ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大町ダム(元)

2017-05-23 23:01:00 | 長野県
2015年11月21日 大町ダム(元)
2017年  5月21日
 
大町ダム(元)は長野県大町市平の信濃川水系高瀬川にある多目的重力式コンクリートダムです。
高瀬川は信濃川最大支流犀川の左支流で豊富な水量に着目して大正期から電源開発が進められる一方、洪水被害や扇状地での瀬切れも多くその治水は長く課題となっていました。
1969年の昭和44年8月豪雨では流域で壊滅的被害が発生、これを契機に当時の建設省(現国交省)は高瀬川上流部への多目的ダム建設を決定、7年の工期を経て1985年(昭和60年)に完成したのが大町ダムです。
大町ダムは国交省北陸地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、高瀬川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、大町市・長野市など2市2町村への上水道用水の供給、東京電力リニューアブルパワー大町発電所での最大1万3000キロワットのダム式水力発電を目的としています。
また高瀬川上流にある東京電力リニューアブルパワー中の沢発電所の出力調整に伴う水位変動を緩和する発電逆調整池の役割も担っています。
2015年(平成27年)には国交省による『大町ダム等再編事業』が着手され、高瀬川上流に位置する高瀬ダム七倉ダム・大町ダムの治水能力強化および高瀬ダムの堆砂対策が進められることになりました。
治水強化については高瀬ダム・七倉ダムについては発電容量から洪水調節容量への振り替え、大町ダムについては水道容量から洪水調節容量への振り替えにより3ダム計1267万立米の洪水調節容量の確保が検討されています。
 
大町市街から県道326号を西進すると大町ダムに到着します。
国交省直轄ダムらしくダム左岸やダム下は園地になっています。
ダム下から
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲート2門を装備。
さらに利水放流用のジェットフローゲート及び高圧スライドゲート各1条を備えています。
 
右岸高台から
ダム中央には選択取水設備
 
取水設備とゲートをズームアップ
青いゲート群が鮮やか
左が選択取水設備、2門のクレストラジアルゲートの間にコンジット予備ゲートが並びます。
 
天端は歩行者のみ開放。
 
天端から見下ろすと
減勢工手前の建屋が大町発電所
左手は開閉所になります。
 
堤体から発電用水圧鉄管が突き出ています。
訪問時は発電所は稼働しておらず利水ゲートから放流中。
 
ダム湖は龍神湖で総貯水容量3390万立米
天気がいいと北アルプスが一望できます。
左手は烏帽子岳、右手は北葛岳になります。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
右岸から
 
対岸の建物は管理事務所。
 
ゲートをズームアップ。
 
 追記
大町ダムには洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1032 大町ダム(元)(0056)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
1985年
◎治水協定が締結されたダム
-------------
3686 大町ダム(再)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
2015年~

味噌川ダム

2017-05-23 19:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 味噌川ダム
2017年 5月21日
 
味噌川ダムは長野県木曽郡木祖村小木曽の木曾川本流源流部にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
木曾川は古くから濃尾平野の水源として重用され、明治以降はその豊富な水量に着目して積極的な電源開発が進められました。
戦後経済復興政策全般を担っていた経済安定本部は1935年(昭和10年)より実施されていた『河水統制事業』を叩き台に多目的ダム建設を軸とした河川総合開発に舵を切り、1949年(昭和24年)に『河川改修改定計画』が採択されました。
木曾川水系においては『木曾川改修改定計画』が立案され手始めに木曾川本流中流部に多目的ダムとして丸山ダムが建設されました。
その後1962年(昭和37年)に成立した水資源開発促進法により、木曾川の河川開発事業は新たに組織された水資源開発公団(現水資源機構)に移管されることになり、さらに1968年(昭和43年)には愛知用水公団が水資源開発公団に併合されました。
愛知用水の水源としては1961年(昭和36年)に木曾川水系王滝川に牧尾ダムが完成していましたが、高度成長を受けた中京工業地帯の発展や急速な人口増加を受けて都市用水の需要増加は留まるといころを知らず、新たな水源確保は喫緊の課題となっていました。
そこで水資源開発公団は1967年(昭和42年)に木曾川支流阿木川への阿木川ダム建設を、1973年(昭和48年)に木曾川本流源流部に味噌川ダム建設をそれぞれ事業化します。
味噌川ダムは1980年(昭和55年)年より本体工事に着手し、1995年(平成7年)に牧尾ダム、阿木川ダムに続く愛知用水3番目の水源として竣工しました。
 
