とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

イプセン作『人形の家』を読みました。

2024-05-26 13:53:48 | 読書
イプセン作の『人形の家』を読みました。演劇脚本としては必読書のひとつだと思いますが、今回初めて読むことができました。今読む作品としてはとりたててどうということのない作品なのかもしれませんが、演劇史的にはとても重要な作品であると思います。

世間知らずのお嬢さんであったノラは、家族のために犯罪をおこしてしまいます。しかし世間知らずであったがために自分のやったことが犯罪だと気が付かないでいました。夫も出世して経済的にもこれから安定しそうです。順風満帆にみえました。ところが自分の犯罪行為に気付かされます。なんとかそこから逃れようと小手先の策を考えるのですが、まったくうまくいきません。しかもそれが夫にバレてしまいます。読者はみんな「かわいそうなノラ」と思うことでしょう。しかし、ノラは結局助かってしまいます。もちろん夫も地位も名誉も失うことなく、経済的にも助かります。読者もみんなよかったよかったと思うでしょう。

ところが戯曲はここから急展開します。ノラは助かった時に自分が単なる世間知らずだったことをはじめたわかるのです。つまり夫の「お人形」にすぎなかったということに気付かされるのです。世間知らずのお嬢さんであったノラは、夫から自立しようと家を出ることを決心します。このどんでん返しの構成に読者はびっくりします。

ブレヒトによって演劇に拠る「異化効果」という言葉が有名になりました。ブレヒトの場合はわざと「これは演劇だ」という演出をすることが異化効果であったですが、実は「人形の家」のようなどんでん返しは異化効果の典型と言ってもいいのではないでしょうか。こういう意見を言っている人をまだしらないのですが、私にはそう思えるのです。その意味でとても重要な戯曲作品だと思います。
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スウィフト作『ガリバー旅行記』を読みました。

2023-09-15 04:07:46 | 読書
スウィフト作『ガリバー旅行記』を読みました。大雑把に内容は知っていたのですが、実際に読んだのは初めてです。物語的なおもしろさよりも人間批判の色合いの強い作品であり、おもしろい発見がたくさんありました。

第一話は「リリパット」。小人の国です。第二話は「ブロブディンナグ」。巨人の国です。この2話は物語的な要素も強く、楽しく読むことができます。二つ国は相対化されることによって、人間自身も相対化されます。

第三話はラピュタなどの国々です。ラピュタは宮崎駿のアニメ映画にもなっている空中に浮かぶ島です。その外にもいろいろな国を訪れ、最後は日本にも立ち寄ります。日本に行った目的は、長崎からオランダ船に乗ってヨーロッパに戻ろうとしたからです。「踏み絵」だけはしたくないというガリバーの要求がおもしろい。とは言え日本の記述はごく短いものです。

第三話で特におもしろかったのは「ストラルドブルグ」という不死の人間です。不死とは理想のように思えるのですが、実は苦しいことが描かれます。この部分は考えさせられます。

第四話は「フウイヌム」。馬の支配している国です。フウイヌムは人間に比べて理性的で争いをしません。ガリバーにとって理想的な国です。一方その国には「ヤフー」と呼ばれる動物が住んでいます。ガリバーは「ヤフー」は人間の劣化した存在のように考えます。しかし、実は人間そのものであることに気づきます。フウイヌムと比較すると人間は実に愚かで醜い存在であることに気づいてしまうのです。自分たち「ヤフー」=「人間」はこんなに醜い生き物だったのか。ガリバーは人間不信に陥り、その心はもとにもどれません。

ガリバーは結局イギリスの自分の家に戻ります。しかし以前のようには生きることができません。「ヤフー」=「人間」に対する嫌悪感はもはや消えることがないのです。妻と再会したあとの次の記述は衝撃的です。

「自分がかつてヤフーの一匹と交わり、数匹の子を産ませたという事実を目の前につきつけられて、わたしはどれほどの屈辱、困惑、嫌悪にうち震えたことだろう。」

もはや人間を人間としてはとらえられなくなり、家族でさえ醜い「ヤフー」という獣にしか見えなくなっているのです。ガリバーは不幸な老後を生きることになります。第四話の人間批判はすごい。


『ガリバー旅行記』と云うと子供向けの物語というふうに勝手に思っていましたが、実は人間批判、文明批判の書であったのです。

世界的に有名な本でもまだ読んでいない本はたくさんあります。読みつくすことはできないでしょうが、少しでも多く読んでみたいと改めて思いました。
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大江健三郎作『狩猟で暮したわれらの先祖』を読みました。

