『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその10回目。第十章。やっとここまで来た。
【ばぶ】
警察が来たその翌日、苦沙弥先生は警察に盗難品をとりに行くために早起きしなければならない。しかしなかなか起きない。ようやく起きて朝ご飯を食べる。
三人の娘も一緒にご飯を食べる。この様子がほほえましい。頑固おやじとかしまし娘である。明るい家庭小説になっている。
三女は雑巾で顔を洗う。それをやめなさいと姉に言われると「いやーよ、ばぶ」と口ごたえする。いくらちゃんの得意技「ばぶー」は昔からあったオノマトペだったことがわかる。
【警察嫌い】
苦沙弥先生は探偵が嫌いである。この場合の探偵は警察官のことを言っている。
「探偵というものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げる為には何でもする。あれは始末に行かないものだ。」
犯人をでっちあげることも辞さない警察に対しては手厳しい。国家権力と手を結ぶ傾向がある警察という組織は、今も昔もあまり変わらない。
【魂胆は不幸の始まり】
苦沙弥の姪の雪江が訪れる。八木独占から聞いた石地蔵の話をする。八木はその話をしたあと次のように言ったようである。
「人間は魂胆があればあるほど、その魂胆が祟って不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、まったくこの魂胆がありすぎるからである。」
後段は問題ある発言だが、前段はその通りだ。
【金田嬢への恋文】
苦沙弥の生徒がやってくる。金田嬢をからかうために恋文を送った友人がいる。その友人から頼まれたので自分の名前を貸したという。気が弱いためにそのことが大事になるのではないかと相談に来たのである。苦沙弥は親身になんか決してならない。冷淡である。さっさと返してしまう。
【寒月】
そこの寒月がやってくる。寒月は金田嬢との結婚話についてどうでもいいというような態度をとる。
この小説、話がまとまりがなくなってきた。しかし次が少し長めの最終章である。いったい結論がつくのであろうか。