味噌川ダムは、木曾川上流域の洪水調節、既得取水権としての流域灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、愛知県・岐阜県・名古屋市への上水道用水の供給、愛知県への工業用水の供給、長野県企業局奥木曽発電所による最大4800キロワットのダム式水力発電を目的としています。
味噌川ダムから放流された水は木曾川中流部の兼山ダム湖にある兼山取水口および犬山取水口で取水され愛知用水に供給されています。
また味噌川ダムは天端標高1130メートルとなっており、竣工当時は日本一標高の高い『多目的ダム』でしたが、2007年(平成19年)に山梨県琴川ダムに抜かれ現在は第2位となっています。
 
愛知用水概略図(水資源機構ホームページより)
 
味噌川ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)5月に再訪しました。
木祖村から県道26号を上高地方面に車を走らせると、かなり手前から右手に巨大なロックフィルが遠望できます。
県道から離れ木曽川沿いの道を進むと、ダム下に到着します。
 
真下から導流部を見上げます。
放流があれば迫力満点でしょう!
 
堤高140メートルで木曾川に建設された多くの中で最も堤高が高くなっています。
またロックフィルダムの中では全国第5位の堤高となります。
 
洪水吐は非常用、常用一体のバスタブ型。
常用洪水吐はローラーゲートとなっています。
 
天端から導流部を見ると
中央が常用洪水吐、左右は非常用洪水吐からのラインです。
 
天端は車両通行可能です。
 
減勢工は導流壁が高くなっています。
左は発電所。
 
天端からの眺め
正面に木曽駒が見えます
(2017年5月21日)
 
木曽駒をズームアップ
(2017年5月21日)
 
『奥木曽湖』と名付けられたダム湖は総貯水容量6100万立米。
木曽川の源流はここからもうわずか。
右手は取水棟です。
 
上流面
堤体は緩やかに湾曲しています。
 
右岸展望台から。
 
同じ場所から
季節が変わると色彩も変わります。
(2017年5月21日)
 
ダム周辺はちょうど紅葉の盛り、黄金色に色づいたカラマツ林の眺めは壮観です。
一方天端からは正面に木曽駒が見えるようですが、ちょっと雲がかかって残念。
2017年5月21日にバージョンアップしたダムカードをもらいに再訪しました。
前回は紅葉の盛りで下が今回は新緑真っただ中、前回は雲がかかってすっきりと見えなかった木曽駒がきれいに拝めて満足!
 
1035 味噌川ダム(0039)
長野県木曽郡木祖村小木曽
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
木曾川水系木曾川
FNWIP
140メートル
446.9メートル
㎥/㎥
水資源機構
1996年
◎治水協定が締結されたダム

黒川ダム(参考掲載)

2017-05-23 16:08:14 | 長野県
2017年5月21日 黒川ダム(参考掲載)
 
黒川ダムは長野県木曽郡木曽福島町の木曾川右支流黒川にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムで木曾川電力によって1938年(昭和13年)に建設されました。
木曾川の電源開発といえば福沢桃介率いる大同電力をイメージしますが、王滝川との合流点以北の木曾川源流部は木曾川電力によって開発され、1951年(昭和26年)の電力分割民営化では中部電力が事業を継承しました。
ここで取水された水は導水路で下流の城山発電所に送られ最大出力1300キロワットの発電を行っています。
 
国道19号の木曽大橋交差点から国道361号に入り木曽大橋を渡るとすぐに左折して南に進むと黒川ダムに到着します。
下流から
黒いローラーゲートが3門。
堤高13.484メートルに対して堤頂長14.6メートルと縦長になっています。
15メートルに満たないので縦長ダムランキングには入りませんが、もし15メートル以上なら帝釈川ダムに続く日本第2位の縦長ダムになっていました。
 
ピアや扶壁のコンクリートが白いのでここは改修されたんでしょう。
 
上流から。
 
ダムの直上を町道の黒川渡橋が通っています。
案内板ではこの橋は『下路ポニーボーストリングトラス』といい長野県内ではここにしかない珍しい形式だそうです。
 
逆方向から。
 
説明板。
 
ダム湖。
 
ダムのすぐ先には黒川渡ダムバス停があります。
地元では黒川渡ダムと呼ばれてるんでしょうか?
 
