2-3 「鏡」と「納屋を焼く」との関連
これまで書いてきた思い付きを、単なる思い付きでなく説得力のあるものに 知り合いの結婚パーティで「僕」するために、他の同時期の村上春樹の作品との関連性を見ていく。
村上春樹が「鏡」とほぼ同時期に「納屋を焼く」が発表されている。この二つの作品に類似点、関連する点がある。
「納屋を焼く」のあらすじは次の通りである。
知り合いの結婚パーティで「僕」は広告モデルをしている「彼女」と知り合う。「彼女」はパントマイムが趣味だった。「彼女」は遺産を手に入れ、アルジェリアに行く。アルジェリアからは新しい恋人と帰ってくる。ある日、ふたりが「僕」の家に遊びに来る。三人は大麻を吸う。「僕」が小学校の芝居のことを思い出していると、突然、
「時々納屋を焼くんです」
と「彼女」の恋人が言う。彼は、実際に納屋へガソリンをかけて火をつけ焼いてしまうのが趣味だという。また近日中に辺りにある納屋を焼く予定だという。「僕」は近所にいくつかある納屋を見回るようになったが、焼け落ちた納屋はしばらくしても見つからなかった。「彼」と再び会うと、
「納屋ですか? もちろん焼きましたよ。きれいに焼きました」
と言う。焼かれた納屋はいまも見つからないが、「僕」はそれから「彼女」の姿を目にしていない。
あらすじだけ読んでもまったくわからないかもしれない。ぜひ作品をお読みいただきたい。
さて、「鏡」に話をいったん戻す。「鏡」でどうしても気になるところがあった。ラスト近く、鏡の中の自分を見つけ、鏡の中の自分のほうが自分を支配しているように感じた時である。引用する。
「僕はその時、最後の力をふりしぼって大声を出した。『うおう。』とか『ぐおう。』とか、そういう声だよ。それで金しばりがほんの少しゆるんだ。それから僕は鏡に向かって木刀を思い切り投げつけた。鏡の割れる音がした。僕は後も見ずに走って部屋に駆け込み、ドアに鍵をかけて布団をかぶった。玄関の床に落としてきた火のついた煙草のことが気になった。でも僕はもう一度そこに戻ることなんてとてもできなかった。風はずっと吹いていた。プールの仕切り戸の音は夜明け前までつづいた。うん、うん、いや、うん、いや、いや、いや・・・ってぐあいにさ。」
この場面、火のついた煙草が、嵐の日の学校に残っていたのである。当然、火事になることの暗示である。実際は学校はすべて焼けて落ち、鏡も焼けてなくなったのだ。「僕」もその火事で死んでしまう。そう、「僕」はすでに死んでいるのだ。ではこの小説の語り手である「僕」は誰なのか。鏡の中の存在の「僕」である。「僕」は鏡の中に閉じ込められたのだ。もはや出口がない。だからこそこの世界には鏡が無くなってしまったのだ。
「納屋を焼く」も同じ構造がある。「僕」の生きている世界のパラレルな世界では、納屋が焼けてしまい「彼女」は死んでいるのだ。おそらく「彼女」は「彼」の納屋を焼くことを好む性癖を知っていて、「彼」が納屋を焼き、その納屋の中で死のうとしていたのである。「彼女」の死の存在しない世界と、「彼女」の死が存在する二つのパラレルワールドがそこにはあるのである。それはちょうど「鏡」において、学校が焼けて「僕」が死に、「僕」が存在しない世界と、鏡の中に「僕」が残されているという状況と同じなのだ。