とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

安倍政権の外交政策の評価

2020-08-31 07:18:23 | 政治
 安倍政権は外交面でも前半はよくがんばっていた。

 賛否はあるだろうが、対中国、対韓国に毅然とした態度をとり、なんでも譲ればいいというこれまでの方針を大きく転換したことは評価できる。また、外遊も多く、世界の国々とのつながりを築こうとした姿勢は高く評価したい。対米政策においても、同盟国としての立場を明確にした、その結果オバマ大統領の広島訪問が実現したことは大きな成果だった。

 さらに長期政権となって「日本の顔」となったことも大きな力となった。以前のようにコロコロ首相が変わっている国とは何の約束できない。指導者がころことと変わってはいけないのだ。

 しかしやはり後半は評価しがたい。

 一番の失政は北方領土問題である。プーチンにしてやられた。二島返還に舵を切った瞬間に、一切戻らない方向に押し切られようとしている。これは安倍政権の致命的な失政である。北方領土はもはやもどってこない、日本人の多くがそう思ったはずだ。

 また対米外交も、トランプにやられっぱなしだ。オバマはまだ理性的な政治をおこなっていた。しかしトランプは自分勝手すぎる。アメリカさえよければそれでいいという政治である。安倍政権はそんなトランプ政権にまでべったりとなってしまった。そのためにトランプのわがままを追認する国家となってしまったのだ。そのために国際的には日本は「アメリカの属国」のようにしか見えなくなってしまった。アメリカの属国として、アメリカのための法案をむりやり通すことが多くなってきて、国内政治も理不尽なことが多くなる。国家の威厳は失われてしまった。

 韓国との関係もこのままでいいわけはない。確かに年配の人間はまだ、日韓関係に様々な思いがあるかもしれないが、若い世代にまでそれを背負わせてはいけない。未来志向の関係を築かなけれればならないのであるが、その道筋がまだ見えない。

 外交がナショナリズムの発現の場所となってしまうのは仕方がないかもしれないが、グローバル視点での外交的活動がないということはやはりさみしい。これでは国民が国家に誇りを持てない。

 長期政権によるおごりが後半の外交の失速につなっがたように見える。
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安倍政権の経済政策の評価(安倍首相辞任表明)

2020-08-30 09:12:22 | 政治
 安倍晋三首相が辞任を表明した。私なりの安倍政権の功罪をまとめたい。

 まずは経済。安倍政権の経済政策は最初は評価していた。超低金利政策で円安誘導をすることによって輸出業者がうるおい日本企業が元気をとりもどした。一方では外国人観光客が増え、観光業界が潤うことができた。デフレ傾向であった日本経済が持ち直したのは安倍政権のおかげである。またそれに伴い雇用が大幅に改善したことは高く評価したい。

 しかし超低金利政策はもはや最後の手段であり、長期になってはいけない政策であった。だから超低金利政策の転換がどこかで必要であった。ところが、他の経済政策は不発に終わったために経済は思ったほどの回復が見られなかった。そのために超低金利政策は今現在まで続き、消費税増税、オリンピックの延期、コロナ禍などの経済の混乱の中、金利においては何の手も打てない状態になった。

 国がやったことと言えば、国債発行だけ。そのために国の借金は増える一方になり、未来永劫日本人は巨大な借金を返していかなければならない状態になってしまった。

 日本の若い世代は、年金の負担も多くなり、国債の負担も大きくなり、さらには消費税がのしかかり、生きていくだけで精一杯になる。もはや希望がもてない。安倍政権はこういう構造を強固なものにしてしまったのだ。そうなれば少子化は今後も続くことになるのは必然だし、さらに経済は回復の見込みがなくなる。

 安倍政権の後半は、その場しのぎの経済政策ばかりになってしまった。安倍政権の後半の経済政策は評価することはできない。
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鼻濁音の消滅

2020-08-27 13:44:50 | 国語
 鼻濁音が消滅しつつある。

 鼻濁音というのは、主にガ行鼻濁音のことを言う。ガ行音のうち語中に来る音である。ガ行鼻濁音は日本語共通語の規範的・標準的な発音と見なされてきた。しかし近年ガ行鼻濁音は消滅しつつあり、とくに若い世代はほとんどガ行鼻濁音を発音していない。