S006 黒川ダム(参考掲載) (1004)
長野県木曽郡木曽福島町新開
木曾川水系黒川
13.484メートル
14.6メートル
中部電力
1938年

大沢池

2017-05-23 14:01:51 | 長野県
2017年5月21日 大沢池
 
大沢池は長野県上田市上室賀にある灌漑用ため池で、ダム便覧によれば1921年(大正10年)に建設されました。
ダム便覧では事業者は土地改良区になっていますが、現在は受益者で構成される下室賀水利委員会が池の管理を行っています。
 
県道273号を北西に進み『室賀温泉』の案内板で左折、さらに公民館前を左折して橋を渡り山へと入ります。最初の分岐を右手に採ると大沢池に到着です。
下流面。
 
右岸の見慣れない設備・・・
計量器??と思ったら池栓でした。
 
洪水吐と上流面
洪水吐はコンクリートですが、上流面は原始的な姿を残しています。
 
パイ生地のような円形の洪水吐。
 
下流側から。
 
洪水吐導流部。
 
貯水容量2万9000立米の小さなため池
田植えシーズンということで取水設備からガンガン水を流し水位は低くなっています。
 
天端。
 
池の由来が分かる記念碑でもあるかと思ったら水神様でした。
 
山中に佇むひっそりとしたため池で、岡山県でよく見た眺めです。
小さいながらも下室賀地区の貴重な灌漑用水源で、折からの田植えシーズンのために池栓からは勢いよく流れる水の音が響いていました。
 
0981 大沢池(1003)
ため池データベース
長野県上田市上室賀
信濃川水系室賀川
15.3メートル(ため池データベース 13.6メートル
59メートル(ため池データベース 43メートル)
29千㎥/29千㎥
下室賀水利委員会
1921年

塩之入池

2017-05-23 12:21:33 | 長野県
2017年5月21日 塩之入池
 
塩之入池は長野県小県郡青木村にある灌漑用アースダムです。
上田を中心とした小県地方は内陸性気候のため年間降水量が極めて少なく、古来より灌漑用水の確保には苦労していました。
塩之入池は昭和恐慌や立て続けに起こった飢饉により疲弊した旧浦野村に対する国の救農土木事業として1939年(昭和14年)に建設され、現在は川西地区土地改良区が管理を行っています。
 
上田から国道143号を西進し、青木村に入るとすぐに大宝寺の標識に従って右折します。大宝寺入口をやり過ごし公民館前バス停で左に道に入ると塩之入池左岸に到着します。
上流から左岸洪水吐と上流面。
 
上流面はコンクリートブロックで補強されています。
 
洪水吐導流部
両側壁面は石積です。
 
天端から
下流にはのどかな農村風景が広がります。
 
総貯水容量21万立米の貯水池
奥には登山者に人気の子檀嶺岳の独特の山容が望めます。
 
天端には轍がありますが、車は対岸で行きどまり。
 
左岸の斜樋。
 
下流面
ジグザグに歩道が作られています。
 
洪水吐からの流路と取水設備からの樋管がダム下で合流します。
 
ダム下から。
 
眼下には典型的な農村風景が、上流には子檀嶺山が望めるのどかな農村の溜池です。
 
0991 塩之入池(1002)
ため池データベース
長野県小県郡青木村当郷
信濃川水系阿鳥川
18.5メートル
122.4メートル
210千㎥/208千㎥
川西地区土地改良区
1939年

沢山池

2017-05-23 11:13:57 | 長野県
2017年5月21日 沢山池
 
沢山池は長野県上田市の独鈷山南西の千曲川支流産川にある防災・灌漑目的のアースダムです。
千曲川南岸に広がる塩田平は鎌倉時代から信州の中心とて発展し農地開拓も進みました。しかし内陸性気候の影響で年間降水量が極めて少なく、一帯には多数の溜池が作られていました。
沢山池はこれら溜池群の水源として1936年(昭和11年)に建設され1996年(平成8年)には県の防災ダム事業で大幅な改修が行われ、新たに洪水調節機能が付加されました。
現在は上田市塩田平改良区が管理を行っています。
また塩田平の溜池ともども『塩田平の溜池群』として全国ため池百選に選定されています。
 
県道82号を走ると上田市新町で『さくら国際高校』の標識があるのこれに従って市道を南下、高校をやり過ごしそのまま直進すると左手に沢山池を示す小さな道票が現れ、ここを折れると沢山池左岸に到着します。
田園空間博物館の沢山池案内板。
 
下流面。
 
左岸の洪水吐と溜池(沢山湖)
貯水容量は108万立米。
 
左岸上流から
建物は管理事務所
緩やかに湾曲した洪水吐は管理事務所の下でトンネル式導水路を流下します。
 
ダムの下流の眺め
独鈷山の荒々しい山並みが続きます。
 
洪水吐は湾曲しており、手前に放流用のスライドゲートがあります。
奥の建物は艇庫、赤い設備は取水塔。
 
天端は車両通行可能
でも右岸側の道は土砂崩れで通行不能。
 
上流面はコンクリートで補強されています。
 
 
取水設備をズームアップ
水温が低いため表面取水となっています。
 
てっきり灌漑用ため池かと思ったら防災機能を持った立派なアースダムでした。
 
0987 沢山池(1001)
左岸 長野県上田市手塚
右岸     同市前山
信濃川水系産川
FA
25.5メートル(ため池データベース 26.9メートル)
87メートル(ため池データベース 65メートル)
1082千㎥/995千㎥
上田市塩田平土地改良区
1936年

