とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

教員の残業時間に見える日本の異常さ

2023-04-30 09:13:37 | 教育
先日、教員の残業時間のニュースがネットに出ていた。「国の残業の上限超える教員 中学校77.1% 小学校64.5% 」だと言う。この異常な状況をそれこそ「異次元の少子化対策」の最重要課題として実施してもらいたい。

教員の働きすぎ傾向は、何十年も前から言われ続けてきた。しかし国の政策はまったく変わってこなかった。それどころか教員の不祥事ばかりが大きく取り上げられ、教員は叩かれる存在になってしまって、だまって言われたことを言われた通りにしなければならない存在となってしまった。

教員志望者も減ってきてしまった。もはや教員志望の人間は変わり者である。ほかに仕事がないから教員になる。あるいは部活動バカが教員になる。教育の質は落ちるばかりだ。

部活動の地域移管がもちろんこれは減少傾向にはあるようだ。努力していないわけではないことはわかる。しかし部活動の地域移管なんて教員経験者から見ればそんなに簡単にできるものではないということは明らかなのだ。金をかけずに口に出せば簡単にできると考えている上層部の人間はバカでしかない。

教員の「働き方改革」は一部では進んでいるが、そこでできた時間にもっと多くの課題を突き付ける。新たな負担を生み、教員は24時間ITに監視されている状況になってしまった。多少労働時間が減っても、精神的な負担はそれに反して増えてしまっているのである。

もはや国の教育政策は崩壊している。教育予算を大幅に増やし、根本的に改革する必要があり、そういう政策こそ野党は打ち出してほしい。
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AIの形勢判断はいい加減(名人戦第2局)

2023-04-29 05:12:22 | 社会
 渡辺明名人に藤井聡太竜王が挑戦する名人戦の第2局の終盤戦をABEMA・TVで見た。私は、将棋はルールを知っている程度で、特に将棋ファンということではない。しかし最近インターネットテレビで中継が行われ、中継中はAIによる形勢判断がある。将棋に詳しくなくとも見ているとおもしろい。

 ほぼ互角で進んでいて、70手目に渡辺名人が終盤にしてはかなりの長考をして「2五金」の手を指した。これはAIも推奨していた手である、それに対して藤井竜王が「1四桂」という手を指した瞬間に、AIの形勢判断が一気に藤井竜王に傾いた。この「1四桂」という手もAIが早くから予想していた手だった。それなのに大きく形成判断が変動してしまったのだ。AIの判断以前に、渡辺名人も藤井竜王ももっと正確な判断をしていたのが状況から推測できる。つまり、AIの形勢判断なんてあてにならなかったのだ。

 AIにどういう事情があったのかはもちろんわからない。AIは日々進化しつつあり、近い将来こんなことはなくなるのだろうとは予想される。しかしAIに頼り切ることは危険である。人間がAIに頼りすぎると、大きな悲劇がおこるのではあるまいか。心配になった。

 それにしても将棋中継はおもしろい。この年になって新たな楽しみを見つけた。
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ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。

2023-04-26 17:42:24 | 映画
デヴィッドボウイの音楽人生をたどるドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。私が最も聞いたミュージシャンの一人、デヴィッドボウイの人生を改めて見つめなおすことができました。

デヴィッドボウイは最初、グラムロックの旗手として表舞台に出ました。自分を宇宙人と見立てたアルバムを制作し、ステージも「ジギー」という宇宙人になりきっていました。演劇的でありミュージカル的な要素を含んだコンサートでした。彼はその時から自分の真の姿を隠していました。

次にアメリカにわたり、ロカビリー風の音楽を作った時代に移ります。この変化から彼の異常さが表れ始めます。彼の真の姿が見えなくなってきます。

そして私の一番好きなベルリン時代が来ます。ブライアンイーノとともにノイジーであり、アンビエントな音楽を作り上げます。ストイックに自分の内面と向き合っている姿が見えてきます。その前後の派手なボウイを好む世代の人には一番退屈な時代だったのかもしれませんが、ボウイが真の自分を見つめた時代だったのではないかと私には感じられます。

