とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

ひろゆき氏の古典教育への提言に耳を傾けよう

2021-02-25 08:00:48 | 国語
 実業家のひろゆき氏が、ツイッターで「古文・漢文は、センター試験以降、全く使わない人が多数なので、『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『宗教』『PCスキル』の教育と入れ替えたほうが良い派です」と提言したと言う報道がありました。続けて「古文漢文はやりたい人が学問としてやればいいだけで必須にする必要ないかと」とも言っているそうです。この問題提起はもっともです。私は「全面的に賛成」というわけではありませんが、貴重な提言だと思っています。

 私も現在の国語教育は大きな問題があると思っています。

 古典教育は本来、日本の古典文化について学ぶことが目的であるはずです。現代語訳が目的ではなく、古典作品の内容を学ぶことが目的であるべきなのです。しかし現実にはそうなっていません。現代語訳ができることが目的となっています。だから文法指導に大きな時間がさかれすぎています。もちろん、これは大学入試に対応したものです。大学入試で現代語訳が要求されるからです。

 現代文の分野についても、大きな問題があります。非常に難解な文章の読解が要求されているということです。センター試験でも時々何を言ってるのかわからないような難解な文章が出題されます。受験業者の模擬試験を見ると、本当に難解な文章が出題されます。

 本来、国語の授業では論理的な文章を正確に読み取り、論理的に表現できる力を育てることと、日本の文学を批判的に読解し、日本の伝統文化を学ぶことが求められているのだと私は思っています。現在の国語教育は大きくそれと離れています。

 一方では指導要領の改訂も、大学入試改革も、理念に賛同できるものもあるのですが、具体案はひどいものです。現実が見えていないものであり、改革が進まないように意図しているのではないかと思ってしまいます。

 現在の国語教育を絶対のものとしないで、今後の国語教育のあるべき姿を議論によって見えるようにしていかなければなりません。
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映画『すばらしき世界』を見ました。

2021-02-22 18:33:20 | どう思いますか
 映画『すばらしき世界』を見ました。殺人の罪でつかまり、懲役を終えた男は、まっすぐではあるが、短気であるためにトラブルが絶えない男でした。そんな男が社会になんとか溶け込もうとする姿を描いた映画です。不器用な男が生きにくい世の中でもがいている姿が泣けてきます。

監督 西川美和 
原作 佐木隆三
出演者 役所広司、仲野太賀、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子、橋爪功

 主人公三上はまっすぐな男です。しかし気が短い。自分の妻を守るためにまっすぐに戦います。しかしやりすぎてしまいます。その結果殺人を犯してしまいます。一見正当防衛にも見えますが、やりすぎてしまったために殺人と判決されます。そんな男だから刑期を終えて刑務所から出てきても、トラブルがやみません。まっすぐなのでみんなから愛されます。だからみんなが心配します。しかし心配した通りの失敗を繰り返すのです。彼にとって生きることは涙ぐましい努力が必要なことなのです。

 人間は誰もが不器用にできています。思い通りにならない中で必死にもがいています。自分をごまかし、我慢に我慢を重ねて、時には悔しくても逃げながら、そんな逃げている自分に唾を吐きながら必死に毎日を生きてるのです。生きていることの重みを感じる映画でした。

 名作です。


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宇佐見りん作『推し、燃ゆ』を読みました。

2021-02-21 14:46:50 | どう思いますか
 芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』を読みました。残念ながら私にはいまひとつ理解しがたい作品でした。しかしたくさんの人が絶賛していたので、おそらく私の鑑賞力が乏しく、また新しい表現を受け入れる器が足りないためなのではないかと思っています。悔しいので再読しています。
 
 高校生女子の「あたし」の一人称小説です。そのため「あたし」を外から見た視点がありません。読者は「あたし」は「普通」の女子高生のように読み進めてしまいます。(ここで「普通」というのは差別用語になってしまいますが、説明のためにあえて使わせていただきます。)しかし、それが誤読であることがわかってきます。「あたし」はずいぶん変わった子であることがわかってきます。

 
 主人公の「あたし」は、実はおそらく発達障害の傾向の強い高校生です。言われたことを頭の中に入れておくことが難しく、あらゆるものをメモする習慣を身に付けています。勉強の方でも漢字テストが苦手で、勉強をいくらしても合格できません。英語の三人称単数のsをつけることもすぐに忘れてしまいます。そしてとうとうあっさりと進級できずに退学してしまいます。それさえも簡単に受け入れるのです。

