ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

相当ダム

2019-07-30 10:49:43 | 長崎県
2019年7月14日 相当ダム
 
相当ダムは長崎県佐世保市上柚木町の相浦川水系牟田川にある佐世保市水道局が管理する上水用重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
昭和に入り戦争の足音が近づく中、帝国海軍佐世保工廠向けの水源として建設されたのが相当ダムです。
建設にあたっては戦争激化による人員、物資不足の中、南方戦線のアメリカ人捕虜も動員した手作業による突貫工事でダム建設が進められ、1944年(昭和19年)に竣工しました。
この際建設工事に従事したアメリカ人捕虜約50余名が病没し、戦後佐世保市水道殉職者慰霊塔建立の際に彼らも合祀されています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され相当ダムも佐世保市水道局が事業継承し、現在も日量最大5700立米の上水道用水を供給しています。
 
佐世保市瀬戸越町から国道498号線を東進、上柚木町に入り柚木小学校前の信号を左折します。さらに上柚木三組公民館前を再び左折すると相当ダム正門前に到着します。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止。
門柱は頭頂部に円蓋が乗った戦時中のダムの親柱などでよく見られるスタイル。
 
正門脇から相当ダム堤体が望めます。
ここが唯一の展望スポット。
 
高欄に装飾がみられます。
 
これだけでは身も蓋もないのでグーグルの空撮写真を見てみます。
右岸に湾曲した横越流式洪水吐があり、堤体中央に半円形の取水設備があります。
 
戦時の強制労働という負の側面も持った相当ダムですが、それは日本に限った話ではありません。
強制労働に関わった軍関係者は戦後の軍事裁判で罪を負い、慰霊も継続して行われています。
必要以上の自虐史観は日本人の悪癖ともいえるでしょう。
 
2601 相当ダム(1492) 
長崎県佐世保市上柚木町
相浦川水系牟田川
34メートル
150メートル
415千㎥/400千㎥
佐世保市水道局
1944年


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