軽井沢の町で石垣などに多用されている「浅間石」は、1108年平安時代の浅間山噴火にともなう追分火砕流の中から掘り出されたものとされているが、同じく「浅間石」と呼ばれているものには1783年江戸時代の浅間山の天明大噴火にともなって発生した火山泥流にによるものもある。
この天明大噴火の時に浅間山の北側に流れた溶岩は、今は観光名所になっている鬼押出しを形成したが、同時にこのときに発生した火山泥流は、浅間山の北側を流れる吾妻川を流下して利根川にまで流入したとされている。
この時に泥流と共に巨大な岩塊が運ばれていて、現在もその姿を見ることができ、火山活動のすさまじさを今に伝えるものとなっている。その一つが群馬県渋川市川島地区にある「金島の浅間石」である。
この「金島の浅間石」は現在吾妻川の右岸段丘上、上越新幹線の橋脚のすぐ近くに見ることができる。近くに寄って正面から見ると左右で様子が異なることに気がつく。
群馬県渋川市川島にある「金島の浅間石」(2016.10.29 撮影)
「金島の浅間石」の右側部分(2016.10.29 撮影)
正面から見て右側半分は、大きなひとかたまりの岩塊に見える。
「金島の浅間石」の左側部分(2016.10.29 撮影)
一方、左側は小さな岩塊をまとめたようで、部分的にセメントで結合して積み上げたようにも見えた。
「金島の浅間石」の右側面からの写真(2016.10.29 撮影)
前に設けられた説明板によると、この「金島の浅間石」は昭和27年11月11日に群馬県指定天然記念物になっていて、その大きさは高さ4.4m、上面の直径は東西15.75m、南北10m、周囲は43.2mとされている巨大なものである。
石質は普通輝石と紫蘇輝石を含む両輝石安山岩とされていて、天明3年(1783)の浅間山大噴火の際、吾妻郡の鎌原一帯を押し流した泥流によって吾妻川を伝い、当地に運ばれたとしている。
「金島の浅間石」の由来を書いた説明板(2016.10.29 撮影)
この巨大な岩塊が、浅間山から直線距離でみても50kmほども離れた場所まで運ばれたことに驚くのだが、古文書には、火が燃え煙が立つ「火石」として記録されていることにさらに驚かされる。
通常、火山泥流は常温とされているが、この巨大岩塊は高温のまま泥流に飲み込まれて数十キロも離れた場所に運ばれたことになる。その時速は100kmにも達するといわれている。
にわかに信じがたいようなことではあるが、この「金島の浅間石」は磁化測定でキュリー温度である395~400℃を現地で保っていたことが示されていて、古文書の「火石」の記述は正確であることが実証されている。
僅か、230年ほど前にこうした火山活動が起きていたことに驚異と共に脅威を感じる。
この「金島の浅間石」は群馬県指定の天然記念物となっているということだが、途中特に案内表示などは無く、私が現地に行った時も車で近くまで行き、ガソリンスタンドで詳細な場所を聞くこととなった。
その時、場所を教えてくれた年配の店員が、「あの石や、周辺の石に触れたり移動したりすると死人が出るという言い伝えがある」と教えてくれた。
これは、巨大な浅間石と共に、周辺に散在している小さな浅間石をも大切に思った昔の人たちの知恵ということであろうか。
しかし、それにもかかわらず、「この地区では段丘内の川砂利が採石され、田畑中に残されていた浅間石が取り崩され、この一部は庭石として持ち去られている」とこの浅間石のことを調査研究している中村庄八氏はその報告の中で嘆いている(地学教育と科学運動 32 号 1999年10月 p61)。
1000年に一度という地震・津波災害に見舞われたばかりの日本であるが、これに伴って活発になったといわれている火山による災害がもたらす規模の大きさについても改めて思い起こしたいものだ。
この天明大噴火の時に浅間山の北側に流れた溶岩は、今は観光名所になっている鬼押出しを形成したが、同時にこのときに発生した火山泥流は、浅間山の北側を流れる吾妻川を流下して利根川にまで流入したとされている。
