とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『三四郎』読書メモ⑬

2024-11-06 17:59:33 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十三章。最後の短い章である。

この章は前の章から時間がかなり経過している。前の章の最後で三四郎は母からの「何時立つ」という電報を受け取っている。その後、三四郎は田舎に帰る。おそらくそこで御光との結婚話が取り上げられ、進んだ可能性もある。三四郎は冬休みをほとんど田舎で過ごしたのだと思われる。

十三章の冒頭では、語り手の視点も三四郎から離れている。語り手は三四郎専属とだれも決めていないのだからもちろんかまわないのだが、基本的には三四郎の視点にいた語り手なので、読者は多少の違和感を覚えるであろう。時間の経過とともに、三四郎を一瞬遠ざける効果がある。

二日目に美禰子は夫と来場する。

最初の土曜の昼過ぎに、広田、野々宮、与次郎、三四郎が訪れる。ここで三四郎が戻って来ることによって語り手は三四郎に再度近づく。野々宮は目録にしるしをつけるために鉛筆を探す。鉛筆がなくて葉書が出て来る。美禰子の結婚披露の招待状である。それを引きちぎる。三四郎は帰郷した時その招待状を見つける。三四郎が田舎にいた時にすでに結婚式はおわっていたのだ。この展開は小説っぽい。

与次郎は「どうだ森の女は」と三四郎に聞く。三四郎は「森の女という題が悪い」と言う。与次郎が「じゃ、何とすれば好いんだ」と再度聞く。三四郎は答えず口の中で「ストレイシープ」を繰り返す。素直に読めばストレイシープという第にすべきだと三四郎は思ったのであろう。ここに大きなテーマがあるように感じる。
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『三四郎』読書メモ⑫

2024-11-04 06:45:11 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十二章。

三四郎は文芸協会の演芸会に行く。盛況である。最初の演目は蘇我入鹿の出て来る芝居でよくわからない。幕間に与次郎を見つける。与次郎の動きを見ていると、野々宮と美禰子とよし子もいた。美禰子のそばに男がいてその男が誰なのか気になる。

次は「ハムレット」である。ハムレットがオフィーリアに言う「尼寺に行け」と言う。この言葉で広田の話を思い出す。広田がハムレットの様なものは結婚できないと言っていた。ハムレットはオフィーリアのために露悪家になったのだ。自分を悪者にしてオフィーリアを苦しめずに自分を諦めさせようとした。しかし結果としてはオフィーリアに一番の不幸が訪れる。そこにドラマがあるのだ。

ここからは邪推である。ハムレットは野々宮であろう。野々宮は結婚できない男なのだ。結婚よりも研究を好む男なのである。野々宮は美禰子の愛を断ったのだろう。では「尼寺に行け」ではなく、どうやって断ったのか。

ハムレットが終わり、三四郎は会場を出る。すると廊下で美禰子とよし子が男と話をしている。男を見て三四郎は逃げるように家に帰る。

三四郎は病に倒れる。与次郎が見舞いにくる。美禰子の結婚が決まったという。その男はよし子の縁談話の相手であった。

邪推の続き。美禰子は野々宮との結婚を望んでいた。同時に兄の結婚が決まったために、結婚を急ぐ必要もあった。美禰子は野々宮が結婚に前向きになれない理由はよし子の結婚が決まらないからだと勝手に思ってしまった。野々宮が結婚してしまえばよし子の居場所がなくなる。それを心配して結婚をためらっていたと考えたのだ。そこである男をよし子に紹介し、その男とよし子を結婚させることによって、野々宮をよし子から解放し、自分が野々宮と結婚するように画策したのである。ところがよし子が断った。自分の思い通りにならずに取り乱した美禰子は、野々宮のいる前でその男との結婚を宣言してしまったのである。ちょっと邪推すぎるかもしれないが、野々宮と美禰子の関係に、よし子と美禰子が結婚する男との縁談話が関わっている可能性は高い。家の問題が大きかった時代は、結婚は駆け引きの要素も強いのである。そこにエゴが出て来る。