南相木ダム

2017-05-22 14:07:08 | 長野県
2017年5月20日 南相木ダム
 
南相木ダムは長野県南佐久郡南相木村にある東京電力リニューアブルパワーの発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の神流川発電所の上部調整池として2005年(平成17年)に建設されました。
南相木ダムの堤頂標高は1532メートルで、それまで日本一高かった群馬県の野反ダムの1517メートルを抜き日本一高所にあるダムとなっています。
 
1960年代半ばから発電の主力は火力へと移り、さらに原子力発電の台頭もあり水力発電のシェアは低下する一方でした。しかしオイルショックによる原油高騰をうけて電力各社は水力発電に再着目、特に火力や原子力との連携が図れ余剰電力を有効に利用できる上に電力消費のピークに合わせて大出力の発電が可能な揚水発電に注目が集まりました。
東京電力管内でも首都圏への人口集中や臨海部への工場集積を受けて電力需要のピークが上昇、これに対応するために東京電力は揚水式発電所建設を積極的に展開、同電力7番目の揚水式発電所として建設されたのが神流川発電所です。
神流川発電所では上部ダムの南相木ダムと下部ダムの上野ダムの有効落差653メートルを利用して現在は最大94万キロワットの揚水式発電を行っていまが、その設計最大出力は282万キロワットでこれは揚水式発電としては世界最大規模となります。
当初の計画では2020年(平成32年)以降発電機を6台に増強して282万キロワットの発電を行う予定でしたが、東日本大震災を受けた原発運転停止を受けて増強計画は凍結されています。
上部ダムの南相木ダムは日本海に注ぐ信濃川水系、下部ダムの上野ダムは太平洋に注ぐ利根川水系となっており、上部ダムと下部ダムで県境および水系を超える揚水式発電となっています。
現実には漁業権および、既得取水権の関係で南相木川の水は発電には利用できないこと、さらに水系の異なる水が混合することで環境への悪影響の恐れがあるため南相木川の水はダム湖には流入せずバイパストンネルを経由してダム下に流下しています。ダム湖である奥三川湖の水は揚水された神流川の水となっています。
設計出力世界最大の揚水発電の上部ダム、さらに日本一高所にあるダムなどを考慮して南相木ダムは日本のダム100に選定されています。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により南相木ダム及び関連発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。
 
小海町馬流から県道2号に入り、滝見の湯で南相木ダムの標識に従って南相木川沿いの道をひたすら東進すると南相木ダムに到着します。
まずは下流から
堤高136メートルの高さから堤体左岸の地山を流下する洪水吐導流部はそれ自体が巨大な滝のようです。
 
 
リップラップには石灰岩が使用され独特の白い堤体が南相木ダム最大の特徴です。
 
車道で右岸ダムサイトまで上がります
天端の標高1532メートルと標高日本一で正面には八ヶ岳が望めます。
 
上流面のロック材も石灰岩が使われています。
 
下流面。
 
ダム下はウズマクヒロバとして整備され独特の渦巻き模様は2006年(平成18年)のグッドデザイン賞を受賞しました。
 
ダム周辺は西上州から佐久に続く尖峰が連なる独特の風景が広がっています。
 
天端は歩行者のみ立ち入り可能
ダム湖を周回する遊歩道の一部になっています。
 
ダム湖(上三川湖)
正面左に発電所の取水口があります。
 
左岸の地山を蛇のように伸びる洪水吐導流部。
 
左岸洪水吐。
 
建設の際に使用された90トンダンプのタイヤ。
 
今回の南相木ダムの訪問により通算1000ダム訪問を達成しました。
2015年10月の栃木県小網ダムからスタートして1年8カ月目での1000ダム到達で、ほとんどダムに付き合ってくれた嫁さんに深く感謝したいと思います。
また各ダム訪問の参考となった記録を残していただいたダム愛好家諸先輩方にもお礼申し上げます。
 
3280 南相木ダム(1000)
長野県南佐久郡南相木村
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
信濃川水系南相木川
136メートル
444メートル
㎥/㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
2005年
◎治水協定が締結されたダム

泰阜ダム

2016-10-26 14:46:39 | 長野県
2016年10月23日 泰阜ダム
 
泰阜ダムは長野県下伊那郡泰阜村(右岸は下伊那郡阿南町)の天竜川本流にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1931年(昭和6年)に天竜川電力と統合した矢作水力は天竜川本流での水力発電事業に乗り出し、同年に着工1936年(昭和11年)に竣工したのが泰阜ダムで、天竜川本流に建設された最初の本格的ダムとなります。
ここで取水された水は泰阜発電所に送られ最大5万2500キロワットの発電を行っています。
 
泰阜ダムは県道83号線沿いにあり、堤体直下まで接近することができます。
地形に合わせて角度を変える左岸の導流面の作りがなんとも言えません。
 
 
消しゴムの様な石は放流水の減勢工の役目です。
 
仮排水路でしょうか?
 
