2023年4月21日 片田貯水池(片田ダム)
片田貯水池は三重県津市片田薬王寺町の岩田川源流部にある津市上下水道事業局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
津市では1925年(大正14年)に近代水道事業が認可され、その貯水池として1929年(昭和4年)に竣工、翌年から運用が開始されたのが片田貯水池です。
雲津川支流長野川で取水された水が約2キロの導水トンネルで当貯水池に貯留され、さらに併せて建設された片田浄水場を経て市内に給水されます。
戦後の人口増加や水道需要増を受け新たに君ヶ野ダムからの補給が開始されますが、片田貯水池は現在でも旧津市向け水道の約4割を担う主力貯水池となっています。
一連の水道施設は『近代上水道の父』と呼ばれる中島鋭治の設計、指揮のもとに建設され戦前の貴重な水道施設として『近代水道100選』に選ばれているほか、堰堤がBランク、旧管理事務所及び取水塔がCランクの近代土木遺産に選定されています。
片田貯水池は敷地内に水道資料館が開設される一方、貯水池構内への立ち入りは制限されています。
今回は事前に見学申請を行い片田浄水場長自らの案内で貯水池の見学が叶いました。
見学の詳細については『片田貯水池見学』をご覧ください。
またダム便覧には『片田ダム』として掲載されていますが、津市上下水道事業局及び管理局では『片田貯水池』の名称を使っておりここでも片田貯水池と記すことにします。
下流から遠望
堤高26.6メートル、堤頂長131.6メートル
犬走を挟んだ3段構成で、堤体に植えられたもこもこツツジがシンボルとなっています。
本当ならばツツジが満開の時期に来訪したかったのですが…
左岸から。
貯水池正門
門扉は石積みで竣工当時のもの。
表札には『津市水道貯水池』
正面は水道記念館ですが、訪問した月曜日は休館日。
ダムの中は見れますが、資料館が見れないという・・・。
木造の旧管理事務所
こちらも竣工当時のもので、Cランクの近代土木遺産。
堤体から見下ろすと
ダム下は園地になっており、水道資料館開館時は開放されます。
桜の時期には程々賑わうようです。
堤頂部の階段。
特に機能はなく、堤頂に等間隔に5基並んでおり装飾として設けられたようです。
貯水池
有効貯水容量129万立米で、そのすべてが長野川からの導水に依る河道外貯留ダムです。
堤頂部にはコンクリ―壁
職員さんのお話では後付けのようです。
上流面はコンクリートブロックで護岸。
左岸の取水塔とトラスの管理橋。
共にCランクの近代土木遺産です。
設計した中島鋭治はもともとは橋梁建築を目指していたそうですが、政府の意向で留学先では水道や衛生学を学び帰国後その大家となりました。
職員さん曰く『このトラス橋は橋梁に憧れた彼の思いが込められているのかも』
上流から。
左岸の洪水吐
手前には木製のゲートリーフが嵌め込まれ、奥は自由越流となっています。
ゲート部分にはかつては巻き上げ式の起伏ゲートが設置されていました。
近年は雲津川水系から導水した水が別水系の岩田川に溢れるのは宜しくないという国交省の指導もあり、洪水吐からの溢流は極力避けるよう運用されているそうです。
導流部は隧道で流路や側面の擁壁も竣工当時のもの。
トンネル入り口には立派なポータル。
隧道の先から貯水池左岸側を流れる岩田川に流下します。
今回は津市上下水道事業局のご厚意により、貴重な貯水池内の見学が叶いました。
関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。
ただ訪問日が資料館休館日だったことが惜しまれます。
機会があれば、堤体のもこもこツツジが満開の時期に是非とも再訪したいものです。
1320 片田貯水池(1983)
三重県津市片田薬王寺町
岩田川水系岩田川(雲津川水系長野川より導水)
W
E
26.6メートル
131.6メートル
1478千㎥/1293千㎥
津市上下水道管理局
1929年
中島鋭治氏のトラス橋への想いの行では、ああ、確かにそうかもしれないと。
絵になる風景・・という言葉がそのまま当てはまる、緑の水面と赤い橋のコントラスト。
旧管理事務所は、もろに私好み。これだけの施設が今も現役で残されている事に、感動を覚えます。
いつも「凄いな・・・」と思いつつ拝見させて頂いているダムの記事ですが、今日の「水上ダム」はまた格別の趣でした。
素敵なダム散策をさせて頂きました(*^^*)
感謝です。
タイトルのダム名を間違えるとは何たる不覚・・・
平にご容赦を m(_ _"m)
今回はダメもとで津市上下水道局にお願いしたところ、行政的な『見学依頼書』の提出でようやく許可がいただけました。
蛇口を捻れば水が出るという日本では当たり前のことが、世界で見れば異例なことでありなおかつその水を煮沸しないでも飲めることは本当に稀有なことをついつい忘れがちです。
産業遺産、土木遺産でもあるこういった貯水池を見せていただくことでそういう当たり前のことは明治以降の先人たちの努力と、今も水道事業に携わる関係者のおかげだということを、改めて感じずにはいられませんでした。