ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

菰田ダム

2019-07-29 11:56:13 | 長崎県
2019年7月14日 菰田ダム
 
菰田ダムは長崎県佐世保市菰田町の相浦川水系の小川内川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水および灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として開け、1901年(明治34年)にまず海軍水道が整備され、遅れること6年目の1907年(明治40年)に全国10番目の近代水道として佐世保市水道事業が創設されました。
当初の佐世保市水道は海軍水道からの分水を受けてのものでしたが、その後の町の発展とともに独自の水道施設の確保に迫られることになります。
まず1926年(大正15年)に市独自の山の田第二浄水場が完成、その後1935年(昭和10年)に建設が始まり1939年(昭和14年)に初の市独自水源として完成したのが菰田ダムです。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
菰田ダムは上水道に相浦川流域への灌漑用水源も兼ねることになりますが、現在も日量最大1万2600立米の上水道用水を供給すし佐世保市水道事業の主要水源となっています。
菰田ダムの堤高40メートルは戦前の上水道ダムとしては千苅ダム小ケ倉ダムなどには僅かに及びませんが、堤体積13万5000立米は断トツのトップとなっています。
またその土木技術的価値を評価してBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
菰田ダムは県道11号沿いにあり、ダムの敷地は立ち入り禁止のため右岸から撮影するのみですが撮影ポイントは意外にたくさんあります。
堤高40メートル、堤頂長387.7メートル、堤体積は13万5000立米に及び戦前の上水用コンクリートダムとしては屈指の規模を誇ります。
前日の雨を受けてクレストゲートから激しく越流しています。
 
通廊入口。
神社風の造りは珍しい。
 
アングルを変えて。
 
クレストゲートをズームアップ。
 
ゲート上部の高欄には装飾が施されているようです。
 
曲線重力式と言うほどではありませんが、堤体は緩やかに湾曲しています。
雨後の曇天という気象条件から堤体はより黒ずんで見え、圧倒的な存在感と重厚感を醸し出しています。
 
堤頂長387.7メートルの堤体は対岸の樹林のはるか先まで続いているようです。
 
同じようなアングルの写真ばかりですがついつい何枚もシャッターを切ってしまいます。
 
この高さで撮ると堤体が湾曲しているのがよくわかります。
 
天端は車1台が通れるような幅で、アスファルトにはタイヤ痕のような跡も見られます。
 
同じ戦前のダムでも長崎市内の石積堰堤とは全く異なる表情の菰田ダムです。
文字通り漆黒の壁といった風でした。

2598 菰田ダム(1490)
長崎県佐世保市菰田町
相浦川水系小川内川
AW
40メートル
387.7メートル
1475千㎥/1462千㎥
佐世保市水道局
1939年




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