2016年1月10日 丸山ダム(元)
2024年5月29日
丸山ダム(元)は左岸が岐阜県可児郡御嵩町小和沢、右岸が同県加茂郡八百津町八百津の一級河川木曽川本流にある国土交通省中部地方整備局が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
電力国家管理政策により木曽川水系の発電施設を接収した日本発送電(株)は包蔵水力豊富な木曽川での電源開発を進め、1943年(昭和18年)に丸山ダム及び丸山発電所の建設に着手しますが、戦況悪化により事業は中断。
しかし、戦後の電力不足を受け1950年(昭和25年)に工事が再開され、電気事業再編成により木曽川水系の発電施設を継承した関西電力(株)が建設事業を継承しました。
一方、ダムによる木曽川の洪水調節を企図していた建設省(現国土交通省)は丸山ダムに着目、1952年(昭和27年)より丸山ダム建設事業に参加し関西電力と建設省の共同事業として1955年(昭和30年)に丸山ダム(元)が完成しました。
丸山ダム(元)は建設省(現国土交通省)と関西電力(株)が共同管理する『兼用工作物ダム』として運用が開始され、最大毎秒1800立米の洪水をカットする一方、丸山発電所(最大12万5000キロワット)でのダム水路式発電が開始されました。
さらに1971年(昭和46年)には新丸山発電所(最大出力6万3000キロワット)が稼働し合計18万8000キロワットと一般水力発電では国内有数の発電量を誇るに至りました。
丸山ダム(元)は近代的建設技術を駆使しわが国初の堤高100メートル級ダムとして完成し、その後の巨大ダム建設に大きな影響を与え建設業界におけるエポック的存在となっています。
ダム運用開始以降幾多の豪雨においてその治水能力を発揮した一方で、日本有数の大河川である木曽川本流における治水目的を持つ唯一のダムとしての丸山ダム(元)の治水能力には懸念も多く、その再開発は早期から遡上に上っていました。
1983年(昭和58年)の台風10号により木曽川中下流部で多大な洪水被害が発生したことを契機にダム再開発機運は一気に高まり、途中民主党政権下での事業検証による遅延はあったものの、2021年(令和3年)より新丸山ダム(再)本体建設が着手されました。
これに合わせ従来の国土交通省と関西電力の共同管理を国土交通省直轄管理に改め、兼用工作物多目的ダムから特定多目的ダムに変更されました。
現在は2036年(令和18年)竣工をめどに建設が進められている途上で、竣工の暁には丸山ダム(元)の総貯水容量に匹敵する7200万立米の洪水調節容量を有し、最大毎秒2500立米の洪水カットが可能となるほか、新たに不特定利水容量が付加されるとともに発電能力の増強が行われる予定です。
丸山ダム(元)には2016年(平成28年)1月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪シ、この際に職員様案内によるダム見学に参加しました。
当記事前半は初訪時、後半は再訪時の紹介となっています。また、見学については別項の『丸山ダム見学』にて紹介していますのでそちらをご覧ください。
こちらは新丸山ダム(再)の完成予想図。
丸山ダム(元)の50メートル下流側に新ダムが建設されます。
新ダム建設の進め方については国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらを参照ください。
【2016年1月10日】
ダム下の県道358号線からダムと正対できます。
堤高は98.2メートルでわが国初の100メートル級のダムとして建設されました。
クレストにはローラーゲート5門を装備し最大毎秒4800立米の放流能力を持ちます。
ゲートをズームアップ
当初は大井ダムのような堤頂一杯にゲートを並べる構造が想定されていましたが、巨大ゲートの導入により5門のゲートに収まりました。
当ダム以降、それまで主流だった横並びのゲートで川を閉め切るダムは姿を消しました。
ピアにはアーチのデザインが採用されています。
前身の大同電力を指揮した福澤桃介はアールデコを好みましたが、これに敬意を表したのかも?
右岸展望台から
導流部の膨らみはちょっと中空ダムっぽい。
ダム湖右岸にある関西電力の取水工。
奥は丸山発電所、手前は新丸山発電所の取水工となります。
上流面。
天端
ゲートごとに金属製のグレーチングがありますが、これは予備ゲート嵌め込み用。
施工した間組の銘板
当時は『ダムの間』と呼ばれ、ダム建設における第一人者でした。
ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が架かっています。
半円形のバルコニーはいかにも昭和20年代といったフォルム。
減勢工は深い渓谷。
丸山蘇水湖と命名されたダム湖は総貯水容量7952万立米。
下流面。
【2024年5月29日】
ここからは2024年(令和6年)の再訪時の記事となります。
新ダム着工に合わせて新たに設けられた丸山ダム展望台・まるっとテラスから
前日までの大雨で訪問時は毎秒600立米を放流中。
これは新たに建設された丸山大橋から
初訪時に写真を撮った、ダム直下の県道はすでに通行禁止。
その県道を工事用ダンプが横切ります。
ダム左岸では転流工を建設中。
ダム完成後は放流設備の放流口となります。
右岸の新丸山発電所
巨大なガントリーが四つ足ロボットのようです。
まるっとテラスには各種石碑が移設されています。
これはダム建設を指揮した関西電力社長太田垣士郎の揮毫で、『静中動』とは見た目は静かながらもその内には機に応じて動くべく熱量が潜められているという意。
右岸から
掘削や法面補強など新ダム建設工事が進行中。
天端から放流を見下ろす
毎秒600立米でもかなりの迫力、前夜のピークには毎秒2600立米の放流を行ったそうです。
新丸山ダム(再)の竣工は12年も先。
定期的に見学会が開催されているので、機会があればまた参加しようと思います。
(追記)
丸山ダム(元)にはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
1084 丸山ダム(元)(0185)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FP
G
98.2メートル
260メートル
79520千㎥/38390千㎥
国土交通省中部地方整備局
1955年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
1136 新丸山ダム(再)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FNP
G
118.4メートル
340.6メートル
131350千㎥/90220千㎥
国土交通省中部地方整備局
2036年竣工予定
天端からでも放流は十分な迫力です。
ピークには見学時の4倍の放流量だったということで、もし目にすることができればさぞや圧巻だったことでしょう。
今日のダムも圧巻の一言です。
懐かしい福沢桃介さんの名前も登場し、
ピアの流線に目を奪われ、いつもの如くのダム湖に蒼に癒され。
でも今回は何といっても扶壁の歩廊。
あのバルコニーから見る景色ってどんな風だろうかと想像しつつ・・
でも、たとえ百万やると言われても
あそこを歩けと言われたら断固拒否する自信はあります(笑)。