泰阜発電所とダム。
 
左岸の発電所に通じる道からもダムが望めます。
 
 
ゲートをズームアップ
扶壁に階段がついています。
 
水に削られたせいでしょうか?導流面はうねっています。
この凹凸がコンクリートをまるで生き物のように見せます。
 
天端通路の上流面はアーチになっています。。
 
0989 泰阜ダム(0673)
近代土木遺産
長野県下伊那郡泰阜村
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
天竜川水系天竜川
50メートル
143メートル
中部電力(株)
1935年
◎治水協定が締結されたダム

平岡ダム

2016-10-26 13:28:37 | 長野県
2016年10月23日 平岡ダム
 
平岡ダムは長野県下伊那郡天龍村の天竜川本流にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムです。
天竜川流域では大同電力系列の天竜川電力が電源開発を進め、のちに同社と統合した矢作水力が事業を継承します。
矢作水力は天竜川本流で1935年(昭和10年)に泰阜ダムを建設、ついで1938年(昭和13年)に平岡ダム建設に着手しますが、翌年電力事業の国家統制により日本発送電が誕生し平岡ダム建設事業も含めて矢作水力の発電事業はすべて接収されました。
建設は戦中戦後も続き、1952年(昭和27年)に日本発送電の解体により事業を引き継いだ中部電力の手によりようやく完成しました。
運用開始当初は平岡発電所で最大6万1500キロワットの発電を行っていましたが、1976年(昭和51年)に発電機が増強され最大出力10万1000キロワットとなっています。
 
天竜川沿いの県道1号を南下すると平岡ダムに到着します。
まずは下流から
暴れ天竜を堰き止める16門のラジアルゲート。
 
天竜川に現れた真っ白い堤体と中電レッドのゲートが秋空に映えます。
 
ゲートをズームアップ。
 
左岸から。
 
 
右岸の取水口
取水ゲートが8門。
 
左岸上流から。
 
中電のダムとしては珍しく天端は開放されています。
これは右岸の天龍村が整備した遊歩道への連絡通路になっているためです。
 
ダム湖
紅葉はまだまだです。
ダム湖は国交省により直轄管理されています。
 
右岸から。
 
1001 平岡ダム(0672)
長野県下伊那郡天龍村
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
天竜川水系天竜川
62.5メートル
258メートル
中部電力(株)
1951年
◎治水協定が締結されたダム

和知野ダム

2016-10-26 11:16:01 | 長野県
2016年10月23日 和知野ダム
 
和知野ダムは長野県下伊那郡阿南町の天竜川水系和知野川にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムです。
矢作川の電源開発を進めていた大同電力系列の矢作水力は1931年(昭和6年)に天竜川水力と合併し天竜川の開発にも乗り出します。
矢作水力は岩倉ダムと豊発電所に続いて1938年(昭和13年)に和知野ダムと和知野発電所の建設に着手、翌1939年(昭和14年)に竣工しますが、その間に日本発送電が設立され運用は日本発送電で開始されました。
和知野ダムで取水された水は約3.3キロの導水路を経て和知野発電所に送られ最大6300キロワットの発電を行っています。
和知野ダムは戦後の電力分割民営化で中部電力が事業継承しています。
和知野ダムは堤高が8.5メートルのため河川法では堰堤となりダム便覧には掲載されていません。
 
県道46号線から和知野ダムと正対できます。
4門のブラックのローラーゲートに魚道と沈砂池が並ぶさまはとても堤高8.5メートルには見えません。
大同電力系の矢作水力が手掛けたのでブラックゲートなんでしょうね?
 
