とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『ハムレット』を見ました。

2024-06-08 07:26:58 | 演劇
彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念 彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』を見ました。役者の熱演により、迫力のある素晴らしい舞台でした。

演出は吉田鋼太郎。キャストはハムレットが柿澤勇人、オフィーリア役に北香那。ハムレットの亡き父と、その弟のクローディアス役を吉田鋼太郎、ハムレットの母ガートルード役に高橋ひとみなどが演じます。

舞台は満足したのですが、なんど見てもハムレットはよくわからなくてしっくりきません。今回はそのことについて書きます。

ハムレットの父であるデンマーク王が急死します。王の弟クローディアスが王妃と結婚し、後継者としてデンマーク王の座に就きます。つまりハムレットの母は、ハムレットの伯父とすぐに再婚してしまうのです。そこにハムレットの父の亡霊が現れ、自分はクローディアスの毒殺されたのだとハムレットが告げます。ハムレットは復讐を誓います。

ここまでの筋はわかりやすいのですが、ここからがよくわからなくなります。ハムレットの「暴走」が始まるのです。

復讐を誓ったハムレットは狂い始めます。狂気を装っているようでもあるのですが、それにしては行き過ぎです。ハムレットは愛するオフェーリアを無下に扱います。さらには、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたオフェーリアの父である宰相ポローニアスを、クローディアスと誤って刺し殺してしまうのです。かわいそうなのはオフェーリアです。愛するハムレットから冷たくののしられ、父親もハムレットに殺されてしまうのです。オフェーリアは気が狂い、溺死します。

ハムレットの行為はどう見てもやりすぎです。観客はここまでくるとハムレットと同化できなくなります。

宰相ポローニアスの息子であり、オフェーリアの兄であるレアティーズは、父と妹の仇をとろうとします。ハムレットと剣術の試合を行い、毒を塗った件でハムレットを殺そうとするのです。しかし結果として、ハムレットもレアティーズも剣の毒のために死んでしまいます。さらにはクローディアスもガードルードも死んでしまいます。

最後のシーンは味方によってはドタバタ劇のようでもあるのです。そもそこハムレットはクローディアスに対して復讐をすればそれでよかったはずです。その機会もありました。しかし、事を面倒にしてしまって、みんな死んでしまうのです。これは何を意図した作品だったのでしょう。

しかし、実はこの不思議さに最近は実ははまってきているのです。なぜこうなるのか、なぜこうする必要があるのか、それを考えるとおもしろくなってきます。その解釈をつくりあげることも、観客の創造でもあるのです。

芸術作品とは、受け手の想像力を活性化し、受け手自身があらたなものを作り上げることも含めて存在するものなのではないかという気もしてきます。「ハムレット」はそういうことを考えさせてくれる作品です。
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フロリアン・ゼレール作『La Mère 母』を見ました。

2024-04-16 17:37:34 | 演劇
東京芸術劇場シアターイーストでフロリアン・ゼレール作『La Mère 母』を見ました。現実と幻想の狭間の人間を描く、緊張感あるすばらしい舞台でした。

家族のために人生をささげてきた母。しかし大切に育てた息子は自分で暮し始め、彼女もでき次第に母から離れていきます。愛情過多の母が次第に鬱陶しく感じてもいるようです。夫にも愛人がいるようです。夫の嘘が心を突っつくように感じます。母は自分が生きがいとしていた家族に去られ、いつしか精神を病み幻想を見始めます。演劇はその幻想と現実の狭間を描き、事実がどこにあるのかがわかりません。観客は追い詰められていく母の姿を見詰めることによって、家族という不思議な存在を考えざるを得ません。非常に悲しく残酷な演劇です。

主演は若村麻由美。愛情過多であり、孤独を怖れる女性を見事に演じています。父親役の岡本健一もやり過ぎない演技で舞台を引き締め、若村麻由美との距離感を見事に作り出しています。息子役の岡本圭人も微妙な心理をうまく演じています。

引き締まった舞台であり、なおかつ心の迷宮に迷い込む感覚になります。名舞台です。
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シスカンパニー公演『カラカラ天気と五人の紳士』を見ました。

2024-04-14 10:51:46 | 演劇
 作:別役実、演出:加藤拓也、出演:堤真一、溝端淳平、藤井隆、野間口徹、小手伸也、中谷さとみ、高田聖子という豪華絢爛の公演『カラカラ天気と五人の紳士』を見ました。笑いながら、怖い世界に突き進む作品でした。傑作です。

 昔、NHKの「おかあさんといっしょ」の中で、週1回「おはなしこんにちは」というコーナーがありました。その中で不思議な童話が読まれます。子供のころ私はそのコーナーが大好きでした。中学生か高校生になり、図書館に行くと『淋しいおさかな』という童話集がありました。そしてその童話集に「おはなしこんにちは」の童話が載ってのっていたのです。そしてその本の作者が別役実さんでした。

 そこから私は別役実さんのファンになりました。別役さんが劇作家で、不条理劇を書いていることも後から知りました。別役さんの不条理劇は難解なものが多く、よく理解できいことが多かったのですが、学生で東京に住んでいたころ、何度か見に行きました。やはり難解で、しかも静かな演劇で、別役さんの芝居からは遠ざかっていました。「不条理」という言葉はよく耳にしますが、実感としてなじまないことが多く、ベケットなどもよくわからないままでした。

