とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『カラマーゾフの兄弟』ラストスパート

2017-12-11 12:06:24 | カラマーゾフの兄弟
 今年の目標のひとつに『カラマーゾフの兄弟』を読破するというものがあった。もっと簡単にできると思っていたら、苦戦している。

 光文社古典新訳文庫(亀井郁夫訳)で読んでいるのだが、やはりロシア文学独特の名前が覚えきれないという困難に出会い筋が追えない。そして話の展開が読めないので、どこへ向かおうとしているのかわからなくなり、なかなか先に進めなかった。それでも8月ぐらいに3巻まで読み終え、残り1巻。そこて油断して9月、10月はお休みにしてしまった。目標達成のために再開したのだが、4巻目の最初の章「少年たち」がよくわからない。なぜここにこの章があるんだろう。そこでまたスピードが鈍ってしまった。

 しかし11章からはいよいよ真相が見えてきて話が進み始めている。なんとか読み終えることができそうである。

 小説というジャンルのさまざまな要素が含まれていて、やっぱりすごい作品だというのはわかる。とは言え、やっぱり1回読んだだけでは、本当のおもしろさはわからなそうだ。できるだけ近いうちにもう一度読み通す機会を持ちたい。老後の楽しみになるのか、それとも老後の楽しみは3回目になるのか。そんなことを考える前に、まずはゴールまでたどり着こう。
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神と科学(『カラマーゾフの兄弟』)

2017-03-23 12:54:13 | カラマーゾフの兄弟
 『カラマーゾフの兄弟』を少しずつ読んでいる。ようやく第5編「プロとコントラ」まで進んだ。ここで展開されるのは、3男アリューシャと次男イワンの宗教論争である。イワンは大学で工学を学んでいて、神を信じていない。アリューシャは宗教人である。

 私が面白かったのはイワンがここでユークリッド幾何学に言及したことである。ユークリッド幾何学というのは、われわれ人間が経験上正しいと信じて何の疑問も抱かなかった体系である。しかしユークリッド幾何学とは違うが理論的に成立する他の体系が証明された。非ユークリッド幾何学である。イワンの主張は次のようなものであろう。

 キリスト教というのはユークリッド幾何学的なものであり、実はもっと広いところに人間の真実がある。科学にこそ人間の真実があるのだ。

 『カラマーゾフの兄弟』が世に出たのが1880年ぐらい。ちょうど近代から現代への移行期だ。「常識」が「常識」として通用しなくなる時期、大きな時代の変革の時期である。『カラマーゾフの兄弟』はその時代と真正面に取り組み、格闘した小説なのだろうか。

 おもしろくなってきた。
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『カラマーゾフの兄弟』を読む1

2017-01-17 18:11:15 | カラマーゾフの兄弟
 死ぬ前に『カラマーゾフの兄弟』を読んでおかなければいけないと思い、遅ればせながらこんなに年をとってから読んでいる。しかしかなり面倒くさい小説だ。

 何が面倒なのか。1つには名前が混乱するということだ。これがとにかく厄介だ。もうひとつ。光文社文庫の1の半分ぐらいしか読んでいないのだが、宗教についての議論が続いている。これがわからない。宗教について真剣に考えていなかった者にとっては、理解の外にある。

 しかし、近代国家が宗教とのかかわりの中で成立しているという発想は、日本人にとって新鮮なのではないだろうかと感じる。

 今後も読みながら気づいたことを書いていきたい。
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