軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ギンリョウソウ(2)

2021-08-06 00:00:00 | 山野草
 梅雨も終盤にさしかかっていた頃のことになるが、雨をたっぷりと吸った雲場池周辺の別荘の庭にはさまざまなキノコが生えていた。

 例年に比べると時期がだいぶ早いように感じるが、これまでにも紹介したことのある、テングタケやタマゴタケもちらほらみられる。

 そうしたキノコを眺めながら歩いていて、ギンリョウソウの真っ白な姿を苔の中に見つけた。昨年この周辺の散歩を始めたときには気がつかなかったのであるが、一度見つけると結構続いて見つかるもので、私の散歩コースの中にも五・六ケ所はある。決して多いとは言えないが、かといって、それほど珍しいわけでもなさそうである。


雲場池周辺のギンリョウソウ 1/11(2021.7.10 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 2/11(2021.7.14 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 3/11(2021.7.14 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 4/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 5/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 6/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 7/11(2021.7.17 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 8/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 9/11(2021.7.17 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 10/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 11/11(2021.7.13 撮影)

 同一個体を日を追って撮影したものがあるが、雌蕊が成長しているのが判る。上から7月14日、17日、20日の撮影である。



同一個体の変化(上から2021年7月14日、17日、20日 撮影)

 よく似たアキノギンリョウソウ(ギンリョウソウモドキ)が咲いているのを、南軽井沢の山荘の庭の斜面に見つけて、このブログで紹介したのは、2018年10月のことであった。このアキノギンリョウソウの花はその後も毎年同じ場所に咲き続けている。
 
 当時はまだアキノギンリョウソウとギンリョウソウの区別もついていなかったのであるが、前回このブログで紹介したとき、すぐに大学時代の同級生Nさんからメールが来て、森村誠一氏の小説「花の骸(むくろ)」にギンリョウソウのことが書かれていると教えていただいた。
 
「花の骸」(森村誠一著 2000年、角川春樹事務所発行)の表紙カバー

 当時、早速その本を入手して読んだのであったが、小説の舞台は、東京に始まり、続いて、青森県から長野県の上田市真田町、北軽井沢の群馬県嬬恋村にまたがって展開されていて身近であった。

 また、森村誠一氏の小説らしく、1970年代の田中内閣の「日本列島改造論」当時の日本の状況を告発する内容が含まれ、北軽井沢の別荘地開発が小説の舞台装置として登場していた。

 今回、ギンリョウソウに出会い、改めてこの本を読み直してみたが、その中で「ギンリョウソウ」がどのようにとり扱われているか、そしてそれはギンリョウソウの実態に即した内容になっているのかをみておこうと思う。

 「花の骸」ではギンリョウソウを分類上「腐生植物」として取り扱っている。小説が書かれた当時の分類ではもちろんそのようになっていたのである。  
 また、現在でも例えばウィキペディアで「ギンリョウソウ」を見ると、やはり腐生植物の代表と書かれている(最終更新 2021年6月23日 (水) 14:46 )。

 詳しい説明を見ると、「森林の林床に生え、周囲の樹木と外菌根を形成して共生する菌類とモノトロポイド菌根を形成し、そこから栄養を得て生活する。つまり、直接的には菌類に寄生し、間接的には菌類と共生する樹木が光合成により作り出している有機物を、菌経由で得て生活している。古くは周囲の腐葉土から栄養を得ていると思われていて、そのように書いてある著作も多いが、腐葉土から有機物を得る能力はない。」と続いている。

 一方、ウィキペディアでこの「腐生植物」を見てみると、同様の説明の後に、次のような文章が続く。

 「その実際の生活様式はむしろ菌類への寄生であり、最近はその実態をより正確に示すものとして菌従属栄養植物という名が提案されている。」

 ここに、「菌従属栄養植物」という語が新たに登場したが、今はこの用語がギンリョウソウなどを示す語として使われるように、変わってきているという。次のようである。

 「『菌従属栄養植物』とは、かつて『腐生植物』と呼ばれていたタイプの植物のことです。古い本にはまだその言葉が残っていますが、これらの植物への理解が進むにつれてその言葉は不適切であることが明らかになり、今では『菌従属栄養植物』と呼ばれるようになりました。
 なお、まれに新しめの本でも専門外の方やサイエンスライターではない人が書いたものには(珍奇性を狙ってわざと?)この言葉が使われていることがあります。・・・海外の文献ではもはや「腐生植物」を意味する"saprophyte" "saprophytic plant"という言葉を目にすることもありません。」
 