三四郎は教会にいる美禰子に会いにいく。三四郎は借りていた金を返す。三四郎は美禰子に「結婚なさるそうですね」と言う。美禰子はため息をかすかにもらし「われはわが愆(とが)を知る。我が罪は我が前にあり」と言う。

美禰子は自分の画策の失敗を認め、罪を背負ってこれからの人生を歩んでいかなければならないのだ。
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『三四郎』読書メモ⑪

2024-11-02 07:42:12 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十一章。広田先生の夢の話が出てくる章。

与次郎は文芸協会の切符を売って回っている。

与次郎が三四郎の下宿に来る。新聞を見せる。その記事によると広田先生は大学の教師には選ばれなかった。もう一紙を見せる。その新聞は広田先生が自分が教師になる様に画策したとある。その一環として自分の知人の学生に「偉大なる暗闇」という論文を書かせたとある。そしてその論文を書いたのは三四郎だというのだ。三四郎は困る。与次郎も謝る。

実家から手紙が来る。冬休みには帰ってこいとある。御光は女学校をやめて家に帰ったということだ。三四郎との結婚話が本格化しているようである。

三四郎は広田の家に行く。広田は、与次郎の件は確かに迷惑だが、若い人ほど迷惑だとは思っていないという。

広田は夢の話をする。

生涯にたった一度逢った女に、突然夢の中で再開した。その女は十二三の顔に黒子がある奇麗な女であり、二十年ぶりにあった。その女は昔のままだ。しかしその女は広田に大変年を取ったと言う。女は「あなたはその時よりも、もっと美しい方へ方へとお移りなさりたがるからだ」と教える。広田が女に「あなたは画だ」というと、女は広田に「あなたは詩だ」という。それは憲法発布の明治二十二年に、森文部大臣が殺されその棺を見送る時にいた時の思い出であった。

女は一番美しい姿を残したいということであり、男は常に前のめりで生きて行くということであろう。美禰子の画が連想される。美禰子の画は美禰子の一番美しい姿を永遠に残すためのものである。しかし、それは美禰子の迷子としての魅力をそぎ落とすことになろう。作者の意図はどこにあるのだろう。

広田は例え話として、ある母子の話をする。一人の男がいる。父は早く死に母一人を頼りにそだつ。その母が病気になり、死の間際に本当の父をあかし、その男を頼れという。これと似たようなことが広田にもあったのである。
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『三四郎』読書メモ⑩

2024-10-30 16:18:08 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十章。いろいろな考える要素があって、長くなりそうだ。

三四郎は広田の家に行く。広田は合気道のようなものを稽古している。広田は三四郎に『ハイドリオタフヒア』を貸す。その中に「生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるはなお埃及の砂中に埋まるが如し。」とある。結局は自分に帰り、自分からは離れることができないのである。

原口の家に行く途中、子供の葬式に出会う。三四郎は美しい弔いだと思う。『ハイドロオタフヒア』を読み、子供の葬式に出会い、三四郎は客観的に人の生死を見ていることに気付く。そして美禰子のことを考える。美禰子を客観的に見ることができるのだろうか。三四郎は美禰子を客観的に見ることができないことに気付く。

「生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、真直に進んでいく。進んで行けば苦悶が除れる様に思う。苦悶を除る為めに一足傍へ退く事は夢にも案じ得ない。これを案じ得ない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上に眺めて、夭折の憐れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しい筈のところを快く眺めて、美しく感じたのである。」

三四郎は何があろうとまっすぐに生きて行くつもりである。傍観者の立場を捨て、自分の力で判断し行動することを決意する。ここに三四郎の大きな成長が見られる。

原口の家に着く。美禰子の画を描いている。次は意味深な文章である。

「静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方そうほうがぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。」