 たとえば、「学校」は[gakko]と発音する。それに対して「自我」は従来[jiŋa]と発音してきた。しかし今は少なくとも若者は[jiga]と発音している。このように鼻濁音は消滅しつつあるのだ。

 わたしは、自然に鼻濁音を身に付けた人間である。だから当たり前のように鼻濁音を使用している。30~40年前、「鼻濁音を使えない人が増えてきた」ということが話題になった。鼻濁音を発音させるように指導したこともある。今日、少なくとも若い世代では鼻濁音は消滅した。だれも発音していない。発音もできない。(ただし英語に[ŋ]音があるので英語では使っている。だから訓練すればできるようになる。)

 これだけならばまだ大きな問題ではなかった。問題は、わたしが自然に発音するガ行鼻濁音を、生徒が聴き取れなくなってきたと言うことである。ガ行音とガ行鼻濁音を聞き分けられなくなってきたのだ。極端に言えば「じが」が「じな」に聞こえてしまっているのだ。「あの先生、発音が悪くて聞きとれない。」という評価になっていまう。

 さあ、困った。私の発音は正確に伝わっているのかわからなくなってしまった。もし伝わっていないとすれば、私が直さなければいけないのだろうか。そそれともしょうがないものとすべきなのか。

 こんなことで悩まされることがなんとなく腹立たしい。

コメント (3)
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映画『ハニーランド 永遠の谷』を見ました。

2020-08-24 19:14:04 | 映画
 映画『ハニーランド 永遠の谷』を見ました。孤独に生きることに直面させられます。とても身に迫る名作です。ただしこれがドキュメンタリー映画なのかは疑問に感じました。

監督 リューボ・ステファノフ タマラ・コテフスカ

 文明とは程遠い山間の土地で、寝たきりの老母と暮らす養蜂家の女性が主人公。周りに住む人はいなく彼女たちは静かに暮らしていた。そんな彼女の家のすぐ近くに突然牛飼いの家族がやってくる。その家族は同じように養蜂を始めてしまう。女性は隣人がいることに幸せを感じ始めるが、一方ではさまざまなトラブルに怒りを覚え始める。隣人の家族は生活がうまく行かずに引っ越していく。女性は再び母親と二人きりの生活が始まる。しかしまもなく母親は死んでしまい、ひとりぼっちに生きることになる。

 第92回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞とあわせて国際映画賞にもノミネートされた作品だそうです。とてもよくできた作品です。人間は所詮孤独な存在です。いつかは孤独に死んでいくしかありません。そんなことを考えてしまいます。つらくせつない映画です。大自然の中、小さな人間が、もっと小さな蜂を養殖しながら生きていく姿は映像で見ても切なさが迫ってきます。孤独になる覚悟を考えさせられる映画です。

 ただし、このストーリーはできすぎです。なんらかの演出があると思われます。これがドキュメンタリーと名乗っていいのかはわかりません。もちろんドキュメンタリーでないからと言って作品の価値は変わりません。虚構だとしても少しも価値が落ちることのない名作なのです。


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映画『はちどり』を見ました。

2020-08-23 08:35:02 | 映画
 韓国のキム・ボラ監督の作品『はちどり』を見ました。少女の成長を描く秀作です。いい映画でした。

監督 キム・ボラ
出演 パク・ジフ キム・セビョク

 主人公の少女は見た目は大人しい「良い子」ですが、家庭や学校で様々なストレスが重なり、反抗することもあります。反抗して「悪い子」になると過程で暴力による制裁をうけます。精神的にも、肉体的にも傷つき、その結果心が壊れていきます。そんな心を受け入れて寄り添ってくれたのが、塾の漢文の先生でした。その先生のおかげで前を向こうとします。

 前を向いた少女は、傷ついているのが自分でもないことに気が付いていきます。家族も友達も、みんな自分のように何かに傷つきながら必死に生きていることに気が付いていきます。みんな必死に生きていてしかし不器用なので躓く、そんな人間の姿が見えてくるようになります。

 静かに、しかし確実に成長していく少女の瞳が印象的です。

 奇をてらったような展開はないのですが、この映画をみると、普通の日常が魅力的なものに見えてきます。

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