ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大谷ダム

2023-08-22 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 大谷ダム
2023年7月21日
 
大谷ダムは新潟県三条市大谷の信濃川水系五十嵐川にある新潟県土木部が管理する多目的ロックフィルダムです。
三条市内を横断して信濃川に合流する五十嵐川では1964年(昭和39年)に右支流笠堀川に笠堀ダム(元)が完成しましたが、1969年の昭和44年8月豪雨で計画量を上回る出水となったことから、新たに五十嵐川本流への多目的ダム建設が着手され1993年(平成5年)に大谷ダムが竣工しました。
大谷ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、笠堀ダムと連携した五十嵐川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、三条市・加茂市・田上町への上水道用水の供給を目的とするほか、河川維持放流を利用して大谷ダム管理発電所(最大出力190キロワット)で小水力発電を行っています。
しかし、2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨では改訂された計画雨量をさらに超える流入量が記録され、下流域で甚大な洪水被害が発生しました。
これを受け笠堀ダムの嵩上げ再開発が着手され2017年(平成29年)に竣工、これにより両ダム合わせて最大毎秒1200立米の洪水カットが可能となり、五十嵐川流域の治水能力は大きく向上しました。

大谷ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。

大谷ダム下流に架かる国道289号線大谷大橋の右岸から、旧道を進むとダムの直下に出ます(再訪時は草木が繁茂しこの場所への立ち入りは不可能)。
洪水吐斜水路の下の穴は常用洪水吐放流口
向って左手の穴は河川維持放流(小水力発電)の放流口。
(2016年5月21日)

 
左岸から
堤高75.5メートル、堤頂長360メートルのリップラップ
ダム左岸を通る国道289号線は現在福島県との間で八十里越トンネルが建設されており、ダム下はその残土置き場になっています。
(2023年7月21日)


ダムに沿った国道の壁面にはヒメサユリやサケの壁画が描かれています。
(2016年5月21日)

左岸から
左から管理事務所、資料館、取水設備機械室。
(2016年5月21日)

ズームアップ
左は資料館、右は水道用水取水口
ちょっとわかりづらいですが水道用水取水口の左に常用洪水吐があります。
(2016年5月21日)


天端は2車線幅の車道で一般車両通行可能。
(2016年5月21日)

天端の照明にはヒメサユリのデザイン。
(2016年5月21日)


ダム湖は『ひめさゆり湖』と命名され総貯水容量は2110万立米。
(2016年5月21日)

洪水吐斜水路から減勢工
下流の橋が国道289号線大谷大橋。
(2016年5月21日)

非常用となる横越流式洪水吐と管理事務所
2011年(平成23年)の新潟福島豪雨では、ダム完成以降初めてこの洪水吐から越流しいわゆる緊急放流が実施されました。
(2016年5月21日)

右岸からの上流面。
(2023年7月21日)


管理事務所手前にあるモニュメント、定時に鐘が鳴ります。
(2023年7月21日)

記念碑
(2023年7月21日)


右岸上流から
向って右手は上水用取水設備、左手は常用洪水吐。
常用洪水吐の上部には空気孔があります。
(2023年7月21日)


水利使用標識。
(2023年7月21日)
 
ダム着工がバブル期に当たるため、補助ダムながら資料館が併設されるほか照明やモニュメント、湖岸の公園などが整備されています。
しかし、初訪時は営業中だった資料館はすでに閉館、湖岸の公園も草が目立ち、経費節減の色を強く感じます。
ただ八十里越トンネルが開通すれば交通量の増加も期待でき、立ち寄りスポットとして大谷ダムの位置づけも変わるのではないかと思います。
ちなみに大谷ダムがダム巡りを初めて400基目のマイルストーンとなりました。
 
(追記)
大谷ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0781 大谷ダム(0400)
新潟県三条市大谷
信濃川水系五十嵐川
FNW
75.5メートル
360メートル
21100千㎥/17050千㎥
新潟県土木部
1993年
◎治水協定が締結されたダム


2 コメント

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バブル期のダム (まっち)
2023-08-22 21:29:45
バブル期は余計なものにお金を使う余裕のあった時代。
真も出、ダムを回っていてもバブルを挟んだ時代に建設されたダムは一目でそれとわかります。
一方、バブル崩壊に加え某政党による『コンクリートから人へ』というスローガンに扇動され『公共工事は悪』という風潮が高まります。
結果、以降のダムはすべからく質素でデザインも淡白で画一的。
まるで大量生産されたダムのようです。
洋の東西を問わず、文化というものは無駄なお金から生み出されるもの。
江戸時代を見ても絵画・芸能・文学が大いに盛り上がった元禄や文化・文政期は今でいえばバブル期。
一方その反動となった時代は「質素倹約」のデフレ時代。
吉宗さんの時代はドラマのネタにはなっても誇れる芸術や文化は生み出されていません。
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バブル期のダム (tibineko)
2023-08-22 21:11:25
ダムにもバブル期が影響を及ぼすんですね。開業(という言い方が正しいのかどうか?)当時の華やかな状況を想うと、こんなにも寂れて行く事に「ダムよ、お前もか」の感が否めません。
八十里越トンネルの開通でこの先どう変わっていくのか?
考えたら楽しみな気もします。
その時には「大谷ダム」そのⅢを期待します😀
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