 しかし年を取るにしたがって不条理が少しずつ実感できるようになってきました。人生は不条理です。理屈通りに行くことなんかありません。不条理の中で生きていくしかないのです。というよりも本来人間の生きていく意味などないのです。生きていくというのは死を待つための暇つぶしでしかないのかもしれないのです。

 この芝居も笑いが絶えません。昔見たコント55号のコントみたいです。しかし、私たちが真面目にやっているつもりの毎日の仕事や生活も、実は宇宙人から見たらおかしなことにしか見えないでしょう。この芝居はそのことに気付かせてくれます。

 残りが少なくなってきている自身の人生、これから何をしていくべきか、そんなことを考えさせられてしまいました。

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舞台『善き人』を見ました

2024-04-12 08:09:25 | 演劇
 世田谷パブリックシアターで上演された舞台『善き人』を見ました。ナチに取り込まれていく過程が自分にも同じようなことがあるのではないかと思わせ、ラストシーンのすごさに圧倒される作品だった。ただし、準備不足を感じさせる舞台でもあった。

 ベルリンの大学で講師をしているジョン・ハルダーは、過去に書いた安楽死に関する小説を、ヒトラーが気に入ったことからナチスに取り込まれていく。彼はナチスに入党せざるをえなくなり、ユダヤ人の友人モーリスとも次第に溝が深まっていく。モーリスの国外逃亡を支援するが、彼は捕らえられて収容所に送られる。ジョンは、職権を利用してモーリスが送られたとされる収容所に向かう。そこでユダヤ人たちの悲惨な状況を目にする。そしてユダヤ人たちの奏でる美しい音楽に遭遇する。

 このラストシーンがすばらしい。人間が生きていくと気づかないまま流されて巨大な権力に取り込まれてしまう。それが社会なのだ。しかしナチスなど、根本的な「悪」に取り込まれてしまったら、それは後戻りのできない大きな罪悪となる。そうならないために批判的な眼を養う必要がある。ジョンは批判的な眼はもっていた。しかしそれを発揮する勇気は持っていなかった。そんな弱さこそがこの演劇の注目点である。ラストシーンはそこに集約していく。だから思い。

 ただし、途中の完成度が低い場面が多い。まずは歌がまだあぶなっかしくて聞いていられない。しかもセリフが「セリフ」であり、自分の言葉になっていない箇所がある。稽古時間が短いまま本番を迎えてしまったのではないだろうか。厳しいことを言うようだが、結構高いチケット代である。しかもすでに高い評価を得ている戯曲である。残念である。公演中であるが完成度を上げてもらいたい。
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ショーン・ホームズ演出舞台『リア王』を見ました

2024-03-15 17:31:50 | 演劇
ショーン・ホームズが演出、段田安則が主演を務める『リア王』を見ました。斬新な演出で、緊張感が持続する舞台でした。

幕が上がると白い背景、舞台の上には蛍光灯が点灯し、不思議な現代的な空間が現れ意表をつく幕開きとなりました。登場人物も現代的な衣装を着ています。人物の区別がつきやすく、大げさな歴史性が捨象されているために、セリフの意味がストレートに伝わってきます。人物関係もわかりやすくなっているような気がします。おそらく後半のごちゃごちゃした箇所が省略されていたので、すっきりしているのではないかと思われます。

いろいろな考え方はあると思いますが、私はシェークスピア作品をそのままの形で、現代に、しかも日本で上演するのは無理があるように思います。とくに『リア王』はあまり上演されることがなく、観客も準備ができていません。ある程度、台本に手を入れるのはいいことなのではないかと思います。そのおかげで内容に無理なく入っていくことができたような気がします。

私が小学生か中学生の時、国語の教科書に『リア王』が載っていました。もちろんごく一部です。三姉妹のリア王に対する愛を語る部分です。私はその時とても違和感を覚えました。コーディリアがなぜリア王への愛を語らなかったのか、それが逆に偽善のように感じたのです。教科書の意図は、嘘はいけないというものだったのかもしれませんが、そんなに単純なものではないと子どもながらに考え込んでしまったことを記憶しています。

コーディリアがリア王を愛していたことは確かだし、それを何も飾らぬ言葉で語ってもよかったのではないかと思ったのです。それができなかったがためにリア王の人生は狂い、一族の運命が破滅に到るのです。コーディリアがすべての原因だったということになるのです。この理不尽な展開が子どもの私には理解できなかったのです。しかし今回あらためて見てみると、こういう不条理こそが人生そのものなのだと感じました。年をとるということはこういうことを受け入れるということなんだなと不思議な気持ちになりました。

それにしても、昔は演劇がちゃんと教材になっていたことが今考えれば驚きです。ほかにも『ジュリアス・シーザー』のアントニーの演説も授業で学びました。教科書にあったのです。昔は余裕があったのですね。演劇は表現を学ぶいい教材です。国語教育に積極的に取り入れることを期待します。

主な出演者は段田安則、小池徹平、上白石萌歌、江口のりこ、田畑智子、玉置玲央、入野自由、前原滉、高橋克実、浅野和之。実力者ぞろいの大作でした。
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