現代の教育問題の根源は部活動である。教師にとって部活動の負担が大きすぎるのだ。
本来部活動は現状のような大変負担の大きなものではなかったはずだ。放課後の勤務時間の中で生徒が自主的に参加して楽しむ程度のものだったはずである。しかし部活動というシステムは大きくなっていった。大会があれば指導している教師にとっても勝ちたいし、勝たせたいという気持ちが生まれる。もちろん生徒側にとっても勝ちたいという気持ちが生まれる。その結果練習はエスカレートしてくる。このサイクルが際限のないところまで行きついてしまったのだ。
部活動は学校にとってのなくてはならないものとなり、部活動を熱心にやらない生徒はダメな生徒として扱われ、部活動に熱心に指導しない教師はダメ教師と見なされるようになった。「部活動を一生懸命やった生徒は進路でも成功する。」などという言説も当たり前のように言われるようになり、部活動こそが学校という雰囲気まで生まれてしまった。
最近になってその傾向は薄れているが、部活動がいまでに学校の中の重要な要素であることは間違いない。何よりも部活動の指導をしたくて教師になる人間がいまだにたくさんいるのだ。体育教師の大半がそうである。体育教師でなくとも「部活動教師」は多くいる。そういう教師は部活動が生きがいになっているので、部活動を制限されることに異様に抵抗することになる。それが土日に平気で部活動をする雰囲気を現在まで残してしまっているのだ。
土日や放課後の遅い時間まで部活動に時間を取られることを嫌がっている教師は多い。しかし「部活動圧力」は低下しつつあるとは言え、未だに学校に根強く存在している。それは学校を分断する要素にもなっている。部活動なんかしたくない人間にとって「部活動圧力」のある学校はブラックな職場であり、働きたくない場所になる。休日出勤が当たり前の職場にいたいはずがない。そのために教師のなり手は減る一方だ。教員志望者が減れば、部活動の指導をしたくて教師になる人間がさらに教師になりやすくなる。
近年学校に「探究ブーム」が起こっている。しかしこの「探究ブーム」は新たな部活動を生んでいるだけのような気がする。教師も生徒もコンテストに勝ちたいだけなのだ。この構造を変えていかなければいけないのである。
さて、そこで部活動の地域移行に話題を転じたいが、それは次回以降に。