国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

メッキのホコリ

2017-08-22 | 番外

先週土曜日に録画しておいたメイドインジャパンという番組(再放送)を一昨日再生したのですが、最後まで観ることは不可能でした。日本製品(電動アシスト自転車、マッサージチェア、シャワートイレ、他にお菓子などお土産の数々)を贈られた現地の人達が揃いも揃って「日本(の製品・技術)はすごい(わ)ねぇ」と誉め称えるのを耳にして、もちろん悪い気はしなかったものの、あまりに大袈裟な礼賛コメントの連発には恥ずかしさと気持ち悪さをこらえることができなかったからです。

ここからは先月ブックオフで買った鴻上尚史著「クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン」(講談社現代新書)を引きながら話を進めてみます。著者はNHK-BS1で2006年から放送されている "COOL JAPAN" の司会者を番組開始から続けています。

本のプロローグ(まえがき)には "COOL JAPAN" の司会を鴻上氏が引き受けることになった動機が書かれていました。

自分の生まれた国を全面否定する人と前面肯定する人が対立していましたが、どちらも現実を具体的に見ていないような気がしました。前面肯定と全面否定は、結局はコインと裏表で、抽象的な議論だけに終わっているんじゃないかと思ったのです。日本の良いところと悪いところを、日本人が願望や感情で決めるのではなく、外国人の具体的な言葉で知りたいと思いました。
(中略)

相手を知り、自分の国のことを具体的に知ることは、やがて自分自身を知ることにつながるんじゃないかと思います。世界にはこんな見方があり、こんな考え方がある。多様であることを楽しむことは、きっと自分自身の人生も豊かにし、深くすることになるのです。

その番組については既に一昨年の日記で触れていました。ちなみにそちらには「普段は全くといっていいほど観ない」と書きましたが、Lindaの来日後は毎週のように (少女漫画とかアニメとかフィギュアなどの回はスキップしましたが) 二人で観ています。もっともあの番組で日本のことをすっかり分かった気になられても困るとは思っていますけど。)リンク先の過去の日記で取り上げた回に限らず、テーマによってはゲストの外国人から「理解できない」「ちっともクールじゃない」とボロクソに言われたりすることもありますが、賛辞一辺倒の番組よりははるかに健全でしょう。(本では農業高校の女子生徒たちが2年間手塩に育てた牛を出荷する前に記念撮影をしたりして別れを惜しんでいるビデオを観て、ゲストの外国人の多くは爆笑する、困惑する等の反応を示したというエピソードが紹介されていましたが、宗教が違うのですから我々としても「しゃーない」としか言いようがないでしょうね。「おまえらには慈悲というものがないのか!」などと文句を言うのは野暮というものです。)

今度はさらに長文引用で恐縮ですが、以下はエピローグ(あとがき)から。

 「無気力肯定ビジネス」という言い方があります。「今のままでいい」「がんばらなくていいんだよ」「ありのままの自分を愛する」というようなタイトルの本と周辺の展開のことです。つまりは「あなたはあなたのままで素晴らしい」とささやくものすべてです。
 この言葉は疲れた人の心に麻薬のように沁み込むでしょう。なにもしなくても素晴らしいということは、自分はそのままで最高だということです。こんなに感動的なことはありません。
 じつは「日本人として誇りを持てた」という感覚は、この無気力肯定ビジネスに近いと僕は思っています。日本人であるということだけで、無条件で素晴らしいのなら、自分はなにもしなくてもよくなります。それはなんと甘美な状態でしょうか。けれど、少し考えれば、それはおかしなことだと気づくはずです。
 世界はどんどんギスギスと不寛容になっていると書きました。不安が増してくると、自分が日本人である、ということだけでなにか素晴らしい存在になったと思い込みたくなるものです。


(この件に関して別ブログのコメント欄にもいろいろ書いていたのを思い出しました。そちらで引用させてもらった人(お坊さん)も鴻上氏と同じ意見をお持ちのようです。)

先に槍玉に挙げた番組のサブタイトルは「日本を誇りに思えるSP!」でした。なので日本製品を褒めちぎってもらわないことには話にならないと制作者は考えたのかもしれませんが、明らかに度が過ぎていました。もしあのような悪趣味な映像を観て「どーだ、やっぱり日本はすごい国だろう」と悦に入っている視聴者が大勢いたとしたら・・・・と想像して薄ら寒さを感じてしまった次第です。

そもそも誰かに褒めてもらわないと持てないような「誇り」なんて所詮はメッキでしょう。(もし貶されたら途端に自信喪失する、あるいは逆切れするのでしょうか?)そのネーミング自体があの番組の敗因ではないかとすら思いました。

もっとも件の番組に対しては昨年4月の初回放送時から批判も多かったようなので少しホッとしました。またネットのあちこちで見かけた「ヤラセ」「捏造」疑惑については確証がないため態度保留としておきますが、外国人の発言を忠実に訳しているかについては大いに疑問を抱きました。ついでながら以下は先週観た他局の番組の話ですが、外国人女性が一度も使っていない「大和撫子」が何度も字幕に出てくるのを目にして「どういう神経をしてるんだ?」と首を傾げずにはいられませんでした。こんな体たらくでは民放地上波が流すこの手の番組はどれもこれも底が浅いという印象を受けてしまうのも無理からぬところ。番組そのものだけでなく出演者の軽薄コメントが輪をかけているのですが・・・・・それに対してこの番組(BS放送)は結構気に入っており、昨夜の放送(ドイツ人のパン職人)も堪能しました。Lindaもあと10年ぐらい経って日本語が流暢になったらあるいは?(それまで番組が続いてないと思うけど。いや、その頃には移住してるか?)
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