 生態が明らかになるにつれて、それを現すより正確な名前が用いられるようになってきたことがわかる。さて、名前はこれくらいにして、ギンリョウソウはどのような植物として「花の骸」で描かれていたのであろうか。 

 この小説では、はじめギンリョウソウは動物の死骸が埋まっている場所に生えるという説が示されていて、殺人事件が絡んだ物語が展開していく。ギンリョウソウの別名「ユウレイ茸」のイメージが使われている話である。しかし、その後動物の死体(そして人間の死体)との関係は否定されていく。物語は、ギンリョウソウに導かれるようにして展開し、事件は次第に解決に向かう。

 そして、小説らしく、最後に思いがけない結末が待っているという話である。

 小説の前段のあらすじは次のようなものである。

 青森県から東京に出稼ぎに来ていた、同郷の3人のうちの1人が、目黒区の路上で他殺体で発見された。

 彼らが働いていた、埼玉県所沢市の飯場に捜査に赴いた所轄の碑文谷警察署の太田刑事と警視庁から派遣された下田刑事の二人は、この飯場で「ギンリョウソウ」を見つけ、次のような会話が交わされる。

***********
 「ああ、ユウレイダケだな」太田が下田の視線の先を追って言った。
 「幽霊茸?」
 「正式にはギンリョウソウというんです。山地の湿っぽいところに咲くんですが、こんな所にも分布していたのかな」
 太田はちょっとそこに立ち停まって、花を観察した。
 「よくご存じですね」
 下田がびっくりした目を向けた。
 「植物が好きなんでね、停年退職したら、花屋にでもなろうかと考えています」
 太田はふと遠方を見るような眼をした。・・・

 「きれいな花ですね、しかしちょっと寂しい感じだ」
 「そうでしょう、だから別名ユウレイダケなんて言われるんです。木陰に一本だけ白い花がひょろひょろと咲いている。まるで幽霊が立っているようでしょう。この花はみかけはしおらしいが、腐生植物なんですよ」
 「ふせい植物?」
 下田は、また聞きなれない言葉が出てきたので面くらった。
 「動物の死体や排泄物を栄養にする植物のことです。ギンリョウソウは死物に寄生します」
 「すると、この花の下には、なにかの動物の死体があるのですか?」
 「必ずしも動物の死体とは限りません。枯れた植物も栄養にします。これも去年の落ち葉の中から咲いているでしょう」
 「死体を栄養にしているにしては、いやにひょろひょろしているな」
 「いや死体だから、元気がないんでしょう」
 彼らは、その時同時にギンリョウソウの花に、色艶の悪い労務者たちの顔を重ねていた。
**********

 このあと、被害者山根を含み青森から出稼ぎにきていた3人の身元が明らかになるが、刑事はそのうちの青田を見つけ出し、3人に何が起きていたのかを聞き出す。

 彼らは、東京文京区の高級住宅街に強盗を企てて押し入り、そこで殺人現場を目撃していた。

 山根が殺害されたのは、そのためと青田は説明し、もう一人の島村もまた行方が分からなくなっていると供述した。自らの身の危険を感じた青田は、郷里へ帰らずに身を隠していたのであった。

 このあと、話は、3人が強盗に入った高級住宅が実は売春宿として使われていたこと、また売春を斡旋している人物Kが、北軽井沢の嬬恋地区の別荘地の開発に関わるT企業がらみの汚職に関係していたことが明らかになっていく。

 山根の殺害事件と共に、これと関係があると思われる殺人事件に関係する人物を追って、太田、下田両刑事は上田市の真田にあるT社所有の施設「白雲山荘」を突き止める。ここには、高級住宅地で起きた殺人事件の容疑者と目される人物Tと、その愛人のMが隠れていた。