現実の美禰子と絵の中の美禰子の関係が描かれている。これは実物の美禰子と鏡の中の美禰子との関係とも似ている。三四郎は現実と虚像のどちらかに軍配を上げているわけではない。その二つの関係が、人間なのだという認識に至ったということなのではないだろうか。

美禰子が兄は近々結婚するという。実はこの時点で美禰子の結婚は決まっている。兄が結婚するということは、里見の家に兄の嫁が入るということになる。美禰子は居づらくなる。だから美禰子は結婚を焦っていたということも考えられる。里見から紹介された結婚相手を、よし子は断った。よし子は兄にからまだ自立できないのである。野々宮が優柔不断なのもよし子に一つの原因があったとも考えられる。よし子がいる限り野々宮は結婚できない。野々宮がよし子の縁談を断った瞬間に、美禰子は衝動的にそのよし子の縁談相手の男との結婚を申し出たのではなかろうか。いずれにしても野々宮とよし子が縁談を断った時に美禰子がその男との結婚を決めたと考えるのが時間的には説明がつく。

原口の眼の解説が始まる。

「そこでこの里見さんの眼もね。里見さんの心を写す積りで描いているんじゃない。ただ眼として描いている。この眼が気に入ったから描いている。(略)すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る。」

原口も自分の判断で行動している。個人の一方的な判断である。他者の存在を一方的な傍観者的な立場から判断している。広田も、野々宮も、原田もみんな傍観者として閉じた世界の人間なのだ。三四郎は動き出す。

「ただ、あなたに会いたいから行ったのです。」

三四郎の美禰子への愛の告白である。三四郎はまっすぐに生きて行く。その決断は美禰子には遅すぎた。美禰子は微かな溜息をもらす。
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『三四郎』読書メモ⑨

2024-10-24 06:51:15 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は九章。

三四郎は精養軒の会に出る。学者サロンといっていい会である。物理学の話になる。広田が「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」と言う。物理学者はただ自然を観察しているだけでは駄目で、人工的な装置を作り、それによって普通の自然界では見出せないものをみえるようにしているというのである。その意味で物理学者は浪漫的自然派だと言う。これはイプセンの劇のようだが、人間は自然の法則にしたがってばかりではないと議論は進む。

当時の文壇では自然主義と浪漫主義の対立があったわけだが、漱石はそのどちらかに偏るわけではない。『三四郎』は念入りの仕掛けを用意して、その中で登場人物たちは動いている。それを語り手が語るという構造だ。この語り手の視点は三四郎に焦点化され、三四郎の思考の外にあるものは、基本的には解釈を与えられない。与えられた仕掛けのなかで三四郎がどう考え、どう動くかを観察しているような小説なのである。精養軒の会の議論は『三四郎』の構造を論じている場でもあると言えよう。

帰り道与次郎が借金の言い訳をし出す。三四郎はどうせ返す事はあるまいと思っている。こういう鷹揚さが三四郎の不思議さである。与次郎は金を返さないから関係が続くと思っているようである。だから美禰子からもいつまでも借りておいてやれという。逆に言えば金を返すというのは関係を切るということでもある。

三四郎は美禰子への借金を返すために、母親に金を送れと手紙を書く。その返事がやってくるが、金は野々宮に送ったから野々宮から受け取れとある。野々宮の家にいく。途中よし子と出会い、よし子も野々宮に用があったので、ふたりで野々宮の下宿に向かう。

三四郎は野々宮から金を受け取る。よし子の話は縁談だった。よし子に縁談の口があるというのだ。これは後でわかるが、この縁談をよし子が断り、その相手の男は美禰子と結婚するののである。よし子が断ったから美禰子が結婚するのだ。よし子と野々宮はこの後里見家に行く。その時縁談話が急展開し決定していくのだと推測される。縁談も借金のようにたらいまわしにされていくのである。問題は美禰子がこの縁談をなぜ受け入れたのかである。ここは想像する甲斐のある場面であろう。
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