僥倖
2017-08-17 | 日記
昨年に引き続いて「青春18きっぷによるローカル線の旅」を楽しんできました。
今回はずっと前から乗ってみたかった飯田線と高山本線をセットにした周回コース(同じ経路は2度通らない一筆書き)を企画しました。事情により最終日は変更することになりましたが・・・
初日(11日)は飯田線でどこまで行くか・・・・・ですが、迷わず駒ヶ根にしました。28年前に市内外れにある訓練所でスペイン語を学んだ思い出の地だからです。加えて昔も今も同市在住のKさんと会ってお話ししたかったという理由もあり、事前にアポも取っていました。この方はペルーに派遣されることになっていましたが、私と同じくらい重度のクラヲタ(クラシック・オタク)で、訓練中もよくその話をしていました。ついでながら南米民族音楽の愛好家・演奏家でもあり、Lindaの従姉妹の旦那であるH君およびブータン派遣予定の女性とトリオ "Los Komaganeyos"(駒ヶ根人たち)を組んでいました。(ところで私は近年になって「一期一会」を意識するようになりました。要はそういう歳になったということですが、かつて懇意になった人と会えるチャンスをなるべく逃すまいと考えています。昨年の広島行きもそうでした。)
8時間超の長旅ながら乗り換え2回で済むのはありがたい。ただし何から何までスムーズという訳にはいきませんでした。
何と言っても連休中だし18きっぷ利用の鉄オタさん達が大勢乗り込むから飯田線は混んでいるだろうと予想していましたが、案の定豊橋を出てからしばらくは座れませんでした。
また豊橋到着の少し前、○○駅(忘れましたが東海道線の上り方向)で接触事故があったため浜松〜豊橋間の運転を見合わせているとのアナウンスが。(追記:後で調べてみたところこういうことでした。この方は浜松〜豊橋間の新幹線利用で何とかピンチを凌いだようですが。それにしても二川って豊橋の隣じゃないですか。危なかったぁ!)実際着いた時には列車の到着を待つ人の長ーい行列ができていました。その直接の影響こそなかったものの、後発の特急「伊那路」が遅れたため、その通過待ちで足止めを喰らいました。
飯田線は195.7kmの区間に94もの駅があります。なので短い区間では発車後1分くらいで次の駅に停まります。その理由は単線ゆえ特急列車の通過待ちや上下線のすれ違いに必要だから、と思ってきましたが、翌日乗った高山本線では駅と駅との間隔はさほど短くなく訳が分からなくなってしまいました。後で調べてみたら「もとは4社の私鉄を国鉄が買収したから」が本当のようです。
これはちょっと読めないですね。それにしてもこんな山奥まで浜松市だったとは!
上が何駅だったかは覚えていませんが、先述の訓練所に勤めておられた年配の女性が語尾にやたら「だに」を付け、「これが駒ヶ根弁だに」と言っておられたのを思い出したため撮りました。
駒ヶ根到着の少し前にもハプニング。「キーッ」という音が聞こえた直後に「カモシカとの衝突を避けるため急ブレーキを踏み、ご迷惑をお掛けしました」との車内放送。続けて「何とか衝突は免れましたが、もし少しでも接触していたら警察による現場検証のため長時間の停車が必要になるところでした」という説明が。駒ヶ根到着は結局約10分遅れで済んだのですが、実際には綱渡りの連続であったことを実感しました。(ちなみに8日火曜日には台風による倒木で飯田線は運転を見合わせていました。高山本線も豪雨で一時運休。もし台風上陸が3日遅れていたら、この旅行そのもののキャンセルや計画の大幅見直しを迫られたかもしれません。)
Kさんとは私たちが当日泊まるホテルのロビーで待ち合わせ。この会話はもちろんスペイン語です。その後、名物のソースカツ丼を食べながら歓談。(ちなみに最初に行った店は長蛇の列で断念しました。)二人の近況や昔話などもしましたが、大半はブルックナーやマーラーのお互いのイチ押しの演奏や録音など久しぶりのヲタ話で大いに盛り上がりました。ラストオーダーを求められたためやむなく退出しましたが、そうでなかったらあと何時間居座っていたことやら。その間そっちのけにしていたLindaから後で文句を言われました。
駅にKさんの迎えが来られてからも第2ラウンドを開始。後ろ姿のその迎えの方もJICAボランティアのOG(コロンビア派遣)でお母さんがチリ人というオマケ付き。今度はLindaにも話し相手ができたので、どうしようもない男どもは心おきなくヲタ話に専念できたのでした。