 二人に任意出頭を求めて、白雲山荘から出たとき、太田刑事はなにかを見つける。

**********
 「なにかありましたか?」
 下田刑事が、太田の視線の先を追った。
 「あの崖っ縁に咲いている白い花だがね」
 「ああ、なにか咲いていますね」
 「あれはギンリョウソウらしいな」
 「ギンリョウソウ?」
 下田はどこかで聞いた名だと思った。
 「忘れたかね、山根貞治ら出稼ぎ三人組の後を追って所沢の飯場へ行ったとき、咲いていた花だよ」
 「ああ、思い出しましたよ。たしか、腐敗植物とかいって、動植物の死体の上に咲く花でしょう」
 下田の瞼に、崖っ縁に咲いている花と、夏の盛りをおして、汗を拭き拭き聞き込みに行った飯場の裏手の草むらに、ひょろひょろと咲いた白い花が重なった。
 「腐生植物だよ。ギンリョウソウがこのあたりにも咲くのかなあ」
 「行って確かめてみましょう」
・・・花はちょうど庭のはずれの崖に面した北向きの斜面に咲いていた。
 「まちがいない。ギンリョウソウだよ」
・・・神川の水分をたっぷり吸ってじめじめした北面の斜面に数本のギンリョウソウは、ヒョロリとした茎の上にそれぞれ一弁ずつ白い花を咲かせていた。
 「花がみんな下を向いていますね」
 「これがギンリョウソウの特徴なんだ。いかにも太陽から顔を背けているようで、陰気な感じだね」
 「腐生植物は太陽が嫌いなんですか?」
 「これは人間の想像だがね、ギンリョウソウが栄養源にしている動植物の死体を見つめているような気がしないかね」
 「そういえば、そんな気がしないこともありません。いったいどんな死体が根元に・・・・・・」
  といいかけて、下田は何事かに気がついたらしく表情をひきしめた。
 「はは、下田君、この下に人間の死体があるだろうなんていうのは想像の飛躍だよ」
 太田が下田の想像の先を読んで笑った。
 「しかし太田さん、この山荘は、Kのものでしょう。・・・(高級住宅で殺された)死体の隠し場所としては格好じゃありませんか」
 下田は自分のおもいつきに興奮して、すぐにもギンリョウソウの下を掘りたそうにしていた。
 「なかなかおもしろい着想だけど、やっぱり飛躍だよ」
 「どうして飛躍なんですか」
 「これは私の説明不足のせいもあったが、ギンリョウソウは動植物の死体を栄養にすると言ったけど、実際は動物の上には咲かないんだよ」
 「しかし腐生植物なんでしょう」
 「腐生植物といっても、大きく分けると二種類あるんだ。つまり花の咲く顕花植物と、細菌で繁殖するキノコ、苔類だ。このうち、ギンリョウソウは前者の腐生植物に入る。腐生という所から総体的に動植物の死体を養分にすると言ったけど、植物だけ、動植物両方、動物のみを養分にする三種がある。ギンリョウソウは、この第一グループの植物オンリイなんだよ。」
 「すると、動物の死体の上には、絶対に咲かないのですか」
 「まず百パーセント咲かないと言っていいね。それというのは、動物の体内に含まれている硫黄とかリンなどの成分が、植物に有害になるんだ。基本的には動物の身体が顕花植物系の腐生植物にとっても養分たり得るんだが、有害物質が多すぎると、取り付けなくなるんだ。まあ苔やキノコなら取り付くだろうがね」
 「それでは、こういう場合はどうでしょう。かりに動物体内の有害物質が何らかの原因、あるいはある種の環境においてまったくなくなってしまったとしたら、顕花植物でも動物の死体で育たないでしょうか」
 「まずそういうことはあり得ないだろうね。だいたい動物体内から植物にとって有害物質だけ抜け落ちるということはあり得ないだろうし、有害物質が完全に消失したときは、動物の身体がまったくなくなって土に還元しているだろうからね。」
 「やっぱりだめですか」
 「まあぼくも学者じゃないから、はっきり言い切れないが、一度権威に確かめてみよう」
 「でもずいぶんよく知っていますね」
 「なに、本の受け売りだ。さあ、あまり待たせてはみんなに悪い。行こうか」・・・
**********