2023-07-16 15:37:08 | 読書
 大江健三郎作『狩猟で暮したわれらの先祖』を読みました。これは1969年に出版された『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(新潮社)に収められている比較的初期の中編小説です。

 「僕」は三人暮らしです。妻と息子がいます。暮らしている街に6人の家族がやってきます。「普通」とは違う家族です。彼らはその街に住み着きます。「僕」かつて「山の人」と呼ばれている山間地で流浪する一族を差別していました。6人の家族がその「山の人」ではないかと恐れます。自分に復讐しにきたのではないかと。

 町の住民たちも、6人組の家族を警戒します。そして異質な存在として接します。住民と家族は奇妙な関係を保ちながらしばらく街に一緒に生活します。

 「僕」もその家族を警戒しながらも、なぜかひかれていきます。おそらくそれは彼らが自分にはない「自由」を持っているからです。共同体から自由なのです。しかし結局それは彼らを疎外していくのです。

 住民の常識が正しいのか、その家族の常識が正しいのか混とんとしていく中、やはり共同体の論理が勝ちます。どの世界でもそうです。共同体は目に見えぬ権力を背景にしているのです。「誰がどうみても共同体のほうが正しい。」そう思わせる権力を「共同体」は持っているのです。
 
 「国家」とは何なのかを突き付けてくる作品でした。
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斎藤幸平著『ゼロからの「資本論」』を読みました。

2023-03-01 17:03:26 | 読書
 『人新世の「資本論」』の著者、斎藤幸平氏の新著『ゼロからの「資本論」』を読みました。これは「NHK100分de名著」において放送された「カールマルクス『資本論』」のテキストに加筆・修正し、新たに書き下ろした章を加えたものだそうです。そのテレビ番組も興味深く見ました。マルクス主義というとすでに終わった思想のように思われた締まっていますが、実はこれからが本当に出現するのではないかと私は思っています。その考えを後押しするような本でした。

 現在日本ではソ連や日本共産党のイメージから、共産主義が悪いモノ扱いされています。しかし私はマルクスの思想には学ぶべき点が多いように思っていました。マルクスが言っていたのは、資本主義が行き詰った後に共産主義が訪れると言っていたのです。まだみんなが資本主義の恩恵を受け、資本主義を信じている時代に共産主義が訪れるはずがありません。

 本当に共産主義が訪れるためには、みんなが資本主義に嫌悪感をいだくような状況までにならなければいけないのだと思います。多くの人が資本主義が人間の不幸にすると考え始めた時に、共産主義がそれに代わるものとして顕在化する、それがマルクスの本来の考えなのではないでしょうか。

 現在、資本主義の悪い面が出始めています。世界的な少子化や、環境破壊、そして自国内での格差や世界的な格差など、あらゆる面で大きな問題が人類を苦しめ始めました。今の時代を俯瞰し、みんながより幸せになるために、もう一度マルクスの思想を考える必要があるのではないかと考えています。

 資本主義の行き詰まりの打開の方法を私たちは探していかなければなりません。そのためには共産主義と聞いただけで嫌悪感をいだくのはやめるべきです。
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今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。

2022-10-30 17:43:55 | 読書
 今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。近代小説の大きな特徴である「語り手」の存在が前面に出てくる二重構造の小説です。その構造が不思議な世界をつくりあげます。

 語り手はだれなのでしょう。主人公と思われる「むらさきのスカートの女」は確かに変わった人です。しかしすぐにその「むらさきのスカートの女」に、ストーカーのように固執する語り手のほうが異常であることに読者は気がつきます。しかし語り手はそれに気が付いていないようです。

 読者は「語り手」を観察し始めます。しかしその「語り手」の書いていることは本当に信じていいのでしょうか。どうもあやしい。同じ職場にいながらこんなに「むらさきのスカートの女」に近づけるはずがありません。それなのに無理な行動がさも普通の行動のように語られるのです。だんだん「語り手」が信じられる存在なのかもあやしくなってきます。

 このテクニカルな小説が本当に小説として優れているのかは私にはすぐにはわかりません。芥川賞に値するほどのものなのかは、他の小説も読んでみることによって見えてきそうです。今、私が考えているテーマに大きなヒントを与えてくれる小説であることは確かです。
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