1年前のブログを振り返る。しかし、1年前を振り返りながら7年前を振り返ることになる。7年前は生と死を見つめ、生きることの意味を真剣に考えていた。しかし、今はそんなことをすっかり忘れている。経済界と、経済界に祭り上げられた安倍政権は人間の真剣に誠実に生きることよりも「経済的な豊かさ」をごり押ししているからであり、それを日本国民も望んでいるからだ。そしてそれはほとんどの日本人が結局はあの地震の当事者ではないからなのだ。
もう一度振り返る必要がある。
3.11がまたやってきた。この日は必ずしっかりとあの日を思い出そう。そしてあの日からの大きな混乱も思い出そう。そして忘れていく愚かさを反省しよう。
原発の恐ろしさをあれほど味わいながら、いまだに原発をやめられないのはなぜだ。何らかのうさん臭さがあるに決まっているのだ。そしてそのうさん臭さを生んでいるのは我々日本人全員の責任だ。
あの日以来しばらく節電節電と言っていたのにもはや節約なんて馬鹿らしいことのようになっている。まじめに節電している人たちを笑っている人だらけになってしまった。
あれだけ絆といいながら、簡単に人を馬鹿にするようになってしまった。
人は忘れる生き物である。なんでも覚えていたらつらくて生きていけない。しかし忘れてはいけないものもある。
もう一度振り返る必要がある。
3.11がまたやってきた。この日は必ずしっかりとあの日を思い出そう。そしてあの日からの大きな混乱も思い出そう。そして忘れていく愚かさを反省しよう。
原発の恐ろしさをあれほど味わいながら、いまだに原発をやめられないのはなぜだ。何らかのうさん臭さがあるに決まっているのだ。そしてそのうさん臭さを生んでいるのは我々日本人全員の責任だ。
あの日以来しばらく節電節電と言っていたのにもはや節約なんて馬鹿らしいことのようになっている。まじめに節電している人たちを笑っている人だらけになってしまった。
あれだけ絆といいながら、簡単に人を馬鹿にするようになってしまった。
人は忘れる生き物である。なんでも覚えていたらつらくて生きていけない。しかし忘れてはいけないものもある。