とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『ブルータリスト』を再見しました。2

2025-03-01 16:03:20 | 映画
前回の続きです。

ラースロートとハリソンが愛し合っていなかったら、ハリソンはシラをきりとおせばよかった。しかしそうしなかったのは、ラースロートとの愛の終焉に自分の人生の終焉を確信じてしまったからに違いない。

こう考えれば、ラースロートは妻を裏切ったひどい男であるのは明らかだ。ではハリソンはどうなのか。ハリソンもラースロートの夜の生活を維持するために、エリジュベートをニューヨークに住まわせることをしている。明らかにエリジュベートを騙している。アメリカの資産家の胡散臭さを体現している人物である。

ランスロットもハリソンもブルータリストであったのである。

もちろん彼らの人間性だけの問題ではない。それは時代が作り出したものである。だからこそ時代を超える芸術に救いを求めるというのが、この映画のひとつのテーマではなかったのだろうか。

この映画を見て、前半はよかったが、後半になってついていけなくなったという意見を多く見た。私も最初に見た時そうだった。前半はアメリカンドリームの物語であり、それに胸を躍らせながら見ていた。しかし後半はひどい話になっていく。これはアメリカンドリームが虚像であるであるということを示している。あきらかにアメリカ批判の映画である。さらにアメリカ批判だけでない。ユダヤ人も批判するセリフもある。世界は虚像でしかない。その虚像の中でわれわれは生きている。おろかな人間の姿がそこにはある。しかし愚かな人間が必死に未来に残るものを作り上げて行こうとする。その営みを描くことがこの映画の目的だったのではなかろうか。

残された謎もまだまだ多い。その中でも一番引っかかっているのはジョーフィアの存在である。この映画ジョーフィアから始まり、ジョーフィアで終わっているのだ。彼女の役割がまだよくわかっていない。また、エリジュベートにも謎が残っているように感じている。まだ何か見逃していることがありそうである。

さて、この映画、謎解きをしていくことによって面白味が増すのは確かであり、優れた映画であるのは明らかだ。しかしこれが、評価すべき映画であるのかは、もう少し映画と語り合う必要があろう。またしばらく考えてみたいと考えている。そして動画配信がはじまったら、ノートにとりながら考えてみたい。そうしてみたくなる映画なのだ。
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映画『ブルータリスト』を再見しました。1

2025-02-26 18:08:50 | 映画
長い映画ですが、どうしても気になったので早速もう一度見ました。一番気になっていたのは、ラスト近くに主人公の妻エリジェーベトが、資産家のハリソンの家に行き、ハリソンを夫の強姦魔だと非難した場面であった。いつ強姦したのかが、明確にとらえられなかったのである。再見してその事情がわかってきた。

主人公のラースロートはユダヤ人への迫害からの逃走中、列車から飛び降り鼻を折った。その痛みから逃れるために薬物を使用した。その薬物に時々世話になるようになった。この薬物を使ったセックスにおぼれるようになった。そのことは、骨粗しょう症の痛みでくるんでいるエリジェーベトに、窮余の策として薬物を注射したときに明らかになる。ラースロートは自分も薬物を注射しエリザベートとセックスするのである。

映画を最初から振り返ってみると、ラースロートが薬物を摂取した症状を明確に見せている場面が何度か出て来る。

最初は友人アティラ夫婦に食事に呼ばれた場面、夜中にアティラの妻と語っている場面、明らかにラースロートは薬物を摂取した状態である。この時、アティラの妻とセックスをしたのではないかいうことが匂わされている。

次にハリソンの家に招待された時、ラースロートはハリソンに自分の芸術観を語り、ハリソンはそれに感動し、ラースロートを真に認める。その夜ラースロートは明らかにおかしくなり、ゲストハウスに泊まらせられる。そして次の日ハリソンもかなりおかしい。ふたりとも薬物を摂取したことが匂わされている。すでにふたりは肉体関係を持ったのだ。

アメリカに来て友人になったアフリカ系のゴードンとも関係を持ったようである。

最初の方に売春宿での行為ももしかしたらそうかもしれない。

このようにラースロートは薬物によるセックスにおぼれていく。アメリカで再開したエリジェーベトを抱けなかったのもそこに起因しているのだと考えられる。薬物のないセックスでは興奮しなくなってしまっていたのである。