ゲートと魚道、沈砂池のバランスが素晴らしいダムです。
 
右岸の塵芥流路。
 
魚道と沈砂池。
 
アングルを変えて。
 
取水口をズームアップ。
 
和知野ダム
長野県下伊那郡阿南町
北緯度分秒,東経度分秒
天竜川水系和知野川
8.5メートル
47.5メートル
千㎥/千㎥
中部電力(株)
1939年

岩倉ダム

2016-10-26 09:57:56 | 長野県
2016年10月23日 岩倉ダム
 
岩倉ダムは長野県下伊那郡売木村の天竜川水系売木川支流岩倉川にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムです。
矢作川の電源開発を進めていた大同電力系列の矢作水力は1931年(昭和6年)に天竜川水力と合併し天竜川の開発にも乗り出します。
岩倉ダムは1936年(昭和11年)に下流の豊発電所とともに矢作水力によって建設されました。
岩倉ダムは取水ダムではなく、増水期に貯留を行い渇水期に放流をし、売木川の水量を平準化することで年間を通して安定した発電を行う目的で建設されました。
岩倉ダムと豊発電所は日本発送電を経て戦後は中部電力が事業継承しました。
建設当初はクレストに3門のローラーゲートを備えていましたが、2000年(平成12年)の改修でゲートが撤去され現在は自由越流式ゲート3門となっています。
 
国道418号に岩倉ダムの表示がありこれに従うと岩倉ダム右岸に到着します。
2000年(平成12年)の改修のせいか、ゲートの扶壁のコンクリートだけが白くなっています。
 
天端は立ち入り禁止。
 
ダムの銘板にはローラーゲート3門と記されています。
 
堤体下流面。
 
ゲートをズームアップ。
戦前戦中のダムらしくゲート部分は階段で高くなっています。
ここだけ白くなっており改修の跡がよくわかります。
 
取水ダムではないせいか、中電のダムとしては珍しく堤体直下が開放されています。
3門のゲートから放流されていました。
 
 
下からもゲートをズームアップ。

(追記)
岩倉ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0990 岩倉ダム(0671)
長野県下伊那郡売木村
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
天竜川水系岩倉川
25メートル
100.9メートル
千㎥/千㎥
中部電力(株)
1936年
◎治水協定が締結されたダム

松川ダム(元)

2016-08-03 15:45:38 | 長野県
2016年7月30日 松川ダム(元)
 
松川ダム(元)は長野県飯田市上飯田の天竜川水系松川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
松川水源部は風化した花崗岩の影響で土砂流出量が多く下流域や天竜川との合流部周辺では常習的に洪水被害が発生していました。
松川ダム(元)は建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、松川の洪水調節のほか安定した河川流量の維持と既得取水権への補給、飯田市への上水道用水の供給を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
また1986年(昭和61年)には利水放流を利用した長野県建設部が管理する松川ダム発電所が増設され最大1200キロワットの利水従属発電が開始されました。
 
しかし、運用開始以降計画を超える堆砂が進行したため1987年(昭和62年)より土砂搬出作業が実施される一方、翌1988年(平成元年)に堆砂除去および排砂促進目的のバイパス水路建設を軸としたダム再開発事業が採択されました。
具体的には貯水池入り口に分派堰を設け、土砂流入を伴う出水の際にはダム湖には貯留せずバイパス水路で下流へ流下させる仕組みです。
再開発事業はいまだ進行中ですが、バイパス水路はすでに運用が開始され土砂搬出作業と併せて事業着手前に比べ貯水容量は10%程度回復しています。
 
飯田市内から県道8号を大平方面に進むと松川ダムに到着します。
左岸から。
1970年代竣工ということでゲートを装備
クレストにラジアルゲート2門、コンジットに高圧ラジアルゲート1門を備えています。
 
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
まっすぐな導流壁と減勢工
減勢工右岸に松川ダム発電所がありますが、利水従属発電のため利水放流時のみ稼働します。
 
総貯水容量740万立米のダム湖
ダム湖入り口にバイパス水路用分派堰がありますが、ここからは見えません。
 
天端は徒歩のみ開放。
右手は管理事務所、左手は上記艇庫。
 
上流面。
 
下流面。
 
上流から
ラジアルゲート2門にコンジットの予備ゲートが見えます。
 
下流からなんとかゲートだけ見えることができました。
 
追記
松川ダム(元)には洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
  
1024 松川ダム(元)(0493)
長野県飯田市上飯田
天竜川水系松川
FNW
84.3メートル
165メートル
7400千㎥/5400千㎥
長野県建設部
1974年
◎治水協定が締結されたダム
 ----------------
3082 松川ダム(再)
天竜川水系松川
FNW
84.3メートル
165メートル
7450千㎥/6400千㎥
長野県建設部
1988年~