 主人公の「あたし」が共感できるのが「推し」の「上野真幸」です。おそらく彼も現実に大きな違和感を覚えています。だから様々なトラブルを起こしてしまうようになります。そのトラブルがあるからこそ、逆に「推し」に共感していきます。現実に違和感を覚えるふたりだからこそ共感できるのです。

「普通」の読者は、なかなか「あたし」の語りにすっきりしません。自分と違う感覚の語りにしっくりこないのです。

 しかし考えてみればわかりますが、発達障害の「あたし」が「普通」の人間を見る視点もおそらく違和感があるものなのです。「普通」の読者が「あたし」の感覚が理解できないよううに、「あたし」には「普通」のことが理解できない。「普通」の読者が、実は逆に「普通」ではないのではないかと思うようになります。差別をなくすというのはこの違和感を受け入れることなのです。
 
 以上のような仕掛け施されている小説ではないかと思われます。そう考えればうまくできている小説です。

 しかしそういう仕掛けがあるのだとすれば、逆に私にはあざとさを覚えてしまいます。

 作品の良さがどこにあるのか、もう少し考えてみたいと思います。

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ワクチン競争への懸念

2021-02-20 07:22:01 | どう思いますか
 G7のテレビ会議が行われた。その中で新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の結束の証しとして今夏に安全・安心な形で東京五輪・パラリンピックを開催するとの日本の決意を支持するとの首脳声明をまとめたということである。そして発展途上国にも新型コロナワクチンの供給を目指すことも確認したという。しかし、現実には「先進国」によるワクチン寡占状況が続いており。口だけの確認にしか思えない。

 現状を見る限り。ワクチン接種競争が始まっているとしか思えない。どの国も経済立て直しのためには他国よりもはやく、新型コロナウイルス対策を行いたいと思っている。中国やロシアは国家政策としてフライング気味にワクチン接種をおこなっているし、ワクチン輸出にも積極的だ。新型コロナウイルスをいち早く克服しそうである。アメリカもそれに追随している。結局は大国の経済競争である。

 発展途上国は、新型コロナウイルスからの経済回復が想定的に遅れ、経済的にも相対的に劣勢になる。その現実を直視しないで、G7はアリバイ作りのために能天気に会議をしているのだ。

 こんな経済競争の最中に、オリンピック・パラリンピックが開催することも大きな問題があろう。アスリートファーストと言うならば、先進国のアスリートが有利になってはいけない。さらに言えばオリンピック・パラリンピックがワクチン供給に無理を生じさせてはいけない。

 一時期、新型コロナウイルスが中国による国家的テロだという噂が流れていた。もちろんデマでしかないだろう。しかし新型コロナウイルスの対応によって有利な国、不利な国が生まれてくるような現状を見る限り、今後ウイルステロが出てきてもおかしくないように感じてしまうのだ。将来おかしなことにならないように、全世界でしっかりと協調して今回の新型コロナウイルスの対応をしていかなければならない。

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映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見ました。

2021-02-16 17:48:19 | 映画
映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見ました。

 映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見ました。私の大好きな映画に『ラスト・ワルツ』があります。この映画は「ザ・バンド」の解散コンサートの記録映画です。すばらしい解散コンサートでした。あのコンサートの裏の事情が分かってくる映画です。ロックの時代の世代の人間にとって、あの時代の意味を知ると言う意味でも貴重なドキュメンタリーでした。

 監督はダニエル・ロアーという人ですが、製作総指揮に『ラスト・ワルツ』の監督でもあるスコセッシの名前があり、しかも映画の中でも何度もインタビューで出てきます。おそらくスコセッシが作りたかった映画なのだろうと思います。

 「ザ・バンド」が売れ始めた頃から一部のメンバーが麻薬に侵され始めました。そのため関係がうまくいかなくなり。ロビーロバートソンが解散しようとしたという事情が見えてきます。その最後の祭りが「ラスト・ワルツ」コンサートでした。映画ではかつて仲が良く、家族のように暮らしていたメンバーの心が離れていく姿が語られていきます。解散の後は、麻薬に侵されたメンバーは他のメンバーのことを恨みながら早逝します。あの時代のロックスターのせつない生き方が胸をうちます。

 ロックはショービジネスとなり、音楽というよりも経済になってしまいます。その中で心を壊していくミュージシャンが多くいました。ロックはグローバル時代の象徴となります。その大きさのために自分を見失うミュージシャンが生まれます。時代に翻弄されてしまうのです。一方では純粋な音楽がゆがんでいく危機を感じるミュージシャンもいました。分裂する音楽界が見えてきます。

 これが私が生きた時代でもあり、自分を見つめなおす映画でもありました。
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