おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

私学教職経験者として

2014年12月17日 08時45分19秒 | 社会


先日街へ下った際、上通りの入り口の催し物を行う広場でたくさんの高校生が整列して先生の話を聞いていた。

珍しい(退職して山に引っ込んでいるので様子がわからない)光景に遭遇し、足を止めた。

そして列の一番端っこに私が勤めていた高校の生徒が5人ほど並んでいるのを発見

そして見知った先生が引率で世話をしていた。

校長として6年勤め、自分なりに頑張ってきたつもりだがストレス過多で体調を崩し、医者から「このまま続けていくなら命は長くはないでしょう」と脅され、希望して最後の一年を付属幼稚園長に移動。60ですっぱり辞めた。

私学は学園の系列校がない限り「移動」がないので私の場合38年同じ学校に勤続した。こうなると学校は自分のアイデンティティーの大きな一部分になってしまう。

学校の浮き沈みは自分の体を膨張させたり萎縮させたり学校名が新聞に何度も踊るだと自分の誇りを擽られている様に嬉しくなる。しかし、逆の場合だってあるのだ。生徒・教師は血の通った人間、いいことも有れば悪いことも有る。

何より悲しいのは生徒の活躍がまったく情報で伝わらず窺えないこと。一番わかり易いスポーツは新聞で活躍がすぐ知れるのだが、わが高校最近ほんの一部(数人=個人)を除いてクラブが低調なこと。

県内で20連覇、30連覇というクラブも複数あったし、2クラブで6名のオリンピック選手を出している。今でもテレビでプロスポーツ界で活躍している者もいる。

これがほとんど低迷。文化部でも新聞で高校名を見ることがなくなっていた。

そういう状況の中で先日見た生徒達は街の真ん中アーケード街で他校生徒と一緒に書道のパフォーマンスをやったという。その直後だった。

同郷の先生にも声をかけた、「頑張っているようだね、生徒がこうして地道に活動している姿を見れて本当に感激したよ」とー

今朝の新聞では出場した生徒の内、数で一番少なかった我が校の生徒へのインタビュー記事が目に入った。新聞はどうしても有力校、卒業生で新聞社に影響力を有しているものの多い学校が優先されるし、公立優先私学後回し傾向が目立つ。特にこの土地では


生徒が文武で自分の目標に向かって一所懸命に頑張ること、そして教師はその活動を全力で支え、自分の実力を磨き率先垂範で生徒を引っ張ること。その結果が社会的評価に繋がっていくのだ

私学頑張れ!!strong>


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