ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

栃沢ダム

2024-06-28 08:00:00 | 福島県
2016年5月29日 栃沢ダム
2024年4月26日
 
栃沢ダムは福島県大沼郡会津美里町氷玉の一級河川阿賀野川水系氷玉川にある農地防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
会津宮川地区は会津盆地南西部の会津美里町から会津坂下町に至る宮川流域に位置し、江戸期より本格的な新田開発が進められ寒暖差の大きな気候を生かし良質な米の産地として知られてきました。
しかし主要水源であり地域を貫流する宮川(旧名鶴沼川)は洪水による出水が多く、抜本的な洪水対策が求められてきました。
これを受け福島県は1950年(昭和25年)より宮川本流及び主要支流である佐賀瀬川・氷玉川上流部に3基の農地防災ダムを建設する『鶴沼川沿岸防災ダム事業』に着手します。
そして1962年(昭和37年)の宮川ダム、1969年(昭和44年)の二岐ダムに次いで1970年(昭和45年)に完成したのが栃沢ダムです。
当ダムの完成により事業着手から19年の年月をかけた鶴沼川沿岸防災ダム事業が竣工に至りました。
2004年(平成16年)の新宮川ダムの完成により4ダムの一体運用を行うため4基のダムは福島県農林水産部が管理主体となり、受益組織である会津宮川土地改良区が操作を行っています。
栃沢ダムは農地防災及び灌漑を目的とし、5月17日~6月20日の灌漑期には有効貯水容量29万7000立米すべてが灌漑用水容量となり、約50ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。
一方6月21日~10月の洪水期は有効貯水容量すべてが洪水調節容量となり、最大毎秒13.4立米の洪水をカットします。

栃沢ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
再訪時は土地改良区職員様同行で普段立ち入りできないダム構内の取材見学が叶いました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

県道131号を大内宿方面に向けて南下すると前方に栃沢ダムが見えてきます。
(2016年5月29日)
 
ダムの下流にアプローチしますが立入り禁止のためここが限界
管理橋の奥に放流設備があるようです。
(2016年5月29日)

 
左岸の県道から見た下流面
宮川ダム・二岐ダム同様堤体はきれいに草が刈られています。
(2016年5月29日)

 
管理橋入口にゲートがあり普段は構内には入れません。
ゲート越しに撮った天端。
(2016年5月29日)

同じくゲート越しの上流面
奥に斜樋が見えます。 
(2016年5月29日)

 
上流面
初訪時は灌漑期真っ只中
6月20日からの洪水期に向けて徐々に水位を下げてゆきます。
(2016年5月29日) 
 
上流から見た横越流式洪水吐。
(2016年5月29日)

 
県道沿いの管理事務所
職員の常駐はありません。
(2016年5月29日)


ここからは2024年(令和6年)の見学取材の際に立入禁止エリアで撮った写真となります。
天端から洪水吐斜水路を見下ろす
1枚目、2枚目の写真は杉林のさらに下流から撮ったものです。
(2024年4月26日)


横越流式洪水吐
再訪時は灌漑期直前ということもありダム湖は満水、薄く越流しています。
(2024年4月26日)


洪水吐脇の竣工記念碑。
(2024年4月26日)


石碑の仕様は二岐ダムとほぼ同じで、ダムの諸元と事業関係者の名が刻されています。
(2024年4月26日)


こちらは水位計。
(2024年4月26日)

 
総貯水容量は37万6000立米と鶴沼川防災3ダムの中では最小
奥の山の向こう側には観光地でもある大内宿があります。
(2024年4月26日)

 
右岸の斜樋。
これは初訪時の写真
(2016年5月29日)

 
天端から下流を見下ろす。
(2024年4月26日)

 
右岸から上流面。
(2024年4月26日)

 
斜樋建屋内
ゲートは2門。
(2024年4月26日)

 
(付記)
今回はダムマイスターの取材という形で見学させていただきました。
宮川ダム二岐ダム、栃沢ダムについては一般のダム見学の対応は行われていません。
この点、くれぐれもご了承ください。 
 
0511 栃沢ダム(0427)
福島県大沼郡会津美里町氷玉
阿賀野川水系氷玉川
FA
23.7メートル
150メートル
376千㎥/297千㎥
福島県農林水産部
1970年