 所沢で、最初にギンリョウソウを見かけたときには、動物の死体の上にも咲くとほのめかしていた太田であるが、この場面では動物については否定する説明をしている。

 このあと、犯行をめぐる二人の会話が続くが、再びギンリョウソウに話が戻ることになる。

**********
 「きみはその弱みをあれだとおもうのか」太田は、下田がギンリョウソウの養分に執着したことをおもいだした。
 「そうです。Rの死体があの山荘のどこかにあるんじゃないでしょうか」
 「ちょっと待ってくれ。Rを殺した疑いの最も強い人間は、今のところTなんだ。そんなことをすれば、自分の頸を絞めるようなもんじゃないか」
 「私がギンリョウソウの下に死体があると考えたとき、太田さんは想像の飛躍だと笑いましたね。たしかにギンリョウソウが想像を飛躍させてくれたのです。Tはまさかわれわれがそんな飛躍をするとはおもわなかったでしょう。が、もし死体が本当に山荘に隠してあれば、そこへTがMを拉致して逃げ込んだことに、Kらは震え上がったでしょう。K一味にとっては、そこへ警察の目が向くだけでもまずい。・・・」
**********

 こうして、下田の意見が受け入れられ、捜査令状がおりて、東京から駆けつけた数人の本部メンバー、上田署からS警部補と二名の駐在所巡査が太田、下田両刑事に加わり、山荘と周辺の捜査が行われるが、死体は見つからない。

**********
 「こりゃあ、やはり見込みちがいだな」と捜査班の中の消極派。
 「太田さん、どうもギンリョウソウが気になりますね」
 下田は崖っ縁に咲いている白い花の方へ目を向けた。まだそこは捜索されていないというより初めから捜す対象に入っていなかった。ギンリョウソウが咲いているということは、その下に死体がない科学的な証拠であった。
 「まだ、ギンリョウソウにこだわっているのかね。あの花の下には、いや死体の上にあの花は咲けないんだ。だいいちあんな崖っ縁に、死体は埋められないよ」
 「いま地元の消防の人に聞いたのですが、ギンリョウソウが咲いたのは今年が初めてだというんです。去年以前、あんな花が咲いていたのを見たことがないそうです」 
 「今年が初めて・・・・?」
 太田は、下田の示唆する言葉の底にある含みを探ろうとした。
 「つまり、きみはギンリョウソウが咲いたことを、Rと関係があるというのかね」
 「Rじゃありません。山根貞治ですよ」
 「山根貞治!」
 「そうです。山根がいた所沢にはギンリョウソウが咲いていました。彼らが飯場を去った五月の末にも咲いていたかもしれません。出稼ぎ三人組は、郷里へ帰るべく上野まで来たが、国鉄ストに阻まれて金を費(つか)い使い果たし、都内をうろうろしているところ、Yの家で殺人を目撃したのです。そのとき三人組の身体にギンリョウソウの種が付いていたとは考えられませんか」
 「すると君は、三人組によって運ばれてきたかもしれないギンリョウソウの種子が、Yの家にこぼれ落ちて、それがさらにRか犯人の身体に付いて、ここまでもってこられたというのかね」
 太田は下田の突飛な想像におどろいた声をだした。
 「可能性のないことではないでしょう」
 「まあ、理屈の上では、可能性があるが、実際にそんなことがあるだろうかね」
 「しかし、この辺にギンリョウソウは去年は咲いていなかったというじゃありませんか」
 「それはなんとも言えないよ。植物学の権威が確かめたわけじゃないんだからね。もともとギンリョウソウは陰気な人目に付きにくい所へ咲く花なんだ。本当は咲いていたのが、見過ごされていたのかもしれない」
 「所沢の飯場のギンリョウソウと、ここに咲いている花を結びつけるのは、無理かもしれません。しかし橋はつながっています。三人組、Yの家、Rまたは犯人という形で。植物の種は、生命力が強いもので、運搬手段さえあれば、海でも越えて分布します。私はここに咲いているギンリョウソウを、所沢の飯場から運ばれてきたと解釈したいですね」
 「かりにそうだとしても、Rがここに隠されていることにはならないだろう。YとNはつながっているんだ。この山荘はNのものなんだぜ」
 「まあ、そりゃそうですが、私はこの花が、Rの死体がここにあることを教えているような気がしてならないのです」
 「しかし、もう探す所が残っていないよ」・・・
**********

