国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

いきさつ1

2015-10-06 | 結婚@NYまで
LindaにはAさん(名前の頭文字)という従姉妹がいて日本人男性と結婚しています。一方、その旦那さんのK君(同)というのは私と旧知の間柄です。(この2人が出会って結婚に到るまでがまた長篇小説にもしたくなるほど感動的な話なのですが、直接聞いた訳ではなく、間違ったことを書いてしまっても困るので詳しくは述べません。)では、どんな間柄かといえば・・・・・

K君と私はJICAボランティア(青年海外協力隊)として南米のパラグアイに派遣されました。その前の語学訓練(スペイン語)から一緒です。1989年4月のことですから、もう26年前になりますね。(早いもんだ。)彼とは職種が同じ(農業指導)ということもあり、訓練所でも任地でも孤立していることの多かった私としてはよく言葉を交わした方です。ちなみに彼は任期中に休暇を取って旅行できる権利を行使して隣国のボリビアを訪れAさんと婚約、そして任期終了後に再渡航して結婚しました。一時期名古屋にも住んでいましたが(後述)、現在は東京在住です。

私は婚約後Lindaに「いつ僕のことを知ったの?」と尋ねてみたところ、23年前と答えたので非常に驚きましたが(もっと最近の話だと思っていたので)、ボリビアへ一時帰国していたAさんから私のことを聞いたそうです。ただし、その時点で私はAさんと面識がありませんでしたので、おそらくK君からの又聞きということになるのでしょうね。

いずれにせよ、Lindaは「そんな人ならいつか会ってみたいものだ」と思ったそうです。もしかして白馬に乗った王子様みたいな姿が頭に浮かんだのでしょうか? ということで、K君がその時私について何を語ったのかは前々から気になっています。敢えて問い質すつもりはありませんが・・・・・

それにしても23年というのは気の遠くなるような話です。ブラームスの交響曲第1番が着想から完成までに21年かかったということですから、それよりも長いんですね・・・・って、何でそれと較べる?

(この話を聞かされた直後、Lindaに「その間に誰かいなかったの?」と尋ねましたが、「誰も」との答え。ニューヨークに来てから同郷人に食事に誘われたことはあるけれど、とくに魅力は感じられなかったのでそれっきりになった、とのことでした。問い返された私の方も次回以降いろいろ書きますけど要は「誰も」という点で一緒でした。)

ついでに彼女に私の顔をいつどこで見たのか尋ねたら「Facebookの写真」と答えたので、そちらは早くとも4年前ということになりますが、その私がネットのあちこちで使っている自画像はといえば、アフリカ南部にあるナミビア滞在中に悪戯心で(翌年の年賀状に使うため)スキンヘッドにした直後に撮ってもらったものです。それを見て「素敵な人」と思った(そして私に手紙を書く気になった)ということですから、一風変わった美的感覚を持っている人なのかもしれません(苦笑)。
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