とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

生徒の小論文3(『こころ』シリーズ⑯) 

2019-03-29 15:12:39 | 『こころ』
『こころ』において生徒に書かせた小論文を紹介します。たどたどしくて舌足らずだという指摘があるかもしれませんが、おもしろい視点が含まれています。この視点を生かして再構成して推敲していけば、いい小論文になると思われます。

 なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。

 夏目漱石の『こころ』という作品で、「先生」と呼ばれている人物は青年に自分の過去や犯した罪を打ち明けている。なぜ「先生」は青年にすべてを打ち明ける必要があったのか。私は、「先生」が青年を「先生」そのものとしてこれからの人生を歩んでほしいと考えたからだと思う。

 その根拠となるのは、本文に書いてある「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が止まった時、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。」という部分だ。

 普通に考えると主人公はとても図々しい。初対面でありながら、いきなり「先生」と呼んでいる。他にも「自分は先生と懇意になったつもりでいた」や先生に会える好奇心で墓地に行ったりと自分勝手な部分が多い。しかし「先生」自身このような行動を迷惑だと思っていない。

 「先生」に何回も会う内に、主人公は「先生」の奥さんとも出会う。主人公は先生の奥さんのことを「美しい」と表現しているが、最初のうちは好意という言葉は読み取れない。「先生」の行動を見てみると、主人公が「先生」の家に上がる時、なぜか「先生」は下女を呼ばずに、奥さんを呼ぶことが多い。さらに見てみると、先生が留守の間は必ず、「私を待っていなさい。」と主人公に言い残し、「先生」の家で待たせている。このような行動から、「先生」は主人公と奥さんを近づけさせ、気持ちを奥さんに向かせようとしていることがわかる。なぜこのようなことをする必要があるのか。「先生」は昔「K」という友人と同じ相手を好きになり、自分が一歩先に行ってしまったがために「K」を自殺させてしまったという辛い過去を持っている。その相手というのが自分の妻である。妻の「静」の発言である、「子どもでもあると好いのですがね。」から、妻は子供が欲しいと考えている。しかし、「先生」は友人のこともあり、子供を作れば天罰が下ると考えている。また、最初に述べたように、主人公はとても図々しいが「先生」は迷惑だと思っていない。逆に主人公の事をとても真面目だと言っている。ということは、「先生」は主人公みたいな人間を待っていたと考えられる。自分の過去にずいずい入り、過去を少し語ればものたりなさそうな顔を見せる。「先生」はこの主人公の行動に尊敬しつつ、やっと自分が望んでいた人材を見つけたのだ。人間を信じられない「先生」が、自分の魂・妻・罪を他人にあずけ、自分は死ぬことができるのだ。

  「先生」は主人公を自分の替わりに生きていかせることになる。そのためには自分の犯した罪、自分の過去、妻の気持ちを主人公にわからせなければならない。なぜ主人公はある男性を「先生」と呼んでいたのかはわからないが、「先生」は主人公が現れたことで、主人公を自分の替わりにさせようと計画し、奥さんと二人の時間を過ごさせたのも、主人公と「先生」が鎌倉の海水浴場で会ったのも、偶然ではなく、必然だったのである。

 非常におもしろい。もっと論をち密にしていけば本当にすごい論になりそうな意見です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生徒の小論文2(『こころ』シリーズ⑮)

2019-03-24 16:15:33 | 『こころ』
 『こころ』において生徒に書かせた小論文を紹介します。たどたどしくて舌足らずだという指摘があるかもしれませんが、おもしろい視点が含まれています。この視点を生かして再構成して推敲していけば、いい小論文になると思われます。

 なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。

 私は「先生」は人間不信に陥り、それゆえに自分の利を追求するために他を顧みない自己中心主義になってしまった哀れな存在だと考える。そこから「先生」にとっての「K」という存在はどのようなものだったのかということを考察していく。私は次の3つであると考える。①理想、②憎むもの、③大切にすべきもの、である。

 「先生」は叔父に財産の一部を奪われ、特にお金に関することで他人を疑うようになっていく。これは、人を信じることができず卑怯なこともしてしまう「先生」と、道のために精進を怠らず、自分の生き方に向き合っていく「K」の対比関係があることが伺われる。「K」と「先生」は真逆の存在なのだ。このことを前提として先の3点について考える。

