1年前に以下のブログを書いた。この後、急展開して、英語の民間試験の採用と国語の記述式が再検討となった。この間の議論はいい方向に向かったと思う。しかし、私としては賛成できない点もある。今現在も以下の考え方に変わりはない。現状で、強調したいのはセンター試験は決していい試験ではないということだ。
(以下去年のブログです。)
今年もセンター試験が実施された。このセンター試験は最後になり、2年後からは「大学入学共通テスト(新テスト)」になる。この導入に対して議論が混乱し始めている。多くの人が共通の土台のないまま議論しているので、「大学入学共通テスト」の方向性に反対なのか、記述式問題に反対なのか、外部試験の活用に反対なのか、早急すぎることに反対なのか、それともすべて受け入れようとしているのかがわからないのである。つまりどのレベルでの賛否なのかが不明なまま、議論が行われているのだ。こうなってしまうと修正しようにもどこに手を付けていいのかがわからない。
私の意見は次の通りだ。
〔大前提〕
①本来一番あるべき姿は各大学の個別試験が充実し、そこで思考力を測ることである。そうなっていれば「大学入試共通テスト」にするまでもなく「センター試験」のままでもいい。
本来各大学の個別試験が充実することが大切なのだ。ところが個別試験がどんどん形骸化して、場合によっては行わない場合もでてきた。そのため「センター試験」の存在が大きくなりすぎた。多くの受験生は教員の記述力が必要なくなった。これでは言語運用能力や、思考力が必要なくなり、高校の授業もそういう点がおろそかになり、知識偏重になってしまっていたのだ。つまり各大学が努力しないで、何とか国の力で改革しようということが根本的な間違いなのだ。今回の「大学入学共通テスト」の導入は、多くの大学の教員の怠慢から生まれたものであるというのが問題の本質なのだ。
以上が大前提である。その上で次のように考える
②個別試験の導入が困難であるのならば「大学入学共通テスト」への変更には賛成する。
本来は個別試験の充実が一番であるが、それが不可能だという前提で「センター試験」から「大学入学共通テスト」への変更に賛成する。
これまでの大学入試が高校の授業を知識偏重型にし、考える楽しみをうばっていたのは明らかである。知識ばかりを問う問題を減らし、すこしでも考える授業をするためには大学入試が変わらなければならない。そのためには「大学入学共通テスト」に変更することは大学入試問題の改善につながる。
もちろん「大学入学共通テスト」は、ほとんど選択式問題のままであり、「センター試験」と大きな違いはないという意見もその通りだと思う。しかし、プレテストを見るかぎり、思考力を問うための様々な方法が試されているので、改革の方向性としては間違っていない。
③国語の立場から「大学入学共通テスト」に記述式問題を出すことは賛成する。しかし問題は残る。
選択式の問題には限界がある。とくに国語の問題が選択式の問題ばかりであるというのは「国語力」とは別の力しかはかれないのはあきらかだ。だから記述式の問題を出題することには賛成する。
しかし、問題は多い。
A まずは問題の質である。モデル問題やプレテストを見る限り、記述式という割には制限が多く、条件に従って書くだけである。これでは思考するまでいかないし、言語の運用能力を問うというまでも至っていない。
B 採点が可能なのかが問題である。
C 記述式の問題を点数化しなく、段階評価にして各大学に扱いがまかされている点も問題である。東北大学は基本的には記述式は見ないと発表した。「大学入学共通テスト」の国後の試験は従来80分で行ってきたセンター試験型のマーク式の問題が4問、それに記述式の問題が1問で100分で行われる。だから単純には記述式の問題に20分与えられていると考えていい。それなのに記述式の問題が必要ないとすれば、選択式の問題に100分使うことも可能になる。とすれば平等性が崩れる。一方ではマーク式の問題に80分しかない受験生もいれば、一方では記述式の問題をはじめから解く必要がなく、100分マーク式の問題に使用できるものもいるのだ。そんなに簡単にわりきれないと言うかもしれない。しかし少なくとも受験生が混乱することは明らかである。
④英語の外部試験の導入には反対する。
あきらかに無理がある。私は英語教師ではないので、ここでは多くを語らない。
⑤混乱のまま2年後にスタートすることは反対する。
現在の高校1年生から「大学入試共通テスト」が始まるが、いまだにどうなるのかよくわからない状況である。これでは高校1年生が実験台にさせられると言ってもいい。高校1年生に対してあまりに無責任である。
⑥今回の入試改革に乗じて、一部の業者が極めて悪質な営業活動を行っている。許しがたい。
B社はまだ何も決まっていない段階で、とにかく自社の商品を売らんがために、さまざまな営業活動を行ってきた。不安をあおったり、ダンピング的に導入をおこなったり、人づてに聞いたように間違った情報を流したり、あらゆる手段を行使して、無理矢理に教育現場に入り込んできた。教育の名のもとに悪質な商業活動を行ってきた企業を許すことはできない。