ラースロートはエリジェーベトとのセックスの最中に、ハリソンとの性の関係を告白した。そのときにハリソンに犯されたと言ったのだと考えられる。だからエリジェーベトはハリソンの家に怒鳴り込む。しかし、ハリソンはラースロートを強姦したわけではない。ハリソンはラースロートを真に尊敬していた。ラースロートはハリソンを理解者として認めた。ふたりは、実は愛し合っていたのである。

これを読み間違えるとこの映画を間違えて解釈してしまうのではなかろうか。

このことを踏まえてこの映画の意味を考える必要があるのだと思う。

続きます。
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映画『ブルータリスト』に悩まさされています

2025-02-22 13:29:15 | 映画
アカデミー賞10部門にノミネートされている映画『ブルータリスト』を見ました。この映画に悩まされています。

長い映画で、前半100分、後半100分、間に15分のインターミッションがあります。前半を見て、すごいおもしろいと思っていたのですが、その感覚のまま見ていると、後半になるとなんかドロドロしてきます。そして最後には、賞ねらいのあざとい作品のように感じてしまいました。これはちょっとひどいなと思って帰って来たのですが、家に帰って寝ていると、突然、目がさえてきて、あれ、もしかしたら見方を間違えてしまったのではないかと感じ始めました。重大な意味を見落としていたのではないかと感じ始めたのです。

もちろん、これはアカデミー賞の最有力候補になっているということが私にそう感じさせたのかもしれません。しかし、その見落としを気付かせることまで計算していたようにも感じられるのです。もう一度見なければいけないと感じ始めています。

しかし、確信があるわけではありません。だから215分をもう一度見るのはちょっときついなとも感じています。

評価はもう一度見た時にしたいと思います。

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映画『リアルペイン』を見ました。

2025-02-17 18:41:56 | 映画
映画『リアル・ペイン』を見ました。名作です。

ふたりのユダヤ人のいとこが主人公です。ふたりの祖母はポーランドのアウシュビッツのすぐ近くに住んでいました。虐殺からなんとか逃れアメリカにきます。しかしその祖母もなくなります。デビットとベンジーはその孫です。祖母の遺言により再会し、彼女の故郷ポーランド行きのツアー旅行に参加します。

ベンジーは破天荒で、自分の思ったことをすぐに口にだします。トラブルメーカーではあるのですが、彼のその生き方はかえって魅力的で、人々から愛されます。デビッドは自分を抑えてしまう性格です。仕事も家庭も表向きは順調ですが、真の友人はできないタイプです。実はこのふたり、どちらも神経質であり、ふたりとも統合失調症の傾向があるように見えます。だからふたりとも生きづらさを常に感じながら生きているように見受けられます。

ふたりはアウシュビッツの施設を見学します。それが彼らに大きな衝撃を与えたのは確かなようです。

この二人がこの度を通じて、お互いに自分を見つけて、そして自分と向き合ってくれればいいと見ながら感じてしまいます。結果はどうなるかはわかりませんが、旅の中で二人は成長したように感じます。しかし大きな不幸が待っている様な予感もします。

ほんの短い時間を切り取っただけの映画ですが、長い人生を想像させます。見事な映画です。
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『劇映画孤独のグルメ』を見ました。

2025-01-18 07:40:41 | 映画
テレビドラマの『孤独のグルメ』の映画化作品、『劇映画孤独のグルメ』を見ました。ドラマの雰囲気が好きだったので、映画版は少し違和感がありましたが、それでもこれは映画ならではの感動がありました。心にしみる作品でした。

テレビドラマの『孤独のドラマ』は井之頭五郎が始めて行く店で食べることがメインに描かれます。それ以外の場面はその食事のシーンとあまり関係がありません。とは言えまったく関係がないわけではなく、俳句の取り合わせのような効果があります。なんとなく感応しさっていて、不思議な滑稽さと、時にはしみじみとした人情味をかんじたりします。「軽み」に近いものなのかもしれません。

それに対して今回の映画は、結構筋立てがはっきりしています。思い出の味の再現と、料理人の再生を描いていて、いつもの『孤独のグルメ』の軽さを求めていたので、最初は「ちょっと違うんじゃないかなあ」と感じてしまいました。しかし、逆にありえないようなストーリー展開とそこにリアルな人間描写が組み合わされて、アンバランスなバランスとでも言うべき綱渡り的ないい加減さが描かれます。遊び心がちりばめられながら、人間ドラマが描写されているのです。

もちろんそれを支えているのは食べることです。日本の文化が一番発達したのは食べることなのかもしれません。

俳諧や、戯作、あるいは水墨画や浮世絵、江戸文化が結晶したような映画です。これこそ日本文化の伝統なのかもしれません。
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