小渋ダム

2016-08-02 23:00:00 | 長野県
2015年11月 8日 小渋ダム
2016年  7月 30日 
 
小渋ダムは左岸が長野県下伊那郡松川町生田、右岸が上伊那郡中川村大草の天竜川水系小渋川にある多目的アーチ式コンクリートダムです。
『暴れ天竜』と呼ばれる天竜川では戦前は電源開発が先行し、治水ダムによる河川総合開発は1952年(昭和26年)より着手され、1959年(昭和34年)に三峰川に美和ダムが完成しました。
これにより上伊那地区での治水は改善した一方、日本有数の土砂崩落地帯を水源とする小渋川からの土砂流入は天竜川の流下能力を阻害するほか下流の発電ダムの運用にも支障を来していました。
1961年(昭和36年)の通称『三六水害』による下伊那地区の甚大な洪水被害を受け、建設省(現国交省)は小渋川総合開発事業にを採択、小渋川へのダム建設事業に着手し1969年(昭和44年)に竣工したのが小渋ダムです。
小渋ダムは国交省中部地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、美和ダムと統合管理され美和ダムと連携した小渋川および天竜川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、天竜川左岸約900ヘクタールへの灌漑用水の供給、長野県企業局小渋第一(ダム式発電最大3000キロワット)、第二(ダム水路式発電最大6500キロワット)第三(小水力発電550キロワット)発電所での水力発電を目的としています。
一方で小渋川がもたらす土砂により、計画を上回るペースで堆砂が進行したことから2000年(平成12年)より『小渋ダム施設改良事業』が着手され、排砂促進と堆砂除去を目的とした全長4キロのバイパストンネルが2016年(平成28年)に完成しました。
 
小渋ダムには2015年(平成27年)11月に初訪しましたが悪天候により満足な見学ができず、2016年(平成28年)7月のダム見学会の際に再訪しました。
1枚目以外の写真はすべて2016年のものです。
またダム見学会の詳細についてはこちらをご覧ください。
 
松川市街から県道59号を東に向かうと巨大アーチなアーチダムが見えてきます。
 
見学会に合わせて昨年11月8日以来2度目の訪問です。
前回はあいにくの雨模様で駆け足の見学、おまけにコンデジの撮影でしたが、今回は見学会ということで普段見れないキャットウォークや監査廊、堤体直下などをじっくりと見ることができました。
 
まずは右岸展望台から。
岩盤が強固で、アーチダムを建設するにはもってこいの地盤。斜面も法面施工だけで、山留めなどはありません。
おかげで日本屈指の薄いアーチダムの建設が可能になったそうです。
 
上流面を俯瞰。
 
ゲートをズームアップ。
5門のラジアルゲートにコンジットの予備ゲート。
 
減勢工。
 
総貯水容量5800万立米のダム湖(小渋湖)
小渋川水源は南アルプス赤石岳です。
 
放流設備としては非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート5門、常用洪水吐としてコンジット高圧ゲート2門を装備。
アーチダムとしては珍しく堤体にエレベーター棟が設置されています。
 
右岸から
奥は天竜川ダム統合管理事務所。
 
エレベーターでキャットウォークへ。
 
 
アーチの下流面。
 
減勢工わきから。
 
完成したばかりのバイパストンネル吐口。
ダム上流4キロ地点に堰が設けられ、豪雨時にはバイパストンネル経由で堆砂除去、排砂が行われます。
 
追記
小渋ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1021 小渋ダム(0051)
左岸 長野県下伊那郡松川町生田
右岸    上伊那郡中川村大草
天竜川水系小渋川
FNAP
105メートル
293.3メートル
58000千㎥/37100千㎥
1969年
国交省中部地方整備局
◎治水協定が締結されたダム

片桐ダム

2016-08-02 18:00:00 | 長野県
2015年11月 8日 片桐ダム
2016年  7月 30日
 
片桐ダムは左岸が長野県下伊那郡松川町上片桐、右岸が同町大島の天竜川水系片桐松川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
片桐松川水源部は風化した花崗岩の影響で土砂流出量が多い上に下流域では河床が上昇し洪水被害が多発していました。
片桐ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、片桐松川の洪水調節のほか安定した河川流量の維持と既得取水権への補給、松川町への上水道用水の供給を目的として1989年(平成元年)に竣工しました。
膨大な土砂流出を前提にダム湖上流には砂防ダムが並ぶ一方、オリフィスゲート上流部にカーテンウォールを設置しサイフォン原理を利用して排砂が容易な構造となっています。
しかし、運用開始以降計画を超える堆砂が進行し河川管理者による土砂排出が行われる一方、2021年(令和3年)には第三者事業者による公募型土砂採取が試行されています。
また同年4月に河川維持放流を利用した長野県企業局『くだものの里松川発電所』が完成、最大380キロワットの小水力発電が稼働しています。
 
片桐ダムには2015年11月に初訪しましたが悪天候のため写真撮影は叶わず、翌年7月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。
 
松川市街から片桐松川沿いに市道を西進するとダムが見えてきます。
クレスト自由越流頂9門、自然調節式オリフィス2門を備えたゲートレスダムです。
このほか常用洪水吐としてホロージェットバルブとジェットフローゲートを装備。
 