 下田の直感はしかし当たっていた。山荘の前庭にある池の底に生えている苔が、人間の形をしていることに気がついたのである。池の底はコンクリートで塗りこめられていたが、掘り返してみるとそこに死体が見つかった。

 苔の”身許”は国立科学博物館植物研究部のM博士によって識別され、マルダイゴケ属のユリミゴケで、腐った動物の死骸や排泄物の上に密な塊となって現れるという。

 Rの死体を塗りこめた新しいセメントが、古い池底とうまく接合せず、その亀裂から養分を吸った苔が、彼女の体形を現したのである。

 こうして、直接ではないが、ギンリョウソウに導かれるようにして、高級住宅で起きた殺人事件の被害者女性Rは発見された。

**********
 「上田署からその報告を聞いた捜査本部では、苔がまったく別件の犠牲者の存在を教えた皮肉に憮然となった。」・・・

 「しかし、山荘に咲いていたギンリョウソウは、山根ら三人組を経由して運ばれていったような気がしてなりません」
 下田が未練げに言った。
 「ギンリョウソウをだれが運んでいったにしても、おれたちには関係ないよ」
 太田が憔悴した顔で言った。・・・
 「もし、島村太平が死んでいるとすれば、その近くにもギンリョウソウが咲いているかもしれませんね」
 「島村の近くに?」
 太田が不審を込めた目を上げた。
 「ええ、Rの近くのギンリョウソウも、三人組が所沢から運んでいったものなら、三人組の一人の島村にも当然種がついていたでしょう」
 「ずいぶんギンリョウソウにこだわるじゃないか」
 「地面の方を向いたあの花がなにかを訴えているような気がしましてね」
 「いったい島村太平は、どこへ行っちまったんだろうなあ」
 「島村はどこかで生きていないでしょうか」
 下田がふとおもいついたように言った。・・・
**********

 実際、島村は生きていた。被害者山根の妻の動きを探っていた二人の刑事は、東京の杉並区の路上で山根の妻がタクシーを降りたことを突き止めた。

**********
 「あそこを見てください」
 下田は川岸に建っている平面が三角になっている木造のアパートらしい建物の方を指さした。
 「あの”三角アパート”がどうかしたかね」 
 「あの建物の根本ですよ、そう、川に面した。花が咲いているでしょう。あれ、ギンリョウソウじゃありませんか」
 「なんだって!」
 あまり気がなさそうに下田の指の先を追っていた太田が目を剥いた。たしかに彼の指の延長線上に白い花が何弁か開いている。
 「行ってみよう」
 「まちがいない、ギンリョウソウだ。よくわかったね」
 「もう何回か見ていますからね。しかしこんな所にもギンリョウソウが咲くんですか」
 「咲いてもおかしくはないさ。分布圏内に入っているんだから」
 「しかし気になりますね」
 「いちおうこのアパートを当たってみよう」
**********

 このアパートの一室に、山根の妻と島村はいた。こうしてふたたびギンリョウソウに導かれて、捜査は進展し解決に結びついていった。

 太田がほのめかしたギンリョウソウが動物の死体の上に咲くという説は、途中から完全に否定されるようになった。しかしその種子が事件の関係者である3人の出稼ぎ労働者によって運ばれ、ギンリョウソウを手掛かりにして、高級住宅で起きた殺人事件の被害者女性Rの発見や、さらに青森に帰らず、都内に身を潜めていた3人のうちの一人の島村の発見につながった可能性はあった。山根殺害の犯人も明らかとなり、事件は解決した。