 ①「先生」は「私」との会話で、「私は死ぬ前にたった一人でよいから、他を信用して死にたいと思っている。」と言っている。「K」は他人を信用する人間であった。他人を疑うよりも自身を追いつめるほどの人間であった。だから「先生」は「K」になりたかったのだ。「K」こそが「先生」の理想だった。「K」になりたかったからこそ、「K」を下宿に一緒に住まわせたのだ。

 ②「先生」は精進している「K」を恋のライバルになろうとは思わなかった。だから「K」を同じ下宿に住まわせたのであるが、しかし「K」がお嬢さんのことを好きになってしまう。「先生」は「K」の人間的な気高さを知っているから「K」に勝てるとは思えない。「K」がじゃまになる。「先生」にとっては「K」は理想であったからこそ、「恋」の要素によって「憎む」べきものになってしまうのである。

 ③こうして「K」を裏切ってしまった「先生」だったが、「K」の決して他人のせいにしない性格によって逆に「先生」は苦しめられることになる。「先生」は「K」の姿を見て、「手をついて謝りたくなった。」とKに対する良心が生まれる。「K」が死んだ後も、罪悪感に襲われ、人を信用できなくなる。「K」という存在は「先生」にとってかけがえのない大切な存在となっていったのだ。

 人間不信に陥っている「先生」にとって「K」はそこから脱するための「鍵」であった。しかしその「鍵」を自らの心の柔さによって失ってしまった。自分の生きるための核を自分の手によって失ってしまったのだ。もはや「先生」は生きることができなかったのはしょうがないことだった。

 
 「K」と「先生」の対比を重点にして論を進めている。おもしろい視点を与えてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生徒の小論文1(『こころ』シリーズ⑭)

2019-03-15 07:53:15 | 『こころ』
 『こころ』において生徒に書かせた小論文を紹介します。たどたどしくて舌足らずだという指摘があるかもしれませんが、おもしろい視点が含まれています。この視点を生かして再構成して推敲していけば、いい小論文になると思われます。

 なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。

 「先生」は「私」に遺書を残して自殺したが、なぜこのタイミングで自殺したのだろう。私は、「先生」がついに精神的な孤独に耐えきれなくなったからだと考える。「死んだように生きていく」ことがKへの贖罪としていたのにもかかわらず自殺したのは、「私」の真面目さに心を開きたくなったからではないだろうか。

 「先生」が今まで自殺しなった理由は大きく分けて二つあると思われる。ひとつ目は「毒」となる「静」の存在だ。「私だけが居なくなった後の毒を想像してみると如何にも不憫でした。」とあるように、「静」にとって頼るものが「先生」だけであることが自殺を止めていたことは間違いない。二つ目は「K」に対する贖罪の気持ちだ。まず、「先生」には自殺が逃げだという感覚があるように思える。「一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にない。」、「最も楽な方向」という表現にある通り、自殺よりも生きることのほうが「先生」にはつらく、努力が必要なものであるのがわかる。「K」の自殺を重く受け止めている「先生」は、自分は許されていいと考えているはずもなく、死んだように生きるという事故呵責を選んできたのだ。

 これらの理由で、「先生」は今まで生きてきたというのに、なぜこのタイミングで自殺したのだろうか。もとから無責任で罪を負いながら生きる覚悟がない人ならば、もっと早く自殺していただろうし、逆にそれらの覚悟が揺るがないものであったのなら、一生自殺することはなかっただろう。

 自殺した理由は、「先生」が孤独にたえきれなくなったからだろうと考える。「K」の死の真実を誰にも言わず、己の葛藤を明かさず生きていくのは精神的な孤独を感じる。「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に処決したのではなかろうか。」と「先生」が書いた通り、先生は間違いなく淋しさを感じていた。しかし「先生」は「死ぬ前にたった一人で好いから他を信用して死にたいと思っている。」と「私」に話した。先生を慕い、まっすぐにぶつかってくる「私」に、すべてを話したいとも思っていた。自殺を食い止めていた妻の存在も、「私」の登場により、妻が頼ることができる他の人物となり、自分の死後も心配ないだろうと考える。自己呵責についても、長年続けたことによってもう逃げてしまいたいと思っていた。

 今まで自殺を食い止めていたものが、私の登場によって心配はなくなり、長年の罪の意識からの孤独から逃げてしまいたいという気持ちをおさえられなくなったために、じさつしたのだと考える。これには、「私」と「先生」の間に信頼があり、「私」と「静」が仲良くなっていなければ成り立たないものである。この結果、このタイミングで自殺したのだと考えた。