上流から
オリフィス取水口にグリーンのゲート状のものが見えますが、これがカーテンウォールです。
 
天端は徒歩のみ開放、
ゲート部分だけわずかに高くなっています。
 
左岸フーチングの脇にホロージェットバルブがあります。
こんな場所にバルブがあるのは珍しい。
 
天端から見た減勢工
今は左岸に小水力発電所が増設されています。
 
総貯水容量186万立米のダム湖(松川湖)
堆砂が進み有効貯水容量は131万立米です。
天端から見ても上流に積もった白い砂が見えます。
 
オリフィス取水口
上流側にカーテンウォールが嵌め込まれ、サイフォンの原理を活用してダム底の排砂が容易な構造になっています。
 
左岸のインクラインと艇庫。
 
右岸から。
 
右岸から上流面
奥に選択取水設備があります。
 
追記
片桐ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1038 片桐ダム(0050)
左岸 長野県下伊那郡松川町上片桐
右岸         同町大島
天竜川水系松川
FNW
59.2メートル
250メートル
1840千㎥/1310千㎥
長野県建設部
1989年
◎治水協定が締結されたダム

三浦ダム

2016-07-04 00:00:00 | 長野県
2016年7月3日 三浦ダム
 
三浦ダムは長野県木曽郡王滝村の木曽川水系王滝川最上流部にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)により大井発電所や落合発電所をはじめとして電源開発が進められましたが、木曽川の河川流量の変動により渇水期にはその発電能力を十分に発揮することができませんでした。
大同電力は木曽川流量の平準化を目的として、1933年(昭和8年)より王滝川最上流部への巨大ダム建設に着手、のちに電力管理法により日本発送電(株)が事業を接収し終戦間際の1945年(昭和20年)1月に三浦ダムは完成しました。
三浦ダムの堤高83.2メートルは終戦以前に完成したダムとしては塚原ダムに次いで第2位、総貯水容量6000万立米も当時としては屈指のスケールを誇りました。
三浦ダムでは木曾川下流の水位変動を緩和し各発電所の発電能力を十分生かすため豊水期にダム湖に貯留し、渇水期に放流を行っています。
放流の際にはダムと同時に完成した三浦発電所(最大出力7700キロワット)でダム式発電を、1951年に完成した滝越発電所(最大出力2万8900キロワット)でダム水路式発電を行います。
1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により、三浦ダムをはじめとした木曾川流域の発電施設は新たに誕生した関西電力が事業継承し現在に至っています。
三浦ダムは戦前戦中屈指のダムとしてBランクの近代土木遺産に選ばれているほか、日本ダム協会により日本100ダムにも選定されました。
 
ダム周辺は国有林でダムへ通じる滝越林道は一般車両通行禁止となっており、三浦ダムに行くには往復20キロを超える徒歩を余儀なくされます。
今回は地元NPO主催の三浦ダム・王滝川ダム見学会に参加しマイクロバスで三浦ダムを見学することができました。
 
王滝村公民館からマイクロバスに乗って三浦ダムに到着です。
ダム左岸から
堤体中央にエレベーター棟、対岸の直下に三浦発電所があります。
 
堤体の穴は照明用です。
 
天端。
ダム湖側に被覆された通路があります。
 
被覆通路(スノーフィルター)内部。
 
ダム直下。
右岸に発電所と放流水路。
左奥は変圧所、左岸手前の湾曲した道路は森林鉄道の軌道跡です。
 
発電所の放流水路。
ゲート手前右手が滝越発電所への導水路呑口です。
 
クレストのローラーゲート。
関電ブラックです。
 
ダム竣工時はフラップゲートだったそうで今もその痕跡が残っています。
 
洪水吐からの導流部はトンネル式になっています。
 
 
右岸ヘリポートから俯瞰できます。
対岸に管理事務所(見張り所)があり、左にインクライン、さらにプラント跡も見えます。
 
上流から
丸みを帯びた取水棟は戦前らしいデザインです。
 
堤体直下から。
右手の道路は森林鉄道跡です。
 
堤体にタッチできます。
 
発電所の放流路。
ここから滝越発電所へ送られます。
 
秋にでも、林道を20キロ往復してみようと思っていた矢先に今回のイベントを知りすかさず参加しました。
見学会の詳細はこちらのリンクでご覧いただけます。
 
(追記)
三浦ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0994 三浦ダム(0473)
長野県木曽郡王滝村
木曽川水系王滝川
83.2メートル
290メートル
62216千㎥/61600千㎥
関西電力(株)
1945年
◎治水協定が締結されたダム