今回はずっと前から乗ってみたかった飯田線と高山本線をセットにした周回コース(同じ経路は2度通らない一筆書き)を企画しました。事情により最終日は変更することになりましたが・・・
初日(11日)は飯田線でどこまで行くか・・・・・ですが、迷わず駒ヶ根にしました。28年前に市内外れにある訓練所でスペイン語を学んだ思い出の地だからです。加えて昔も今も同市在住のKさんと会ってお話ししたかったという理由もあり、事前にアポも取っていました。この方はペルーに派遣されることになっていましたが、私と同じくらい重度のクラヲタ(クラシック・オタク)で、訓練中もよくその話をしていました。ついでながら南米民族音楽の愛好家・演奏家でもあり、Lindaの従姉妹の旦那であるH君およびブータン派遣予定の女性とトリオ "Los Komaganeyos"(駒ヶ根人たち)を組んでいました。(ところで私は近年になって「一期一会」を意識するようになりました。要はそういう歳になったということですが、かつて懇意になった人と会えるチャンスをなるべく逃すまいと考えています。昨年の広島行きもそうでした。)
8時間超の長旅ながら乗り換え2回で済むのはありがたい。ただし何から何までスムーズという訳にはいきませんでした。
何と言っても連休中だし18きっぷ利用の鉄オタさん達が大勢乗り込むから飯田線は混んでいるだろうと予想していましたが、案の定豊橋を出てからしばらくは座れませんでした。
また豊橋到着の少し前、○○駅(忘れましたが東海道線の上り方向)で接触事故があったため浜松〜豊橋間の運転を見合わせているとのアナウンスが。(追記:後で調べてみたところこういうことでした。この方は浜松〜豊橋間の新幹線利用で何とかピンチを凌いだようですが。それにしても二川って豊橋の隣じゃないですか。危なかったぁ!)実際着いた時には列車の到着を待つ人の長ーい行列ができていました。その直接の影響こそなかったものの、後発の特急「伊那路」が遅れたため、その通過待ちで足止めを喰らいました。
飯田線は195.7kmの区間に94もの駅があります。なので短い区間では発車後1分くらいで次の駅に停まります。その理由は単線ゆえ特急列車の通過待ちや上下線のすれ違いに必要だから、と思ってきましたが、翌日乗った高山本線では駅と駅との間隔はさほど短くなく訳が分からなくなってしまいました。後で調べてみたら「もとは4社の私鉄を国鉄が買収したから」が本当のようです。
これはちょっと読めないですね。それにしてもこんな山奥まで浜松市だったとは!
上が何駅だったかは覚えていませんが、先述の訓練所に勤めておられた年配の女性が語尾にやたら「だに」を付け、「これが駒ヶ根弁だに」と言っておられたのを思い出したため撮りました。
駒ヶ根到着の少し前にもハプニング。「キーッ」という音が聞こえた直後に「カモシカとの衝突を避けるため急ブレーキを踏み、ご迷惑をお掛けしました」との車内放送。続けて「何とか衝突は免れましたが、もし少しでも接触していたら警察による現場検証のため長時間の停車が必要になるところでした」という説明が。駒ヶ根到着は結局約10分遅れで済んだのですが、実際には綱渡りの連続であったことを実感しました。(ちなみに8日火曜日には台風による倒木で飯田線は運転を見合わせていました。高山本線も豪雨で一時運休。もし台風上陸が3日遅れていたら、この旅行そのもののキャンセルや計画の大幅見直しを迫られたかもしれません。)
Kさんとは私たちが当日泊まるホテルのロビーで待ち合わせ。この会話はもちろんスペイン語です。その後、名物のソースカツ丼を食べながら歓談。(ちなみに最初に行った店は長蛇の列で断念しました。)二人の近況や昔話などもしましたが、大半はブルックナーやマーラーのお互いのイチ押しの演奏や録音など久しぶりのヲタ話で大いに盛り上がりました。ラストオーダーを求められたためやむなく退出しましたが、そうでなかったらあと何時間居座っていたことやら。その間そっちのけにしていたLindaから後で文句を言われました。
駅にKさんの迎えが来られてからも第2ラウンドを開始。後ろ姿のその迎えの方もJICAボランティアのOG(コロンビア派遣)でお母さんがチリ人というオマケ付き。今度はLindaにも話し相手ができたので、どうしようもない男どもは心おきなくヲタ話に専念できたのでした。