ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

厚東川ダム

2020-12-02 15:37:15 | 山口県
2020年11月21日 厚東川ダム
 
厚東川ダムは左岸が山口県宇部市小野、右岸が同市木田の二級河川厚東川中流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本の土木技術理論において大正期から昭和初期にかけて第一人者であった物部長穂は治水と利水を統合し河川を一貫して開発する『河水統制計画案』を提唱、これをもとに内務省は1935年(昭和10年)に『河水統制事業』を採択、全国七河川一湖沼で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなり、戦後の河川総合開発事業のモデルとなりました。
山口県は1940年(昭和15年)に厚東川の洪水調節と都市用水確保を目的にした厚東川河水統制事業に着手しますが、戦況悪化による物資不足で事業は中断を湯着なくされます。
終戦後同事業最大の受益者である宇部興産への発電用水利権付与と引き換えに同社からの資金援助を仰ぎ、さらに国庫からの補助を得て1948年(昭和23年)に厚東川総合開発事業として事業は再開、ダム本体は翌1949年(昭和24年)に竣工、開発事業全体も翌1950年(昭和25年)に完成しました。
 
しかし高度成長期に入り、宇部小野田エリアの発展は留まるところを知らず、これに伴う人口増加も相まって新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
当初は厚東川ダムの嵩上げ再開発による貯水容量増が計画されましたが、地理的・経済的課題が多く断念、替わって1969年(昭和44年)に厚東川ダムに近接する宇部市瓜生野の灌漑用溜池である丸山池を再開発しダム化する厚東川第2期工業用水道事業が着手され、1978年(昭和53年)に宇部丸山ダムが竣工しました。
厚東川ダムと宇部丸山ダムは連絡水路で結ばれ、従来2300万立米だった厚東川ダムの有効貯水容量に新たに450万立米の容量が追加されるとともに、洪水時は厚東川ダムから宇部丸山ダムへ導水することで厚東川ダムの洪水調節容量が増大するなど、より弾力的な運用が可能となりました。
現在、厚東川ダムは厚東川の洪水調節、既得取水権として流域への灌漑用水の補給と安定した河川流量の保持、宇部市及び山陽小野田市への上水道用水・工業用水の供給、宇部興産厚東川発電所での最大出力4000キロワットのダム式発電を目的とするほか、厚東川工業用水道の水量を活用して山口県企業局二俣瀬発電所が増設され、ダム管理用電力として最大610キロワットの小水力発電を行っています。
ダム湖の小野湖は山口県有数の釣りスポットとして知られるほか漕艇競技の会場となるなどレクリエーションエリアとして広く活用されており、ダム湖百選に選定されています。
 
厚東川ダム右岸を県道217号が走っておりアプローチは簡単です。
ダム手前の枝道を進むとダム下の宇部興産厚東川発電所手前に出、フェンス越しにダムが望めます。
多目的ダム黎明期に設計されたダムということで、クレストにずらっとラジアルゲートが並ぶ様は阿賀野川や木曽川の発電用ダムのようです。また県営多目的ダムとしては同時期に建設された岡山県の旭川ダムとの外観上の共通点が多く見られます。
 
右岸から下流面
ピアには被覆された管理橋が渡されまるでこれまた阿賀野川の発電用ダムのようです。
当初は屋根はなく、昭和終盤に被覆されたそうです。
導流部の下のシュート部分も戦前戦中のダムの特徴を色濃く見せています。
 
ラジアルゲート8門は山口県内のダムとしては最多。
 
ダム直下の宇部興産厚東川発電所
県営の多目的ダムと電力会社以外の民間企業の発電所の組み合わせはレアケース。
上記ダム建設に際し宇部興産の資金支援があった代償です。
 
親柱の銘板。
 
残念ながら天端は立ち入り禁止。
 
上流面。
 
水と土の地名から小野湖と命名されたダム湖
総貯水容量2378万8000立米
漕艇競技場として活用されています。
 
上流からの眺めは只見川や阿賀野川の発電用ダムそっくり。
 
戦前の河水統制事業で着工され、戦争による中断を受けて戦後完成したダムという点では同じ山口県の木屋川ダムや神奈川の相模ダムと共通しています。
 
(追記)
厚東川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2065 厚東川ダム(1581)
左岸 山口県宇部市小野
右岸 山口県宇部市木田
厚東川水系厚東川
FNWIP
38.8メートル
162メートル
23788千㎥/23042千㎥
山口県土木建築部
1948年
◎治水協定が締結されたダム 


2 コメント

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厚東川ダム (tibineko)
2024-02-15 10:45:25
行こうと思って訪問し損ねたダム
アクトビレッジ小野で、お話を聞かせて下さった方が
ダムカードを下さいました。
小さなカードの中の厚東川ダムは
まるで城壁のように雄々しく見えました。
実際の全体像を見ると、その思いはさらに強くなります。
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tibinekoさま (まっち)
2024-02-15 17:03:10
戦前のコンクリートダムの大半は発電用で、本格的な洪水調節=治水目的のダムは昭和15年完成の向道ダムとなります。
発電ダムの大半はずらっと並ぶゲートで川を閉め切る形状で、厚東川ダムは多目的ダムとしては早初期にあたるため、まるで発電ダムのような形状になっています。
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