そしてスーパースターの時代がやってきます。『レッツダンス』です。この時代、古くからのボウイファンは、スーパースターを演じているボウイに違和感を覚えます。だからなのでしょう。かれの黄金時代は長く続きませんでした。ボウイはスーパースターにも飽きてしまうのです。

ボウイは自分の人生を演じ続けました。ロックスターを演じたのです。それは時代が彼に要求したものだったかもしれませんし、彼自身が変化する時代に挑んだのかもしれません。しかし自分の人生を演じるのは無理が生じます。そこに彼の悲劇があったのではないでしょうか。だからこそボウイの真の姿はスーパースターの座を降りてからにあったのかもしれません。しかしその頃は、私もボウイから離れてしまいました。

もう一度ボウイを振り返りたいと思いました。彼は何を目指していたのか気になります。

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夏目漱石作「カーライル博物館」読書メモ

2023-04-23 13:37:20 | 夏目漱石
 明治38年1月雑誌『学燈』に発表された短編小説。「倫敦塔」と同じようにエッセイ風の小説である。「倫敦塔」のような幻想もないのでエッセイといわれれば、エッセイといってもいいような作品でもある。ただし虚構も混じっているようなので、その意味では小説であろう。

 語り手はやはり「余」。カーライルというのはイギリスの思想家・評論家・歴史家。スコットランド出身で、倫敦のチェルシーに移り住んだ。死後、その家が博物館として公開されている。そこに「余」が訪れ、見物する。案内してくれるのは「五十恰好の太った婆さん」。セリフのように「何年何月何日にどうしたこうした」と流暢に語る。この「婆さん」の存在が小説らしいと言えば小説らしいとも言えなくもない。ユーモラスであり、ロンドンという場所をうまく表現している。

 カーライルの家のキーワードは「四角」。なんでもかんでも「四角」。カーライルという人も堅物だったのだろうという印象を与える。

 この家は四階まである。四階はカーライルの書斎である。なぜ書斎を四階にしたのか。下界の音を聞こえなくするためだったようだ。しかし残念ながら遠くの音は逆に聞こえてくる。

 カーライルは神経質だったように感じられる。漱石と似ている。その感覚がまた小説らしいのかもしれない。
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映画『小さき麦の花』を見ました。

2023-04-19 05:13:49 | 映画
映画『小さき麦の花』を見ました。人間が生きることの意味を考えさせる、静かだが強い作品でした。感動しました。

舞台になっている時代はほぼ現代なのだと思われます。しかし中国の貧しい農村は何十年も前と同じような生活をしています。テレビもありません。時々描かれる都会とのギャップから貧富の差の大きさを感じます。

主人公は農家の息子ヨウティエと、その男と政略的に結婚させられた女クイイン。ヨウティエは兄にいいように使われていますが、文句も言わずに兄に命じられたままの生活をします。クイインは障害をもっているのか、歩き方がたどたどしく、時々失禁してしまいます。しかし自分では失禁していることに気が付きません。

そんな夫婦ですが、お互いがお互いを理解しはじめ、静かに愛が深まっていきます。彼らはお互いのために真面目に生きます。家を作り、麦やトウモロコシを育てます。鶏を育て卵を食べることができるようになります。彼らの真面目さが実り、小さな幸せを手に入れます。静かな感動があふれてきます。

しかしその幸せは突然終わります。クイインが急死してしまうのです。

この映画でロバが重要な役割をしています。荷物を運ぶときロバが荷車を引くのです。穀物を運ぶとき、引っ越しをするときなど、様々な場面でロバがでてきます。クイインが死んだあと、ヨウティエはロバを大地に放してしまいます。彼の失望感が痛く伝わってくる場面です。ロバはどうしていいのかわからずにうろうろしています。しかしヨウティエの作った家を取り壊すとき、一瞬だけですがロバが出てきます。これはあのロバだったのではないでしょうか。この時、言葉にならない感動が押し寄せてきます。

切ない一瞬が見事に切り取られ、小さな幸せを求め愚直に生きた人たちの人生が迫ってきます。涙なくして見られない映画でした。
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