、船溜りとなっているようで多くの小型船に混じって廃業した屋形船が係留したまま放置されています。
そしてその屋形船と河岸を繋ぐ水色の台船。
これを見に来たのです。
実はこれ、旧海軍の内火艇だそうです。
内火艇というのは、手漕ぎの短艇(カッター)に対して内燃機関つまりエンジンを搭載した小型艇の事ですね。
先日、月島にもんじゃ焼きを食べに(本当の目的はHIGHSPEED Étoile聖地巡礼)来た数日後、なんとなく月島周辺の事をネットで眺めているとこの情報に当たったのです。
港での行き来のほかに、桟橋に付けず沖合に錨泊した艦艇の交通手段として使われるこの内火艇は戦闘艦に搭載される事も多いのですが、この目の前にあるボロいお船はなんと!
戦艦「比叡」に載せられていた内火艇らしいのです。
しかも、昭和天皇を乗せたこともあるんだとか。
戦後の函館で遊覧船として使われ、廃船となったこの船を60年前に屋形船屋さんが買い取ったそうです。
戦艦比叡は御召し艦を任され昭和天皇座乗で函館まで行った事もあるそうなので、真実味が出てきますね。
短距離の連絡艇とはいえ、天皇陛下を乗せるとなれば特別に設えた船内だったでしょうから、比叡が函館を出港した後も陛下が滞在する函館に残されたとも考えられます。
「比叡」は第三次ソロモン海戦で米軍機の猛攻を受け行動不能となった為に自沈処分となり、深くアイアンボトム・サウンドへと姿を消しました。
(撃沈では無く自沈なので)退艦した将兵を僚艦へと運んだ後に吊り上げたとは思えないので、ソロモン海で放棄された可能性もありますし、そもそも内火艇を降ろす余裕もなく比叡と運命を共にしたのかも知れません。
仲間は比叡と共に、あるいは戦地に放棄され日本に帰ることは叶わなかったにもかかわらず、自分ひとり戦後も生き残り、しかし海や川を行き交う船としてでは無く繋がれっぱなしの台船としてこんなにボロボロになるがまま朽ち果てる。
人であればどんなかたちでも生き残る方が良いに決まっているけれど、軍用船として生まれた彼女の本懐はどうであったのだろうか。
一度彼女に聞いてみたいものです。