ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大井ダム

2024-08-20 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 大井ダム
2023年4月20日
2024年5月29日
 
大井ダムは左岸が岐阜県恵那市大井町、右岸が同県中津川市蛭川の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が多い木曽川では大正中期より木曽電気製鉄(株)による電源開発が進められていました。
1921年(大正10年)に同社を含む3社の合併により新たに大同電力(株)が誕生、電力王と呼ばれた福沢桃介指揮のもと同社は木曽川での電源開発に邁進し、同社初の発電ダムとして1922年(大正11年)に大井ダムが建設着手されます。
大井ダム建設事業はわが国初の本格的コンクリートダム建設事業であり、海外の先端技術を導入し機械化が進められ、関東大震災による資金不足や洪水による堤体流失などの障害を乗り越え1924年(大正13年)に無事竣工しました。
併せて建設された大井発電所も1925年(大正14年)に運用を開始、最大出力4万2900キロワット(のちに4万8000キロワットに増強)は当時のわが国発電所の最大出力を誇りました。
大井ダム建設の成功は大同電力のみならず、例えば東信電気による阿賀野川の鹿瀬ダムなど他の電力各社の電源開発にも大きな影響を与え、まさに戦前日本のダム建設の金字塔ともいえる事業となっています。
大井ダム・発電所をはじめ木曽川水系の大同電力の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承し現在に至っています。
木曽川は中部電力(株)の営業管内ですが、日本発送電の分割に際しては発生電力はどの地域に供給されるか?という『潮流主義』が採用され、阪神地域への送電線網を持つ木曽川の発電施設はほぼ関西電力が受け継ぎました。
その後1983年(昭和58年)に新大井発電所(最大出力3万2000キロワット)が新設、1997年(平成9年)には大井発電所の出力が5万2000キロワットに増強され、大井ダムの発電能力は計8万4000キロワットとなっています。

大井ダムは日本初の本格的ダムとしての評価が高くダムおよび発電所は土木学会選奨土木遺産に、ダムはAランク、発電所はBランクの近代土木遺産および近代化産業遺産に指定されています。
またダムは日本ダム協会による日本100ダムに、ダム湖の恵那峡はダム湖百選に選ばれています。

大井ダムには2016年(平成28年)1月、2023年(令和5年)4月、翌2024年(令和6年)5月の3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

先ずは2015年(平成17年)に完成した県道82号バイパスの東雲大橋から。
水面からの高さは80メートルあり、まるで空撮のようなアングルでダムを俯瞰できます。
ここから見ると大正期に木曽川を締め切るダム建設事業がいかに難工事だったかが容易に想像がつきます。 
ダムの背後にそびえるのは日本百名山の恵那山
(2023年4月20日)

3度目の訪問時は前日までの豪雨で水位が上昇し、21門全門からの放流を見ることができました。
かなり高い位置ですが放流の轟音が響きます。
(2024年5月29日)


堤体をズームアップ
21門のラジアルゲートで木曽川を締め切ります。
ゲートはもちろん関電ブラック。
湖面では浚渫船が稼働していますが、大井ダムの浚渫は川砂採取業者が行っています。
(2023年4月20日)

普段は穏やかな表情のダムも、全門放流となるとまるで暴れまわる竜のようです。
(2024年5月29日)


ダム下の東雲橋に移動します。
ここも大井ダム撮影の定番スポット
手前が1925年(大正14年)運用開始の大井発電所。
現在はピーク発電を行っていますが、訪問時岐阜県は気温30度に迫る季節外れの夏日。見学中の正午ちょうどに発電が開始されました。
右奥は新大井発電所でこちらは常時発電を行います。
(2023年4月20日)

(2024年5月29日)


木曽川左岸の阿木川合流点にあるのは中部電力(株)奥戸発電所
1921年(大正10年)竣工と大井発電所よりも歴史の古い発電所ですが、こちらは阿木川の水を利用した水路式発電所で大井ダムとの水利関係はありません。
(2023年4月20日)