この時に泥流と共に巨大な岩塊が運ばれていて、現在もその姿を見ることができ、火山活動のすさまじさを今に伝えるものとなっている。その一つが群馬県渋川市川島地区にある「金島の浅間石」である。
この「金島の浅間石」は現在吾妻川の右岸段丘上、上越新幹線の橋脚のすぐ近くに見ることができる。近くに寄って正面から見ると左右で様子が異なることに気がつく。
群馬県渋川市川島にある「金島の浅間石」(2016.10.29 撮影)
「金島の浅間石」の右側部分(2016.10.29 撮影)
正面から見て右側半分は、大きなひとかたまりの岩塊に見える。
「金島の浅間石」の左側部分(2016.10.29 撮影)
一方、左側は小さな岩塊をまとめたようで、部分的にセメントで結合して積み上げたようにも見えた。
「金島の浅間石」の右側面からの写真(2016.10.29 撮影)
前に設けられた説明板によると、この「金島の浅間石」は昭和27年11月11日に群馬県指定天然記念物になっていて、その大きさは高さ4.4m、上面の直径は東西15.75m、南北10m、周囲は43.2mとされている巨大なものである。
石質は普通輝石と紫蘇輝石を含む両輝石安山岩とされていて、天明3年(1783)の浅間山大噴火の際、吾妻郡の鎌原一帯を押し流した泥流によって吾妻川を伝い、当地に運ばれたとしている。
「金島の浅間石」の由来を書いた説明板(2016.10.29 撮影)
この巨大な岩塊が、浅間山から直線距離でみても50kmほども離れた場所まで運ばれたことに驚くのだが、古文書には、火が燃え煙が立つ「火石」として記録されていることにさらに驚かされる。
通常、火山泥流は常温とされているが、この巨大岩塊は高温のまま泥流に飲み込まれて数十キロも離れた場所に運ばれたことになる。その時速は100kmにも達するといわれている。
にわかに信じがたいようなことではあるが、この「金島の浅間石」は磁化測定でキュリー温度である395~400℃を現地で保っていたことが示されていて、古文書の「火石」の記述は正確であることが実証されている。
僅か、230年ほど前にこうした火山活動が起きていたことに驚異と共に脅威を感じる。
この「金島の浅間石」は群馬県指定の天然記念物となっているということだが、途中特に案内表示などは無く、私が現地に行った時も車で近くまで行き、ガソリンスタンドで詳細な場所を聞くこととなった。
その時、場所を教えてくれた年配の店員が、「あの石や、周辺の石に触れたり移動したりすると死人が出るという言い伝えがある」と教えてくれた。
これは、巨大な浅間石と共に、周辺に散在している小さな浅間石をも大切に思った昔の人たちの知恵ということであろうか。
しかし、それにもかかわらず、「この地区では段丘内の川砂利が採石され、田畑中に残されていた浅間石が取り崩され、この一部は庭石として持ち去られている」とこの浅間石のことを調査研究している中村庄八氏はその報告の中で嘆いている(地学教育と科学運動 32 号 1999年10月 p61)。
1000年に一度という地震・津波災害に見舞われたばかりの日本であるが、これに伴って活発になったといわれている火山による災害がもたらす規模の大きさについても改めて思い起こしたいものだ。
地図で調べたりしましたが、浅間山からずいぶん遠い。
吾妻川って八ッ場ダムを造っている川ですよね。
自然って凄いですね。
見に行きたいけれど、ちょっと怖いです。
軽井沢や佐久平にも巨大な浅間山由来の岩がありますので、先ずはこちらをご覧になってはいかがでしょうか。
近いうちに浅間石3としてご紹介をする予定です。
浅間山の噴火って、本当に凄かったんですね。
主人と群馬県の温泉にはよく行くんです。
沼田の真田丸展を見に行ったときも、近くを通ったはずなんですが・・・
主人も知らなかったそうです。
勉強になりますm(_ _)m