2016年3月21日 大谷池
大谷池は岐阜県不破郡垂井町の南宮山北側にある灌漑用アースダムで、1914年(大正3年)に垂井町の事業で築造されされました。その後岐阜県のため池等整備事業で整備され現在は大谷溜池用水組合が管理を行っています。
垂井町の朝倉運動公園の北側にある真禅院という寺の西側から大谷池へ通じる林道がでています。
真禅院の駐車場に車を止めて林道を10分ほど歩くと大谷池に到着します。
下流面はきれいに刈り払われています。
天端
日陰になっていて露出が難しい。
上流面は下部がコンクリートで補強されています。
右岸の洪水吐。
大谷池。
奥の山は関ヶ原の戦いで毛利勢が陣を張った南宮山です。
湖面が朝日に煌めきます。
左岸の斜樋。
大谷池はのすぐ南にある南宮山は関ヶ原の戦いの勝敗を分けるカギになった山です。
西軍主力の毛利勢がこの周辺に陣を張りましたが、山麓に陣取った一族の吉川広家が東軍に通じたために山上の毛利勢は兵を動かすことができず、これが西軍敗因の一つとなりました。
大谷池は歴史ロマン真っただ中にあります。
1048 大谷池(0265)
ため池データベース 213610021
岐阜県不破郡垂井町宮代
木曽川水系相川
A
E
18.7メートル
82メートル
161千㎥/161千㎥
大谷溜池用水組合
1914年
残念ながら見学時記念碑の石垣確認しておりません。
ただ関が原の際に周辺で砦の建設があったとしても戦のためのもので石垣ではなく土塁を作ったと思いますし、竣工記念碑ならば池の至近ですので、17世紀のものがそのまま残っているとは思えません。
機会があればいつか再訪して確認したいと思います。