 次は二人の刑事の会話である。
 
**********
 捜査本部で張られたささやかな打ち上げ式の席上で、下田は太田にたずねた。
 「島村のアパートのそばに咲いていたギンリョウソウは、彼が所沢の飯場から運んでいったものでしょうか」
 「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」
 太田は、コップ酒の酔いで頬をうすく染めて言った。明日からは下田は本庁へ帰って他の事件に投入される。太田ももう齢である。また管轄内に事件が起きて、下田とコンビを組むことはあるまい。太田は・・・多分に感傷的になっていた。
 「それじゃあ可能性はあるわけですね」
 下田は、空になったコップに新しい酒を酌ぎながら言った。
 「専門家から聞いた話なんだがね、ギンリョウソウの種がなにかの媒体について運ばれる確率は十パーセントぐらいなんだそうだ。ギンリョウソウの種は土の表面ではなく、枯れ草の中に埋まっているので、鳥やモグラやネズミは媒体として弱いそうだ。またこれらの動物によって運ばれたとしても距離は知れている」
 「風によって運ばれることはありませんか」
 「いまも言ったようにギンリョウソウの種は土中にあるので、風で飛ばされるとしても木が倒れるくらいの強風、それも竜巻のような風でないと無理だそうだ。まあ媒体としては自然現象では雨だな」
 「雨?」
 「うん。集中豪雨などで高地から低地へ土砂もろとも流される。これは大いに可能性がある。しかしなんといっても、広範囲に、遠距離に移動させる媒体は、人間だよ。ズボンの裾やスコップ、鍬、鋤の道具類、車の幌などに付着して運ばれる可能性はきわめて高い」
 「島村のアパートの窓には、住人の洗濯物が干してありましたね、あの窓の下にギンリョウソウが咲いていた」
 「島村のズボンから窓下に種がこぼれ落ちて花を咲かせたかな。たとえ一粒でも、環境がよければ群落をつくることだってあるよ」
 「しかし、所沢の飯場を出てから、かなりあちこち転々としたんでしょう。その間、島村の身体に種がずっとくっついていたんでしょうか」
 「だからあのギンリョウソウは、最初からあそこに咲いていたのかもしれないと言っただろう」
 「どちらにしても、ギンリョウソウが隠れ家を教えてくれたというのは皮肉ですね」
 「皮肉というより可哀そうな気もするね」
 「太田さんは優しいですからね」
・・・
**********

 ギンリョウソウの暗いイメージはこうして払拭されたかのように見えたが、最後に太田刑事とギンリョウソウについての、大きなどんでん返しが用意されていた。

 太田は事件解決後数日の休暇を取り、郷里の南信濃の山間の小さな村へと旅に出た。・・・
 太田には過去の一時期にポッカリ空いた記憶の空洞があったが、この旅によってそれが埋まるかもしれないという思いがあった。
 彼の生家はまだ残されていた。・・・屋根板は腐り落ち、壁は崩れ、床は抜け、辛うじて家らしい骨格が残っているだけである。・・・

**********
 この家で太田は母一人子一人の寂しい生活を送った。父の姿は霧の中に隠されている。父は、どこへ行ったのか? 太田の物心つくころから父の姿はない。・・・

 家は山裾のじめじめした低地にあった。・・・
 太田はふと母の声を聞いたような気がした。幻聴であった。・・・

 「そこから奥へ行ってはいけないよ」
 また母の声がした。・・・

 彼は、母の制止に背いて林の奥へ歩み入った。突然、彼は見おぼえのある花の群落の中に立っていた。
 「ギンリョウソウ!」
 山根事件の捜査の道程に終始咲いていたギンリョウソウの花が、いま太田の周辺に大群落となって咲きむらがっている。・・・・・・・

 翌年の夏、嬬恋村別荘分譲地にギンリョウソウの大群落が現れたというニュースが報じられた。
**********(引用完)

 果たしてギンリョウソウが動物の死体の上に咲くことがあると著者は考えているのだろうか。「花の骸」では、専門家の意見としてそれを完全に否定して見せている。

 しかし、最後に思いがけない展開になるのはどうしたことか・・・。改めて、冒頭のギンリョウソウの写真を見ていただき、想像を膨らませてみるのはどうだろうか。


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