 この小論文の一番のポイントは「私」の存在によって「先生」が自殺することができたのだという点です。おもしろい視点だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ「先生」はKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのか(『こころ』シリーズ⑬)

2018-12-05 15:49:16 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』の授業をしながら気が付いたことを書き残しておくシリーズ。今回は下の四十八章、『ころろ』の中でも一番有名なKの自殺に気が付く場面です。

 Kは「奥さん」から「先生」と「お嬢さん」の縁談を聞きます。それに対してKは一見落ち着いて対応します。その話を「奥さん」に聞いた「先生」は動揺します。そして「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」と感じます。なんとかしなければと思うのですが、「先生」は動くことができません。そうしているうちにKは自殺してしまします。

 その時に襖がなぜ開いていたのかというのは常に問題になることです。これは想像力を掻き立てる問題です。

 今年の授業では生徒はそこを問題にはしてくれませんでした。しかし別なところでおもしろい指摘をしてくれました。それが表題にした

なぜ「先生」はKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのか。

です。

 「先生」は自分に対する恨みでも書かれていたら大変だと思ったので、遺書をすぐに見る必要がありました。「先生」にとって幸いなことに遺書には自分が悪人になるようなことは書かれていません。「助かった」と思った「先生」は、自分が第一発見者となることを回避しようとしたのでしょうか。それは変です。「先生」はすでに封を切っているから、「先生」が遺書を見ているというのは誰もが気づきます。だとしたらなぜKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのでしょうか。

 Kの自殺の理由がK自身の中にあり誰のせいでもないということをみんなに知らしめたかったのだと考えるのが一番自然な解釈です。Kの遺書を「先生」が見るのは自然なことです。しかし哲学者然としたKの自殺の理由としてはとりたてて違和感のない理由を遺書の中に書いてあったので、隠す必要も、とりたてて誰かにこの遺書を知らせる必要もなかったのです。

 死んだ人に対しても自分の損得で行動してしまう「先生」はこの後、この行動に罪悪感を抱かざるを得なくなります。

 Kはどうでしょう。Kは自分の自殺の理由を明確に書いていません。すくなくとも他人のせいにはしていません。「先生」はここに大きな落差を感じることになります。そして時間がたつにつれ、その落差が「先生」を苦しめることになるのです。

 この章ではもうひとつ疑問に感じることがあります。なぜKは遺書に「お嬢さん」のことを書いていなかったのでしょう。これもまた不自然です。「お嬢さん」が逆に意識の対象であったことが推測されます。この正解はわかるものではありません。しかし、このことも「先生」の混乱に輪をかける結果となってしまいます。疑心暗鬼というものはそういうものです。

 疑心暗鬼に陥った人間の心の弱さがうまく描かれている場面です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」(『こころ』シリーズ⑫)

2018-12-02 10:04:53 | 『こころ』
 授業で夏目漱石の『こころ』をやっている。その中で気が付いたことを書き残しています。

 下の四十七章で「奥さん」がKに「先生」が「お嬢さん」の結婚を申し込んだことを伝えます。それに対してKは「おめでとうございます」といったまま席を立ちます。そして障子を開ける前に、「奥さん」を振り返って、「結婚はいつですか」と聞き、それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」と言います。このKのセリフがひっかかります。Kはどういうつもりでこう言ったのでしょうか。

 いくつかの解答が予想されます。まずは、特に何の意図もなく事実として言ったと考えることもできます。次に、ショックのためにお祝いを上げるべきだが上げる気はないと言わなくともいいことを言ってしまったとも考えられます。また、この結婚を祝福するつもりはないということをほのめかしているともとれます。さらには金を持っている「先生」に対する皮肉ともとれます。この考え方は「奥さん」に対しての皮肉とも取れます。以上のようにさまざまな考え方ができるはずです。

 「先生」は事実を伝えるだけにとどめて、Kの気持ちを想像して記述しようとしていません。この時読者は混乱します。Kの言葉にひっかかり、その意味をいろいろ考え始めるはずです。これは「先生」も同じだったはずです。もしかしたら大した深い意味がないのかもしれません。しかし、「先生」は疑心暗鬼に陥るしかなかったのです。「先生」の独り相撲が始まります。これこそが人間の「こころ」です

 小さいことですが、夏目漱石の仕掛けのように感じられるセリフです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする