とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

正答率0.7%は出題者が無能だから(新テスト国語の問題)

2018-03-27 10:05:33 | 高校国語改革
 以前、「大学入試共通テスト(新テスト)」について書かせていただいた。今回その正答率が公表された。私が不備を指摘した問題の正答率が0.7%だということがわかった。この正答率を見る限り、私が指摘した通りだと思われる。そこで再度、問題提起したい。

 2020年度から今の「センター試験」に代わる「大学入学共通テスト(新テスト)」が実施される。国語では記述式が導入される。今年の4月に高校に入学する生徒がその対象になる。
昨年(2017年)の5月と7月に記述式の「モデル問題」が公表され、昨年(2017年)11月に試行問題が実施され、その問題が12月に公表された。試行問題は従来のセンター試験型の問題+記述式試験という形になっており、試験時間は20分延びて100分となっている。点数は「200点+記述式の評価」という記載になっている。従来のセンター試験型の問題も、少し傾向は変わってきている。

 今回疑問に思うところがあり、取り上げたいのはその「試行問題」の第一問である記述式の問題である。記述式の問題の是非というような大げさなことを申し上げたいのではない。問題自体に不適切な箇所があるのではないかという問題提起である。

 この問題は大学入試センターのホームページからダウンロードすることができる。参考資料の問題である。

 問題のリード文を引用する。

 「青原高等学校では、部活動に関する事項は、生徒会部活動規約に則って、生徒会部活動委員会で話し合うことになっている。次に示すものは、その規約の一部である。それに続く【会話文】は、生徒会部活動委員会の執行部会で、翌週行われる生徒会部活動委員会に提出する議題について検討している様子の前半部分である。後に示す、執行部会で使用された【資料①】~【資料③】を踏まえて、各問い(問1~3)に答えよ。」

 このリード文の理解もかなり面倒である。この面倒さを理解することも問題の趣旨なのかは私はわからない。
 さて私が問題視しているのはこの中の問3である。部活動の時間延長の必要があるという認識で執行部では一致して、いくつかの資料をもとに提案理由を考えている場面である。「島崎」は委員長、森は「副委員長」である。【会話文】の中のその部分を引用する。

島崎 では、これらの資料を基にして、部活動の終了時間の延長を提案してみましょう。
森  ちょっと待ってください。提案の方向はいいと思うのですが、課題もあると思います。( イ   )
島崎 なるほど、そう判断される可能性がありますね。それでは、どのように提案していけばいいか、みんなで考えましょう。

 この部分を受けて、問3の問題が出題される。引用する。

問3 空欄(イ)について、ここで森さんは何と述べたと考えられるか。次の⑴~⑷を満たすように書け。
   ⑴ 二文構成で、八十字以上、百二十字以内で書くこと(句読点を含む)。なお、会話体にしなくてもよい。
   ⑵ 一文目は「確かに」という書き出しで、具体的な根拠を二点挙げて、部活動の終了時間の延長を提案することに対する基本的な立場を示すこと。
   ⑶ 二文目は「しかし」という書き出しで、部活動の終了時間を延長するという提案がどのように判断される可能性があるか、具体的な根拠と併せて示すこと。
   ⑷ ⑵・⑶について、それぞれの根拠はすべて【資料①】~【資料③】によること。


 これに対する正答例が次である。

・確かに、部活動終了時間の延長の要望は多く、市内に延長を認める高校も多いことから、延長を提案することは妥当である。しかし、通学路は道幅も狭い上に午後六時前後の交通量が特に多いため、安全確保に問題があり、延長は認められにくいのではないか。

 私が疑問に感じるのは内容の問題ではない。確かに資料から読み取れるのはこの正答例以外になく、ほぼこのような形の解答になるのではないかとは思う。しかしこの解答例は「判断」ではない。「どのように判断される可能性があるか」という問題の解答として適切だとは思えないのである。受験生は混乱してしまう。まじめで論理的に考える受験生ほど、この問題の解答を作る際に悩んでしまい、場合によっては別の解答を作り上げてしまったのではないかと予想されるのである。この問題についてふたりの同僚の国語教師に意見を聞いてみたが、少なくとも私が違和感を感じるのはわかると言うことであった。

 さて、今回この問題の正答率が公表された。なんと0.7%だったのだ。あきらかにこれは問題が悪かったのである。記述式がむずかしかったからではない。出題者が無能だったのだ。
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「平井文夫に言わねばならぬ」

2018-03-24 00:23:41 | 平井文夫 
なぜか私が昔書いた「フジテレビ上席解説委員平井文夫氏はなぜ上席なのか」というタイトルのブログがものすごい勢いで読まれている。なぜなのかと調べてみたらホウドウキョクというニュースサイトで「平井文夫の言わねばならぬ」というコラム動画があり、その中で「前川氏の授業、自分の子供に受けさせたいですか?」という題でとんでもないことを平井氏は言っていた。全文引用する

「問い合わせ」の何がけしからんのか
前文部科学次官の前川喜平氏が名古屋の公立中学校で授業を行い、文部科学省が教育委員会に問い合わせを行ったことについて、「教育の中立を侵すもの」という批判が出ている。
特に文科省にそれをやらせた自民党の国会議員はけしからんと。
いったいどこがけしからんのでしょうか?
ただ聞いているだけで圧力をかけている訳ではない。
前川さんは教育基本法16条の「不当な支配」に当たると言ってるが、どこが不当な支配なのでしょうか。
前川氏は公立学校で授業をするにふさわしい人なのか
前川さんは、してはいけない天下りをやらせて文科省を辞めさせられた人。
出会い系バーに「若い女性の貧困調査」と称して通っていた人。
こんな人が果たして公立の中学校で授業をするにふさわしい人なのか。
僕は是非政治家や文科省に調べてほしいと思う。
その結果を、子の親として知りたいと思う。
と言うか、自分の子どもにこんな人の授業を受けさせたくないんです。
私立学校で何を教えようが知ったこっちゃない。
籠池さんの幼稚園にはちょっとびっくりしたが、まあ私立なので自分の子を入れなければいいだけのこと。
でも公立はそういうわけにはいかない。
もし僕が名古屋に転勤したら娘はあの学校に通い、前川氏の授業を強制的に受けさせられたかもしれない。
それは困る。
中学生の娘には、出会い系バーに通うおじさんに接してほしくないのです。
少しは自分でものを考えろ
教育の中立性というのは何をやっても自由ということではない。
間違った教育をしていないか、国民は監視する義務と権利がある。
この件で文科省に確認した自民党の赤池さんと池田さんの二人の議員は、何の間違ったこともしていないので、言い訳などせず堂々としているべきだ。
左翼の人や野党や安倍政権を嫌いなメディアが文句を言うのはいつもの事だが、そうでない人たちまでが無自覚に「教育に干渉するな」と騒いでいるのを見ると、「少しは自分でものを考えろ」と言いたくなる。
 読めばわかる通り、高校生の小論文程度の内容である。フジテレビの上席解説委員としての意見とは到底思えない。

 きのうとんねるずが「みなさんのおかげでした」の最終回の一番最後に「フジテレビをおちょくるなよ」と歌っていた。かっこいいなと思った。しかしきょうの平井氏のこの動画を見て、こんな人が上席解説委員をしているフジテレビならがおちょくられて当たり前だと思った。
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「折々のことば」より 愚かな自分に気づくために

2018-03-21 11:46:49 | 折々のことば
 私は今つらい。いろいろと思うようにいかないことが多い。その原因は何なのか。自分を見つめなおすことから始めようと思った。そんな時に今日の朝日新聞の「折々のことば」。自分の愚かさに気づかなかったからこうなってしまったのか。

賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを胆に銘じている。(オルテガ・イ・ガセット)

放っておけば人はすぐに「自分の思想の限られたレパートリーの中」に安住してしまう。自分を超えるもの、自分の外にあるものへの感覚をなくしてしまう。それを鈍らせないためには、たえず「自分を疑う」ことが必要だ。これより先に行けば危ない、それを言っちゃあお終いよ、という限界の認識もその中で磨かれる。スペインの思想家の『大衆の反逆』(神吉〈かんき〉敬三訳)から。(鷲田清一)


 もう一度自分を見つめてみよう。そして自分を疑ってみよう。もう一度自分を振り返り、自分の愚かさに気づくように努力しよう。もっと成長しなければならない。
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文科省が前川喜平氏の講演内容を調査?

2018-03-18 11:27:39 | 社会
 文部科学省の前川喜平前事務次官が名古屋市立中に講師として招かれた際の授業内容や録音について、同省が市教育委員会に報告を要請していたという。ここ最近の厚生労働省の「データ捏造(ねつぞう)」、財務省の文書書き換えに続き、文科省もである。しかも文科省のこの問題は加計学園の認可に対して前川氏が「行政がゆがめられている」と訴えていたことに対しての、文科省の「忖度」の行き過ぎであり、まさに行政がゆがめられている証拠である。国の行政が国民のためにあるのではなく、行政官のためにある。あるいは行政に権力を行使できる人間のためにしか行政が存在しないという状況なのだ。

 国民があるときは脅しをかけられ、ある時は騙されて、国の名のもとに自由を奪われていく。これでは戦時中と同じであり異常事態である。もはや北朝鮮並みにひどい。こんな異常な国に住みたくないと本気で思う。

 官僚の方々には「国民のため」とは何なのか、冷静になって考えていただきたい。今の状態は目先のことばかりにとらわれて、あるいは巨大な権力者に脅されて国を悪くしているようにしか思えない。

 前川氏はどういうことがあっても冷静に対応している。こういう人こそ行政官であるべきだったのだ。これからの日本に必要な人材である。ぜひ教育現場に貢献いただくと同時に、日本の行政にご意見をいただきたい。
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フジテレビ上席解説委員平井文夫氏はどうして上席なのか2

2018-03-17 16:23:00 | 平井文夫 

 フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏の意見は私には理解できないことがあるので、できるだけ避けるようにしている。しかし今回インターネットのホウドウキョクというニュースサイトに「『憂さ晴らし』は時に国を壊す」という動画で意見を述べているのを見てしまった。あまりにひどいので取り上げる。

 最初に平井氏は次のように言う。

財務省の書き換え問題で「内閣は責任を取って総辞職しろ」と言っている人が野党などにいるが何を言っているのか。
 もちろん真相究明すべきだが、首相が行政をゆがめた証拠もないのに、国民が選んだ首相に辞めろ、などと軽々しく言わないでもらいたい

 ここまでの意見は私も賛成である。野党は結論を急ぎ過ぎている。同じ趣旨から安倍昭恵氏の証人喚問もこの段階では要求すべきではない。もし今後もっと事実が明らかになり、安倍夫人にも聞かなければならないことがあるような事態になれば必要になるかもしれない。しかしまだ何も事実はわかっていない。この段階では安倍昭恵氏を証人喚問するのはいくらなんでも行き過ぎである。
 ついでに言わせてもらうとフェイスブックで野党批判を含む投稿に対して「いいね!」をクリックしたことに対して野党が批判しているが、これも大きな問題ではない。自分を応援してくれる人に「ありがとう」の意味で「いいね!」をクリックしたくらいの意味しかないのは明らかだ。こんな揚げ足取りばかりしているから野党はいつまでたっても野党でしかないのだ。
 ここまでは平井氏の意見に賛成するのだが、この後がよくわからない。引用する。

この問題について安倍さんを嫌いな人は「安倍が行政に介入して歪めた」と言い、安倍さんを嫌いじゃない人は「悪いのは安倍ではなく財務省」と言い、双方に歩み寄る余地はない。
 そして互いに罵り合っている。

 この論の展開がよくわからない。そもそも平井氏の意見では安倍さんが好きな人と嫌いな人の2種類しかいないことになる。それは違う。多くの人は安倍さんにはいいところも悪いところもあるが、今回の財務省の文書改ざん事件は財務省が悪いのは当然だが、そこに安倍政権の影がどうしても見えてしまうという疑惑なのである。財務省だけが悪いということにすぐには思われないという事件なのだ。平井氏は勝手な情報操作をし始めているようにしか思われない。

 次に、不思議な例を持ち出す。

国が真っ二つになって双方が罵り合うというのは、米国の大統領選挙、英国のEU離脱もそうだった。
どちらも不満がたまっている人たちの「憂さを晴らしたい」という強烈な欲求がそのエネルギーとなった。
しかし、憂さ晴らしのつけは必ずブーメランになって国民に戻ってくる。
米国ではトランプが何かやらかすたびに国中で大喧嘩しているし、英国は政治的にも経済的にも重大な損失を蒙りつつある。
「憂さ晴らし」は時に国を壊す
去年も同じ風景を見た
確かに威張っている麻生さんが頭を下げて辞任し、昭恵夫人が証人喚問されるのはいい「憂さ晴らし」なのかもしれない。
安倍さんが辞めればもっと楽しいだろう。
でも、その後はどうするの?
今、岸田さん、それとも石破さんに首相ができるのだろうか?
それとも立憲民主党とか希望の党が政権取るの?
 そもそも財務省の公文書管理は改善されるのだろうか。

 ここまでくると酔っ払いのたわごとでしかない。論理が飛躍しすぎていて、まともなマスコミの論説者の意見とは思えない。

 さらに引用する。

今回の風景、どこかで見たようだと考えてみたら、去年の加計学園の騒ぎと似ていた。
あの時も首相が行政を歪めたのではないかという疑惑がもたれて、国論が二分され、支持率は20%台に下がり、自民は都議選で惨敗した。
ところが不思議なことにこれで国民の「憂さが晴れた」のか支持率は回復し、安倍さんが解散したら野党のチョンボもあり、自民が圧勝してしまった。いったいあの騒ぎは何だったのだろう。
国会も司法も財務省の書き換えを解明せよ
前回も今回も使われる言葉は「忖度」。
これは首相の介入の証拠がないことをごまかすために野党とマスコミが使っている言葉。忖度なんて全国各地で毎日当たり前に行われている日本の美徳ではないのか?
 この部分も何を言いたいのか全く分からない。確かに「忖度」をどうとらえていいのかあいまいな点があり、そこは国会議員もマスコミの人も丁寧に扱ってほしいし、そうしないと議論がかみ合わないというのはわかる。その点では平井氏の意見は一理ある。しかし、「忖度」が「首相の介入の証拠がないことをごまかすために野党とマスコミが使っている言葉」と言い切っているのはおかしい。そう言ってもいい場面があるのは理解できるが、それがすべてではないのは明らかだ。

財務省の書き換えはゆゆしき問題だ。
誰が何のためにやったのか国会も司法も解明してほしい。安倍さんが介入したのであれば彼は首相を辞め、議員も辞めるだろう。
ただ真相解明の前に麻生辞めろ、安倍辞めろと言うと、言われた方はハリネズミのように死に物狂いで守りに入る。
結果、真相解明はできなくなる。
そして、その間政治はすべてストップしてしまう。
 国益とは何なのか、を考えてほしい。

 この最後の部分は何を言っているのであろう。安倍首相にやさしくしてやれば自分で真相を語って、やめるはずだという趣旨なのだろうか。それとも国営気のためには安倍首相のほうがいいのでそってしておいたほうがいいというのだろうか。まったくわからない。

 平井氏が安倍首相のお友達で安倍首相側にたって意見を言うのを否定するつもりはない。しかしテレビの解説委員として、もっと論理的なことを言ってほしい。野党の議員の扇情的な非論理的な論理に対抗したいという気持ちに同情したい部分もある。しかし平井氏は言論人である。平井氏の今回の意見は非論理的であり、感情的な意見としか私には思われない。これでは逆に喧嘩をあおっているだけであり、平井氏の主張と矛盾するものであろう。

 議論の前提になるのは論理性である。国会議員のみなさんも、マスコミのみなさんももっと論理的な議論を心がけていただきたい。
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