発電所下流の支流和田川に流下する大井発電所のサージタンクからの余水吐流路。
擁壁や流路はすべて石積、石敷で竣工当時のものと思われます。
(2023年4月20日)


右岸発電所脇からサージタンクの下を通り天端へ向かいます。
サージタンクから大井発電所に伸びる水圧鉄管。
内径は306~370センチ、有効落差は42.42メートル。
(2023年4月20日)


大井ダムの特徴の一つ、エプロン直下のシュート。
ブロックを積み上げたような幾何学形状のシュートは大井ダムならでは。
さらに21番ゲートからの導流部も大きく転流する独特の形状。
(2023年4月20日)


右岸天端には各種記念碑や説明板が並びます。
こちらは福沢諭吉のレリーフで『独立自尊』の文字が刻まれています。
大同電力を率いた福沢桃介の義父であり、維新直後から水力発電による国家近代化を訴えた諭吉を顕彰しています。
(2023年4月20日)


こちらの記念碑には大井ダム・発電所建設事業に貢献した大同電力幹部、国内外技術者、さらに資金難に陥った大同電力に出資した海外投資家など13人のレリーフが嵌め込まれています。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトの新大井発電所取水ゲート
1983年(昭和58年)に増設されたためコンクリートやゲートは見た目にも新しい。
(2023年4月20日)

右岸から下流面
21門のゲートが並びます。
この後全国で建設される発電ダムの多くが大井ダムをモデルとしました。
(2023年4月20日)


左岸エプロン下のシュート。
減勢や河底洗堀防止目的ではありますが、染み出した錆色の骨材成分と相まってもはや芸術作品の領域。
(2023年4月20日)


新大井発電所の取水工
スクリーン上に除塵機が鎮座します。
(2023年4月20日)


天端は恵那峡遊歩道として開放されています。
大正期のダムということで照明や天端高欄の意匠も手が込んでおり、当時流行だったアールヌーボーやアールデコが多用されています。
(2023年4月20日)


天端から
右手に新大井・大井発電所
手前の橋が東雲橋、高架橋が東雲大橋。
(2023年4月20日)


右岸にある大井発電所取水工
背の高いクレーンは取水工周辺の浚渫用。
(2023年4月20日)


左岸から発電所・サージタンクを俯瞰
ここから見ると発電所やサージタンクの位置関係がよくわかります。
(2023年4月20日)


ズームアップ
撮影時は新旧発電所ともに運転中
発電所手前に擁壁がありますが、1983年(昭和58年)の台風10号により浸水被害が出たため、この擁壁が増設されました。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトから。
(2023年4月20日)

このブログでは一つのダムについては投稿写真を10枚超に抑えるようにしていますが、さすが大井ダム。
見どころが多く添付写真は20枚に膨らんでしまいました。
大井ダムだけに見どころも写真も『多い』…ちゃんちゃん・・・

(追記)
大井ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1057 大井ダム(0180)
近代化産業遺産
左岸 岐阜県恵那市大井町
右岸  同県中津川市蛭川
木曽川水系木曽川
53.4メートル
275.8メートル
29400千㎥/9250千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム


2 コメント

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すごい! (tibineko)
2024-08-20 21:43:47
エプロン下のシュート・・・
まっちさんが形容されるように
m差に芸術作品と言っても過言でないですね。
人が生み出したものに長い年月が色を添え
自然界の諸々が色付けをしていく
実際の姿を見たら、もっと圧巻なんだろうと想像します。
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tibinekoさま (まっち)
2024-08-21 03:49:50
>tibineko さんへ
>すごい!... への返信
このダムはわが国最初の本格的ダムとなっています。
当時の米国の最新技術を導入しつつも試行錯誤を繰り返しながら建設されました。
エプロン下のブロック状の構造物はこののちのダムではあまり見ることがありません。
当然技術の取捨選択はあったかと思いますが、結果的にわが国唯一ともいえる珍しい構造物が示現しました。
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